久しぶりに会社に行くと、知らない顔がいくつか増えている。
キャリア優先で入ったのだろうか・・・
まるで「おじさん」と呼びたくなるような・・・かなりの熟男も、うろうろしている。
契約社員のほとんどは、会社外で仕事をしたりしているので、
誰が誰なのか・・・特にわからないことが多い。
また、首のすげ替えは、ものすごく早いので・・・・もっと・・・わからない!
今日も、知らない若い男性が、何人もいて・・・・対応に窮した。
しかし・・・彼らは私のことを知っているらしく、
彼らから (私の電話中に) 目の前の卓上に 伝言メモが届けられる。
また、私が席をたったりした時や、エレベーターから降りると、会釈をされたりする。
でも、私からすれば「見知らぬ顔」ばかりである。
“彼らは、だぁ~れ?”
私が知らない人に知られているということは、別に何でもないことではあるけれど、
同じ会社内の共同体に属しているメンバーであれば、時を見計らって、自己紹介するとか、
せめて名前を名乗るとか・・・そういう“やりとり”があってもいいのいなぁ~と、
少しばかり寂しく思ったりする。
けれど、雑務に追われる若者や、契約社員などは、とても複雑な立場にいるので、
「こころ」を投げかけても、あっという間に、いなくなっていることも多い。
挨拶して、別れを言ってくれる人はまだいいが・・・・
会社内の労働形態が変わらない限り、このような経験と、切ない人間関係は、ずっと
続くことだろう。
仕事の現場でも、まさに「無縁社会」のような孤立感を感じてしまうこともしばしばだ。
これが「現代社会」の労働現場というものだろうか。