「義」 と 「仁」

2010年11月18日 | 言葉 -

「義」・・・・「人として守るべき正しい道」 「人間のふみ行うべき正しい筋道」


「仁」・・・・「他者への思いやりや情け」 「思いやり」 「いつくしみ」 「なさけ」
       「他人と親しみ、思いやりの心をもって共生を実現しようとする倫理」



この二つの言葉は、常に様々な書物に出てくるし、儒教や歴史書には欠かせない言葉だ。



今、話題の坂本竜馬や高杉晋作は、「義を見てなさざるは勇なきなり」と意気があがって、
常に「義」に勇んでいたように思う。
それと対照的に、大久保利通や木戸孝允は、「義」に勇む部分は少なかったように感じる。
維新三傑の中でも、いろいろな姿勢と信念があるものである。



孔子は「仁」を尊び、孟子は「義」を重んじた。
どちらが正解ということはない。
それぞれの人物の姿勢や価値観が、このような「人生の “ 彩 ”」 を描いているのだ。




時々、ふっと感じるときがある。
人の人生よりも大切なものがあるだろうか・・・・と。

また、自分の命よりも大事なものがある人は、
どれくらい・・・この世にいるのだろうか・・・・と。

そういう人物の生き様は、おそらくドラマチックであり、容易にまねることもできない
崇高な精神によって操作されているものかもしれないが・・・・
仮にも人間として、ここにいる私もまた、何らかの使命を背負って生まれてきたのだと、
想いたいものである。
そして、自分の“願っていた大業”を果たした今だからこそ、清らかな気持ちを持って、
自分という存在を、あらためて、振り返りたい気分に陥るときもある。


もし、人生や命よりも、大切な“何か”があったとしたら、私の日々の“命の使い方”は、
変わっていたのだろうか。
そんな憧れに似た妄想にとらわれ、「生きがい」という言葉を熟考しながら、より高みを
目指したい欲求も芽生えてくる。
こんな私でも、まだ「生気」は残っていたのかと、ひそかに嬉しくもあり・・・・。


電車の中で、漫画に没頭する男性と、一生懸命にお化粧する女性の横顔を垣間見ながら、
ぼぉ~っと、そんなことを感じたりして・・・・時間をつぶしている(笑)。



私の人生を描いていくのは、常に私自身だから・・・・
心の豊かさを追い求めていく中に、本当の楽しさが見え隠れしているような気がしている。