今の日本社会の価値基準になっているあらゆる不透明なもの―。
形あるものなんて、ひとつもないし・・・
空腹を満たすモノもない。
それでも、巨大な力を持っている。
そして、上下、優劣、そういうものが、社会には歴然と存在して、
みえない線がひっぱってあるように、複雑怪奇にからまっている。
そういうものに、はむかう人。
そういうものに、従う人。
疑問を感じながらも、結局は まかれる人。
いろいろなんだなぁ・・・。
でも、私の周りには、極論を言えば、「人間的ではない人」が
とても多くて、哀しい気持ちになる時がある。
そういう人は自分の所属している企業に対して執着心が強い。
同時に、物忘れが多い「あやぶい人」=「危険を感じさせるような人」。
このご時世に、仕事を失うのは困ることだ。
しかし、どうだろう。
冷静に、人間として、責任は果たせているのだろうか。
価値ある達成感のある仕事をしているのだろうか。
それであれば、何ら問題はないと思うのだけれど・・・。
ただ、やみくもにキレまくる人(40代)に出会った昨日・・・
私は、相手の「論議を交わせない精神構造」を疑ってしまった。
もう少し、人間的に、建設的に、ただ巻き込むだけではなく、
いろいろと周囲を見渡す余裕はないものか・・・と。
まず、相手の話を聞いてみることはしないのか・・・と。
冷静に見ていると・・・突発的に、感情が先走るみたいだった。
東電の株主総会は、荒れに荒れたそうだ。当然のことだ。
被災地では、まだ復興が進まず・・・その情報もなく、
世界は混とんとして、混迷を極めていることは理解できる。
通常の日本の根幹に位置する永田町や、大企業の中枢でも、
理解不能な行動が行われている。
それは何かを誇示したり、何かに固執したりする人の
価値観によるものであることは変わりない。
彼らを勇気づけるものや、彼らが囚われているものによって、
行動を決定しているのかと思う。
大変恐縮であるけれども、私には理解できないことが、
あまりにも多い。
多すぎる。
だから、そういうことが重なると、信頼感が薄れてきて、
最後には無くなってしまうのが、自然な流れだ・・・。
どんどんと複雑化する社会構造は、国民に見わたせないほど、
クモの巣が広がっているように 感じられてならない・・・。
いつか健全な繋がりが、明確に提示される日がくるのだろうか。