長旅から帰ってきたら、後を追うように宅急便で送ってあった私物や仕事のグッズが、
ダンボールに収められて届いて、たった今、整理し終わったところだ。
今回の仕事(旅)で得たものは、天然の「蜂蜜」3個と、天然の「健康茶」一箱と、
とても素敵な人との「出会い」・・・・。
そして、その人々と過ごした宝物のような時間だった。
それに、身近な人の誕生日パーティもしてきた。楽しかったなぁ!
家を離れる前に、とてもモヤモヤしたものを抱えて出かけたのだけれど、
今回知り合った人(見識者)によって、癒していただいた部分があったように思う。
有難いことである。
(実際、仕事でなければ、出会えない人も、現実にはいるものだ)
私は、せっかちでも、怒りっぽくもないけれど・・・・
人が許せるものが、時々許せなくて、忽然と行動に移すときがある。
ただ、その許せないことや、怒りを覚えたりするものの要因としては、非常に
単純で明快なことから、複雑なケースまでがあるのは 事実である。
しかし、そのことについて、確信がもてたことが 一つだけあった。
私は、自分のプライドを守るために怒ったり、自分が馬鹿にされたから・・・とかの
理由では、決して怒っていない――ということである。
「道義」や「正義」、あらゆる「道」に “はずれたこと” に対して感ずる怒りが 主で、
それは・・・・自分のことよりも、そういう世の中の仕組みや対応について “許せない”
ということである。
自分の心の中を揺さぶるセンサーが、こういうことに特に反応しているのだ・・・という
単純なことを確認できたことは、非常に有意義だった。
もう死語になっているのだろうか。「義憤」という感情である。
私は、ポーズで、人の体裁を気にしているわけでもなく、お金などを一番の基準にも
おいていない。
これについては・・・・自分が「成熟していないのではないか」と感じる反面、
非常に純粋で人間らしい自分の感情の回路を見つけたことに、嬉しくもあり、
複雑でもあり・・・・(面倒な性格だと思うからネ)・・・・という感じだろうか。
人は、みんな、いろいろな理由によって 怒る。
沸き起こった怒りは、しばらくの間は 押さえられないときもある。
「人間だもの」 (by あいだみつを)
当然だとも思うし、自分の感情を永続的に抑え続けていくと、病気になってしまう。
だから、肯定的にとらえ、(自分の癖を)解釈したし、今は充分に納得もした。
私の感じた気持ちは、これからも・・・・
素直に、表現しつつも・・・・よりスマートなコントロール方法をも、模索していく
ことを考えながら、「自分自身を見つめていこう」と 思っている。