厳守していくべき 「 慣習 」

2013年09月14日 | 出来事 -

「熱中症」以来、繰り返してきた血液検査の結果が悪くなかったので、
秋頃に、父の七回忌の法要を、お寺に依頼した。

法要を準備するというのは、本当にいろいろと大変だ。
祭壇をつくり、お供えものやお花を飾り、法要用の仏具を寺から借り、
掛け軸・ろうそく・線香など・・・すべてを祭壇に備える。
お膳を二膳用意して、お団子もつくるのが、私の地方のならわしだ。
今回、体調が完璧ではないと思っている私は、負担を軽減しようと思った。

だから、私自身がお寺に赴き、細かいお飾り準備を全てお寺にお願いして、
依託金を支払うことにした。
その費用が、5万円ということらしい。
     お寺の部屋と祭壇を借りる金額だそうだ。
     お供え物や花などは、自分で持参する。
     この費用は、拝んでいただく「お布施」とは別ものらしい。




とにかく、お寺関係の費用は、高額なものとなっている。

いつも、いつも、呆れながら、言われるままに従って支払っているが、
全国的に「このような事実が多いのだろうか」 という素朴な疑問がわく。


昔からの慣習や風習と言っても、そこには精神論が残っていなくて、
ただ 「様式」 や 「決め事」 のみが、横行していると感じるがために、
私は違和感を感じるのだろう。
せめて、「 こころ 」 が伴っていれば・・・
こんな切ないことは感じないと思う。



それでも、父のため、母のため、
かつて生をうけて、この世で生活をしてきた両親の名前を汚さないように、
ただ、そのことだけのために、すべて従っている。

私が、何も背負うものがなければ、納得できないことには 異論を唱え、
安易に甘受したりはしないだろう。

しかし、両親がつくってきた関係性や、お付き合いを前提として、
私は・・・ 「 ことにあたらなければいけない 」。
そこが、重要で、はずせないポイントだ。



お金ですむことなら それでいい。
しかし、あまりにも、あからさまな現実に触れた時・・・
私の気持ちは、大きく振れ切って、落ち着きのない状態になるときもある。

それでも、この時期を乗り切って、
私なりの価値観で 物事を決めていける日までは、耐え忍ばなければならない。

親戚からも、隣家からも、そして、両親の知人達からも、
注目して見られていることだけは忘れてはいけないーと思っている。