「愛」についての議論

2010年11月22日 | 出来事 -


「“愛” は、言葉だから・・・ね 」

複雑な状況の愛について語る人に、聡明な“ある人”は・・・そう言った。



確かに、愛は、単なる言葉でしかない。
人によっては、その概念も定義も違うし、抱いているイメージも大きく違うことだろう。

他の単語(言葉)と違って、境界線のあやふやな・・・とても広い意味を含み、尚且つ、
非常に抽象的な言葉であることは事実だ。
そして、また、シロ・クロがつけられない奥深い言葉でもある。

だからこそ、語りたくもなるし、
自分の愛について “誰かに聞いてほしい”と思うときがあるのかもしれない。


人によっては、その壮大な愛というものに悩み、苦しみ、日ごと胸を痛めて、
自分の気持ちを見つめている人もいることだろう。



「“愛” は、言葉だから・・・ね 」
まるで愛についての議論に終わりを与えるかのような意味合いと・・・・同時に・・・
その人の愛を受け容れ、擁護するような意味合いを持っていた・・・・その「言葉」は、
私の心の中に、少しだけ複雑な印象を残すことになった。
それが何故だかわからないが、日本人は「愛」について あまり語りたがらないようだ。
そういう傾向があるように、私は思う。
自分の愛について、克明に自覚して、説明できる人は、かなり少ない気がするぐらい
日本人独特の“美徳のような特性”を感じるときがある。

私は・・・愛は、そんなに難しいことではないような気がしている。
相手に対する「愛情」もまた、同じように、とてもシンプルな感情だと思っている私は、
ストレートに語ることを避ける人々が多いことを、とても寂しく感じる。

愛は、誰もが持っているものであり、誰もが経験している胸のたかなりである。

人それぞれに、概念は違えども・・・・「愛」について、
じっくり、しんみり、お互いに語り合うことは、とても豊かな時間だと思っている。