「 “ 学問バカ ” では、しっかりと生きていけないよ 」 と
言われた昔の言葉が、今、そのニュアンスを留めていない。
今は、“偏差値” や “数字を使った判断基準” が常となって、
人間としての 「 人となり 」 を、見なくなってしまった・・・。
そして、現代にはびこっている 「学問バカ」 という言葉は、
記憶をすることが中心の教育を指し、「偏差値バカ」 という
表現の方が正しいようにさえ感じてしまう・・・。
どうしてこうなったのかは (私には)わからないが、
今は、明らかに、豊かな情緒を育てようとしない教育体制だ。
事実、有名大学を卒業しているのに、常識観念が乏しく、
社会人としての 「イロハ」 を熟知していない人が存在する。
個々の 「人間力の落差」 は、ものすごいものがあると思う。
学歴闘争の是非が、問われている時代になってしまった。
“ただ左脳を使っての勉強” だけが 「学問」 ではないと思う。
学問と実生活は、区別がなく・・・・あくまでも、人として、
「 知識だけに偏ってはいけない 」 と 思う。
過去の哲学者も、そういう意味合いを含んだ教えを残している。
先人の知恵を受け継ぎ、実際の生活: いわゆる 「実際学」 をも
重要視したのが、かつての意味する「学問」 だったからだ。
「学問は、人道のほかには存在しない」 と・・・
孔子が言われたように、日常行動の中にこそ、その人の有様と
価値が潜んでいる。
大人になっても、“ 自分なりの判断基準 ” で、生きていければ
幸せなことだとは思うが・・・・
私は、自分の考える “価値基準” や “定義” というものが、
大きく日本社会一般の “それ” とは違ってきたように思う。
自分は、いいけれど・・・
これから、大人になっていく子供たちは、どうなっていくのか。
そろそろ心豊かな状態で、皆が生きていける社会環境の構築を
この国の政治家の皆さんに要望したい。
けれど、政治家たるもの、真ん中に 「道徳観念」 が、す~っと
通っていなければ、あらゆる雑音に 意思が枉げられると聞く。
今の状況を冷静に受け止めると、頭がいたい・・・。
人々の生活格差はどんどんと広がり、「均等で 平等な質の教育」 が
受けられない状況になっていくし・・・
徐々に、人々の心が、すさんでいくようで・・・不安だ。
これは、詳細は違えども、この国だけの問題ではないように感じる。
教育の先にあるものよりも、まず生活の安定が必要なことなのだろうか。
少しでも明るいことを考えて、未来に希望を持てるような社会に
「日本」という国が 向かっていけるよう ・・・心より祈る。