この数週間、スポーツばかりを観ている。
メディアも、社会も、「勝った」「負けた」「どうなる?」「いけるか!」の繰り返しだ。
しかし、その背景には、非常にクリーンで、一生懸命に闘った者たちが勝利を手にできる
・・・・という 「美しい(感動的な)結果」が待っている。
まさに、「スポーツマンシップ」である。それこそ、スポーツの醍醐味である。
私たちは、そういう経緯と頑張りと結果の流れから、たくさんのことを感じ、学ぶのだ。
「スポーツマンシップ」の素晴しさは・・・・
その人が日常生活で遭遇する様々な諸問題や障害にも、効果的に対処できるために必要な
「心の力を育てる」ことが、自然と出来ることである。
スポーツを一生懸命にやれば(学習能力のある人であれば)誰もが出来うることだ。
自分を見つめる力、分析力、瞬時の判断力、チームを信じる気持ち、チームの中での立場、
自分の位置と働きを感じとる力、そして、何よりも、前向きに前進する強靭な精神力!
たとえ、厳しい現実に遭遇しても、あらゆる状況において、常識的に判断して、前向きに
立ち直っていく・・・・そういう「人間力」。
気がつけば、素晴しいコミュニケーション力や、トータルバランス力が備わっている。
ところで、
ワールドカップは、数年前に比べれば、かなり一般化して、まるでオリンピックのような
勢いをつけてきた。
W杯の知名度もあがり、他国の試合の放送もされ、感動を呼び起こす。
精一杯走りぬく選手たちに、チームの団結力と、個々の力量がバランスよくかみあって、
日本は一次リーグを突破した。 良かった! 凄いョ!
きっと「勇気」をもらえたファンも多いことだろう。
夜中のウインブルドンテニスや、メジャーゴルフの若手の活躍から・・・日々の野球まで、
スポーツの素晴しい経過と結果から、刺激を受けたり、感情をかき乱されたりしている。
特に、ワールドカップサッカーの世界の予想を覆した一次リーグは、かなり面白い。
それに比べて、日本の「大相撲」のスキャンダルは、非常に哀しく、切ない現実だ。
ひところ、日本の国技と言われ、歴史のあるスポーツであるがために、日本人としては、
本当に複雑な心境だ。
かねてから言われていた暴力団との関係や、「品格」のない横綱の暴力行為だけではなく、
今回は「野球賭博」である。
すべてが、暴力団の資金源になっているかのような繋がりになっている。
公共放送局の莫大な放送料もまた、大相撲協会に入って、結局はぐるぐるとまわって、
暴力団に流れるような仕組みになっているのではないだろうか。
昔からの大相撲八百長問題もそうだし、朝青龍の暴力事件も、いじめの死亡事件もまた、
大相撲協会の関係者は、きちんとした説明責任を果たさず、こうした現実が続いている。
国民の審判を、そろそろ・・・下すべき時機が来ていると思う。
しばらく、放送を辞めて、大相撲協会の大改革をしていただくようにしないと・・・
全国の(地方の高齢者などの)大相撲ファンに申し訳が立たないと思わないのだろうか。
「スポーツマンシップ」に反した行為と、大相撲協会の態度と姿勢は、それを、まさに
物語っているのではないかと、思うのだが・・・・。
時代は、変わった・・・・。
相撲協会の理事も、力士も、関係者も、全員がそれを受け容れるべきだ。
こんな「灰色の大相撲」なんて、国民が気持ちよく、応援できるわけないじゃないか!
そう感じとれないのだとしたら、相当、現場の人たちは、品格のない行為に麻痺している
状態が、ずっと続いたがために、何も感じられないのかもしれない。
であれば、私も、「無関心」になるしかない。
放送があっても、観ないし・・・・話題にものせない。
懸賞金を出している企業の商品は、イメージが悪いので買わない。
すべての相撲関連に対して、私は「無関心」を貫いて、その連動を促していくしかない。
どん底まで落ちていかないと、反省もないだろうし、きちんとした説明も(今まで通り)
おそらくないままだろう、大相撲協会という慢心を極めた人々たちは・・・・。
とにかく、相撲協会の「資金の流れ」を、一度、「綺麗な状態に戻してほしい」と・・・
心から切望する。
でなければ、大志を抱いて入門した若手力士に、あまりにも気の毒ではないか!
彼らこそが、「宝」なのだから・・・・。
これからの「大相撲」を背負ってくれる若手の育成こそが、何よりも優先すべきことだと
私は思っている。