朝からポカをして、30分以上無駄な時間を使ってしまった。宿を5:00に出て、横浜からJRに乗り換えたが、それが保土ヶ谷で停まらない快速電車だった。戸塚まで行って戻る羽目に。
保土ヶ谷駅から旧東海道に戻り、6:00スタート。まだ18℃で涼しかった。昼は28℃まで上がる予報だったので、最初から半袖Tシャツにハーフパンツ。しかし、気温の上がった後半は海からの風が涼しく心地よかった。
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駅前の旧街道からすぐに、国道1号と合流する。保土ヶ谷宿は、武蔵野国西端の宿場で、本陣跡も脇本陣跡も残っていて、マンション街の中に数軒の旧家らしい建物も残っている。
東海道最初の難所とされた権太坂に差し掛かる。ここから国道1号と別れるが、国道の反対側を歩いていて、その分岐が分からず1kmほど国道を進んでしまった。戻って交番に聞いたら、すぐ裏が権太坂への登り口だった。
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昔より緩くなったとはいえ、約1.5kmにわたるだらだらした上りは、結構きつい。周りはマンションと住宅が立ち並んでいる。ちなみに、国道1号にも権太坂はある。
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武蔵・相模の国境の境木地蔵を越えると、焼き餅坂の下りとなる。
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下りの続きの品濃坂の途中に「品濃一里塚」があるが、ここは中仙道でよく目にした土盛りの塚の上に木を植えたものが道を挟んで、対になって完全な形で残っていた。
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国道1号と合流すると間もなく戸塚宿の入口となる。戸塚宿の歩道のマンホールの蓋は、箱根駅伝の絵が絵が描かれていた。ここは、戸塚中継所があるところだ。今日は、国道1号の歩きが多かったので、箱根駅伝で聞いたことのある地名が多かった。
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戸塚宿は、大山や鎌倉への道があり、それらの参詣客でも賑わった宿場らしい。当時の面影はほとんど残されていないが、本陣跡の碑はあった。
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国道から旧道に入ってすぐにある「仮名手本忠臣蔵」に因む「お軽勘平 戸塚山中道行の場」。ここを過ぎると再び国道1号の歩きとなる。
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藤沢宿は、時宗の総本山遊行寺の門前町で鎌倉時代から栄えたところである。その境内へ寄ってみた。広大な境内のイチョウの大木と本堂を写す。
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藤沢宿の中心部は、国道から離れて旧道を進む。藤沢宿本陣跡の説明板。
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再び、国道1号と合流し、平塚宿までの長い国道歩きとなる。茅ヶ崎までは、入口からずっと東海道のシンボルともいえる松並木が保存されていて、市街地の中にも松並木が多い。
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茅ヶ崎を過ぎて、平塚宿への途中の橋の上から左手に白い富士山が見えた。左手に見えるのが意外だったが、その橋を渡り終えたところに「南湘左見の富士」の説明板があり、東海道では、吉原とここだけとのこと。
その先の相模川の橋の上からは正面に見えた。
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平塚宿は、東海道有数の規模を誇った宿場だったが、現在でも湘南の中心地で、駅も立派だった。
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どこの宿場にも、江戸側の入口には江戸見附、京都側の入口には上方見附があった。宿場の出入口の見張り所のようなものだったようだ。
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平塚宿にも本陣跡も脇本陣跡も碑や説明板だけだが2ヶ所あった。
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街道から少し入ったところに、平塚の地名の由来となった平塚があるというので寄ってみた。
857年、桓武天皇の孫高見王の娘政子が旅の途中この地で亡くなった。塚を造って葬ったが、長年の風化でその塚が平になったとのこと。
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平塚宿を抜けて、大磯宿を目指すと、右手にこんもりとした高麗山が見える。高麗人が住み着いたとか?
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国道沿いに建つ珍しい茅葺きの家
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大磯宿へは、国道から離れて旧道となる。これまでにない珍しく自然度の高い道だった。
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この坂が広重の大磯宿の絵になっている。
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15:15、今日のゴールの大磯駅。スタートして、ちょうど9時間だった。昨日より2km長いのに、1時間速かった。昨日はカッパを着て傘を指しての歩きだったし、今日の方が単調な国道歩きが長かったのでペースを上げることができたからであろう。
いつもは、2日目が一番辛いのだが、今回は、筋肉痛も疲れもなく、快調に歩けた。明日はどうか?
