食事の基本的マナー

2010年07月10日 | 食事 -

明日から、しばらく自宅をあけることになる。

生ゴミは、今朝、出してしまった。 
ゴミを、自宅に、もう残したくなかったので、
荷をつくる傍ら、近所のお気に入りインド料理店に、昼食に出かけた。


土曜日のランチ ―― 「一人は、さびしいなぁ」・・・と思いながら、
お店のドアを開けたら、とってもハンサムな外国の方が一人でナンと格闘していた。
「あら、あの方も、お一人なのかしらん?」
ちらっと見てみると、ナンをフォークを片手に、ナイフでカットして、食べていた。
「おぉ~、な、なんと、 ナンをナイフで!!(洒落ではありません)」

私は、サウスポーなので (いつも素手で食べるのだが)、つい左手で食べてしまう。
インドでは礼儀知らずなのだとも思い、気がついた時点で、必ず右手を使うのだが・・・
ほとんど食べてしまった後だったりもする。



そういえば・・・「食」つながりで・・・・
イギリスのロンドンで、薄いトーストを、ナイフとフォークで「バッテン状態」に切って、
四枚の三角形にして食べていたお洒落な(風格のある)老人に出会ってから・・・・
私も、同じような食べ方を、いつもしている。
一緒に朝食を食べる時、それを初めて見た周りの人は「何?どうして?」と聞いてくる。
そして、結局、私の真似してみると・・・・
「なるほど。バターも、ジャムも付けやすいし、手も汚れないね」と、いつも喜ばれる。



数日前にも、こういうことがあった。
お馴染みの「おすし屋さん」で、食事の途中で、お箸を下げられそうになってしまった。
「お箸は残してください」と頼んだら、箸置きも何もない場所に、どかん~と置かれて、
ものすごく神経を疑ってしまった。
目の前の板前さんは、その光景を見ていて、「すみません。新しいの持ってこい」、
そう叱った後に、私に「今日入ったばかりの新人で、すみません」と、言われてしまった。
漬物と卵を追加で、サービスされたが・・・「おなかいっぱいだし、もう結構です」と、
ごくごくフツーに、帰ってきた。 しかし、あの時の私は、素朴な想いに囚われていた。
こういうこと(基本的マナー)は、幼少時に教わらなかったのかと、疑問だったのである。

食べ方には、その国の慣習というものがあり、また同時に、快適な自分の食べ方もある。
ここは日本だから、海外の料理店は、日本流に多少の改訂がされているとしても・・・
やはり、日本の伝統の懐石料理店をはじめ、寿司屋、鰻屋、天麩羅屋などの和食系列店は、
私なりに「こだわり」や「好み」、そして「癖(食べ方)」のようなものがある。
箸の使い方などは、基本的なマナーであり、気を遣うべきサービスの基本だ。
でも、そういうことも「当然のことだ」と思っている私達の世代には信じられないような
現実が、現在の社会には「てんこ盛り」なのかもしれない。



古来の伝統や慣習は、その風土(地方ごと)にあわせて、守っていただきたいものだし、
日本国という広い世界を考えても、「大相撲」の連日の報道は、哀しい現実である。
歌舞伎や能などのように、あるいは華道や茶道のように、日本の伝統道を守っていくことは
大変厳しいことであるけれども、とても意義あることだと、国民其々が「その大切さ」を
認識しつつ、尊重して、応援していきたいものだと感じる。
其々の「文化」こそ、廃れさせてはいけない“貴重な歴史の宝庫”である。