両親と仲が良かったおばあさん(70歳すぎ)から、また電話があった。
もちろん、四国から連絡をしてくれたのだが、突然でびっくりしてしまった。
最後の電話からは、久しぶりで・・・・ご主人のお香典を送ってから、電話をいただく
ようになった人である。
以前より、体調がすぐれないのか、「不安感」を前面に押し出した気持ちが伝わり、
私は、とても複雑な気持ちになってしまった。
足を手術してから「歩けなくなった」と、淋しそうに語りはじめて・・・・・それが、
止まることを知らないぐらいに語ってくれた。
昼間は、一人家でこもりっきりになってしまい、外にも出なくなったらしい。
家族には、言えない愚痴のような、不安感のような、どうしようもない複雑な気持ちが、
あふれでていた。
夜中の22:30に鳴った、私の携帯電話。
70歳過ぎの高齢者が、愚痴などをこぼすには、あまりにも遅い時間だとも感じたが、
言葉は途切れることなく、続いていった・・・。
介護をしてきたご主人を近年亡くされ、ぽっかりと穴があいたようになったのか、
非常に「寂しい気持ち」が迫ってきて、私も かける言葉を選びながら話を聴いた。
私の子どもの頃しかお付き合いのない人だから、私にとっては現実性がないが、
両親の仲が良かった人たちなので、その話は「我が家族の財産(歴史)」でもある。
聴いたことのない昔の私のエピソードが、突然、飛び出してきたりして・・・・
私にとっては、新鮮な話題も多かった。
それに、スタンスが違えば、より客観的に「高齢者の寂しさ」にも対応ができるものだ。
しかし、母の法要を控えているからこそ、母の話をされると胸に迫るものがあった。
「おかあさんは、ほんまに ええ人じゃったわぁ」
くしくも、本日、仕事の都合で、帰省(母の法要)を九月に延ばした決断をしたので、
余計にしみじみとしてしまった。
学がなくても・・・・ 地位(肩書き)がなくても・・・・ たとえ貧乏でも・・・・
たくさんの人に愛され、そして、頼られて、気持ちよく可愛がっていただいていた母は、
すごく魅力的な人だったのだと・・・私は心から尊敬している。
ごくフツーのおばちゃんだったのにネ。
母を誇りに思うし、母の子供であることに感謝しつつ・・・・
あらためて天空に呼びかけたい。
「お母さん、苦労しながら、私を産んでくれて、本当にありがとう!」
「お母さん、これからも、私が道にそれないように ちゃんと見守っていてね」・・・と。