今日は、土曜日なので、東海道歩き旅の人が非常に多かった。
今夜の宿だが、大磯にはなかったので、小田原で探して、駅に近い格安のプラムホステル(3300円)を予約しておいた。大磯から電車に乗って小田原へ移動。
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前もって調べていたので分かっていたが、しっかりした造りの2段ベッドが5組だけだった。部屋の造りや名前から覚悟はしていたが、案の定ほとんどの客が欧米系だった。周りは英語しか聞こえない。
当然浴場はなく、シャワールームだけ。ブログを途中まで打ち、近くのコインランドリーで洗濯をしながら続きを打った。これが終わったら夕食。
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夕食は、「宿場そば」(1700円)~小田原は9つ目の宿場なので、9種類のそばだそうだ。これに、生ビール1杯
保土ヶ谷駅から旧東海道に戻り、6:00スタート。まだ18℃で涼しかった。昼は28℃まで上がる予報だったので、最初から半袖Tシャツにハーフパンツ。しかし、気温の上がった後半は海からの風が涼しく心地よかった。
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駅前の旧街道からすぐに、国道1号と合流する。保土ヶ谷宿は、武蔵野国西端の宿場で、本陣跡も脇本陣跡も残っていて、マンション街の中に数軒の旧家らしい建物も残っている。
東海道最初の難所とされた権太坂に差し掛かる。ここから国道1号と別れるが、国道の反対側を歩いていて、その分岐が分からず1kmほど国道を進んでしまった。戻って交番に聞いたら、すぐ裏が権太坂への登り口だった。
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昔より緩くなったとはいえ、約1.5kmにわたるだらだらした上りは、結構きつい。周りはマンションと住宅が立ち並んでいる。ちなみに、国道1号にも権太坂はある。
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武蔵・相模の国境の境木地蔵を越えると、焼き餅坂の下りとなる。
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下りの続きの品濃坂の途中に「品濃一里塚」があるが、ここは中仙道でよく目にした土盛りの塚の上に木を植えたものが道を挟んで、対になって完全な形で残っていた。
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国道1号と合流すると間もなく戸塚宿の入口となる。戸塚宿の歩道のマンホールの蓋は、箱根駅伝の絵が絵が描かれていた。ここは、戸塚中継所があるところだ。今日は、国道1号の歩きが多かったので、箱根駅伝で聞いたことのある地名が多かった。
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戸塚宿は、大山や鎌倉への道があり、それらの参詣客でも賑わった宿場らしい。当時の面影はほとんど残されていないが、本陣跡の碑はあった。
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国道から旧道に入ってすぐにある「仮名手本忠臣蔵」に因む「お軽勘平 戸塚山中道行の場」。ここを過ぎると再び国道1号の歩きとなる。
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藤沢宿は、時宗の総本山遊行寺の門前町で鎌倉時代から栄えたところである。その境内へ寄ってみた。広大な境内のイチョウの大木と本堂を写す。
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藤沢宿の中心部は、国道から離れて旧道を進む。藤沢宿本陣跡の説明板。
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再び、国道1号と合流し、平塚宿までの長い国道歩きとなる。茅ヶ崎までは、入口からずっと東海道のシンボルともいえる松並木が保存されていて、市街地の中にも松並木が多い。
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茅ヶ崎を過ぎて、平塚宿への途中の橋の上から左手に白い富士山が見えた。左手に見えるのが意外だったが、その橋を渡り終えたところに「南湘左見の富士」の説明板があり、東海道では、吉原とここだけとのこと。
その先の相模川の橋の上からは正面に見えた。
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平塚宿は、東海道有数の規模を誇った宿場だったが、現在でも湘南の中心地で、駅も立派だった。
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どこの宿場にも、江戸側の入口には江戸見附、京都側の入口には上方見附があった。宿場の出入口の見張り所のようなものだったようだ。
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平塚宿にも本陣跡も脇本陣跡も碑や説明板だけだが2ヶ所あった。
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街道から少し入ったところに、平塚の地名の由来となった平塚があるというので寄ってみた。
857年、桓武天皇の孫高見王の娘政子が旅の途中この地で亡くなった。塚を造って葬ったが、長年の風化でその塚が平になったとのこと。
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平塚宿を抜けて、大磯宿を目指すと、右手にこんもりとした高麗山が見える。高麗人が住み着いたとか?
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国道沿いに建つ珍しい茅葺きの家
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大磯宿へは、国道から離れて旧道となる。これまでにない珍しく自然度の高い道だった。
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この坂が広重の大磯宿の絵になっている。
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15:15、今日のゴールの大磯駅。スタートして、ちょうど9時間だった。昨日より2km長いのに、1時間速かった。昨日はカッパを着て傘を指しての歩きだったし、今日の方が単調な国道歩きが長かったのでペースを上げることができたからであろう。
いつもは、2日目が一番辛いのだが、今回は、筋肉痛も疲れもなく、快調に歩けた。明日はどうか?
今日は、土曜日なので、東海道歩き旅の人が非常に多かった。
今夜の宿だが、大磯にはなかったので、小田原で探して、駅に近い格安のプラムホステル(3300円)を予約しておいた。大磯から電車に乗って小田原へ移動。
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前もって調べていたので分かっていたが、しっかりした造りの2段ベッドが5組だけだった。部屋の造りや名前から覚悟はしていたが、案の定ほとんどの客が欧米系だった。周りは英語しか聞こえない。
当然浴場はなく、シャワールームだけ。ブログを途中まで打ち、近くのコインランドリーで洗濯をしながら続きを打った。これが終わったら夕食。
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夕食は、「宿場そば」(1700円)~小田原は9つ目の宿場なので、9種類のそばだそうだ。これに、生ビール1杯