匿名性の脅威

2010年07月27日 | 社会 -

今日、2008年の世の中を震撼させた「秋葉原の無差別殺人」の裁判があり、
27歳の犯人は(自分で)殺人の理由を語ったそうだ。
たった2分で、ナイフにより襲いかかった、17人死亡 & 10人の重軽傷という大事件!

2年前の事件当時は・・・また、忙しくしていた頃で、仕事場が秋葉原にもあり、
度肝を抜かれた事件だった。
スタッフと連絡を取り合い、状況確認に走ったのを覚えている。

「誰でもよかった。殺したかった」という棄て台詞が衝撃的で、犯人はどのような思考を
していて、どのような要因があって、行動にいたったのか、当時は理解ができなかった。


しかし、無差別殺人は、この10年にわたって、急に増えている無常な事件だ。
それも世界的に広がっている傾向がある。
日本では、10年間で約75件ぐらい発生しており、今年になっても5件はあるらしい。
あの秋葉原の事件の3ヶ月前にも、似たような事件があり、その犯人もまた、同様に
事件後には「誰でもよかった。殺してやりたかった」と発言している。



今回の裁判で、犯人が語った理由としては、反省していると発言した後に、理由として
「自分のものの考え方」「掲示板への依存性」「掲示板のいやがらせ」をあげたと言う。
一番の原因は、自分の考え方で、母親との関係から「言いたいことが言えない人格」に
なってしまったことをあげた。
それには、「生い立ちも影響を受けている」ということで、子供のときに、
母親から受けた「虐待 (のような育て方?)」を 訴えたようだ。

そういう「育てられ方」を受けた経験によって、大人になってからも、
「何かがあると、行動で示してアピールする癖がついた」ということらしい。
おそらく周囲との摩擦や軋轢(あつれき)、衝突などがあったことは想像できる。

そうして、秋葉原事件の犯人は、仕事をやめて、インターネット世界に依存していく。
彼にとっては、「唯一、自己表現できる世界がネット世界だった」のである。



突発的な事件の引き金は、ネット世界での「いやがらせ」だったようだ。

インターネット書き込みサイトに頻繁に見受けられる現象・・・・
俗に言う「なりすまし」や「攻撃」、「いじめ」「嫌がらせ」だと言う。

これは、まさに「ネット世界」と言っても、一部の匿名性のインターネットサイトの
書き込みによる “人間関係” と “感情のやり取り” のことだと思われる。

このようなネットサイトの「匿名性」というのは、恐ろしい暴走を引き起こす。
誰がやっているかわからないので、知らないふりもできる。
名前も顔も住所も不明のため、どんなひどいことをしたとしても、自分が攻撃されない。
第三者になりすまして他人を攻撃すれば、ただサイトは荒れるばかりである。
嫌な言葉や、いじめのような言葉を書き連ねても、罰されることもない。
攻撃された感情は、ドロドロになるし、注意すればするほど 逆なでされるのだ。
安易で、責任のない発言が公になり、ネットでの諍いは どんどんと エスカレートする。
人格を否定されたと感じる人がいたり、存在そのものを疎外されたと感じる人もいる。
匿名であるからこそ、このような積み重なった “やり取り” が、絶えることはない。
もちろん、現在も、どこかのサイトでは、こういうことが起こっていることだろう。


お互いの存在価値を尊重し、自己責任でやることは、社会人として当然のことだ。
しかし、それが・・・正当な仕組みとして、成り立っていないネットサイトもある。
そして、そういうサイトに依存していく人が多いのも事実だろう。

当然のことながら、基本的に「他人に責任を押し付けるのは、良くない」ことである。
しかし、人がインターネットのバーチャルな世界に埋没した時、見失うものがあると思う。
感覚も、判断能力も、麻痺しているとしか思えない状況・・・。
尋常ではない感情や反応、行為に走る人もいるのではないだろうか。
おそらく、コミュニケーションではなく、一方的なやりとりだからこそ、そして、
顔が見えない透明人間を相手にしているからこそ、感情は拡大されていくのだろう。
まるで、モンスターを相手にしているような疎外感と絶望感がありそうだ。


児童虐待、いじめ、無差別殺人、薬物依存症・・・・
この現代社会には、止められない、しかし、どうしても止めたい たくさんの事件がある。
その一つ、一つを、ひも解きながら、考えていきたい。
そして、何よりも、今こそ・・・・止める方法を皆で考えられれば何よりだ。
現実的な対策方法が、必ずあるはずなのだ。
人事にはできない時代に、なってきてしまった。
まずは、それを、みんなが自覚するところから、始めなくては・・・・・。


親や、学校、生活している環境(コミュニティ)が、あらゆる意味で、相対的に
根本的に変わっていかないと、このような事件はなくならないように思う。

一方的なツールとしてのインターネットであれば、使わない方が人間的である。
人は、「人と、接することによって、学びを重ねて、大人になっていく」のだ。
ゲームや、ネットサイトだけで生きていては、現実から逃避しているだけにしかならない。
そういう状況に陥りそうになったときこそ、周囲の人間の快い援助が必要なのだと・・・
心から思う。