不安定な人々の傾向

2010年11月03日 | 社会 -

今日は、早稲田Vs慶応の優勝決定戦で盛り上がり、日頃のウップンを晴らした人も
多いのではないだろうか。
また、日本シリーズもあって、野球好きの人には、たまらない一日だっただろう。
何かを“きっかけ”にして、“思い切り 伸びやかな気分の時間を 過ごすこと”は、
気分転換となって、(日常生活の中では)本当に大切なことのように感じる。

一般論として、何かモンモンとしたものを溜め込むのは、精神的に良くないと思う。




話題は、変わるが・・・・・・
今月に変わってすぐに、留守電にメッセージがあったので、駐車場の契約不動産屋さんに
出向いていったときのことだ。
そこは老齢の男女が営んでいる地元の不動産屋さんだが、まだボケるには早い年齢の人だ。
しかし、私の連絡先(契約解除)が覚えられなかったらしくて、その確認だった。
(メッセージで、ちゃんとそう伝えてくれたら、問題なく、電話で済んだのに・・・ね)
女性が、とても切羽詰った印象がしたので、わざわざ(出勤前に)足を運んだのだ。


しかし、そこで、・・・事情を知らない(不動産屋さんの)もう一人の男性の方から、
よく理解できないことで・・・・
                 突然、キレられた! 
                              (意味不明?)




誰でも、最近は・・・年齢に関係なく・・・・
すぐに、キレるようだ。

見渡してみると、イライラして、落ち着きがない人が多い。

こんな顕著な現代人の傾向が、あらゆる場面や、あらゆる人々に感じられるようになった。

昔は「短気だね」ですんだことが・・・最近は余計な不安を感じるような時勢のために、
周囲の人々の反応に(必要以上に)気を配る必要が出てきた。
世知辛い世の中である。


社会的な経済状況が良いとは言えないし、だからこそ都会のビル内には店舗がすぐに
変わってしまうけれど、それは当地(郊外)でも同じことのようだ。
しばらくすると、気にしていた店がなくなったり、違う店になっていたりする。

経済的な不安定さは、仕事をしている人間にとって、質は違えども「不安感」をあおる
ことにもなり、それは・・・個々の人間の精神状態にも影響を与えていると思う。



私なんかは・・・・成金でもなく、また、守銭奴でもなく、
過去に大金を手にした経験もなく、そういう願望や執着なんて微塵もない。
だから、しみじみ思う。
「仕事があるだけ、いいんじゃない。 恵まれている方だよ!」
心から、そう思う。

でも、いつかは「仕事がなくなるかもしれない」とか、「生きていけないかも」とか、
今でも そんなマイナスイメージを抱くときがあるのは 事実である。
しかし、そういうときこそ、“自分の心の容量が図れるときだ” とも 思うし、
こんなマイナスイメージに負けてはいけないと・・・自分が自分を勇気付けてもくれる。

二十代の食べられなかった頃、私は生活費のために 借金するぐらい 困窮していた。
そんなときでも、いつも こんなことを考えていた。
「どうしても耐えられないくらい お腹がすいたとしても、
 誰かがパン一つぐらいは恵んでくれるかもしれない。
 そうしたら、また何日かは生きていられる・・・。
 ケセラセラ・・・だ!
 世の中、そんなに捨てたもんじゃないはずだ、きっと!」

しかし今、その「世の中の人々に対する印象」が、変わってきているのが、最大の問題だ。


昔の「昔」かもしれないが、ずいぶんと前の日本人がフツーにやっていたような・・・・
助け合える精神性と、繋がりのあるコミュニティの復活を、切に期待したいものだ。
      

自家用車との別れ

2010年11月03日 | 出来事 -

これまでお世話になった自家用車の必要性について、ずっと悩んでいたが・・・
今月で手放すことにした。

父の介護中は、主治医の病院へ週に2~3回の点滴治療と、そのほか整形外科へも行き、
また、遊びのために気分転換の公園や遊園地が眺められる場所、それにお風呂や食事など、
身体が元気だった頃は、よく車を使っていたものである。
父に当地に来てもらってからは、車がなければ困り果てることばかりだったと思い返す。

父の体調は、あっという間に悪くなり、車の需要度は・・・ 一期に落ちていった。
そして、ほどなくして、父は、逝った・・・。

それでもずっと自家用車 「サンキュウー号」 は、私の手元にあったが・・・・
ほとんど使わなくなって、バッテリーもあがるほどになってしまい・・・・・このたび、
ついに、手放す決心をした。

おかげさまで、使ってくださる人も見つかり、有難く思っている。

駐車場契約は、今月まで。  (先月には連絡も入れて、あとは車を引き渡すのみだ)

間もなくしたら・・・・ 別れる日が来てしまうのか―と、今は感慨深い。