癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

4日目 10箱根宿~11三島宿~12沼津宿~13原宿〈26.4km 〉

2017年05月29日 | 登山・旅行
 今日は、距離が短いので、焼きたてパンとコーヒーやジュースだけの朝食を摂り、バスで移動して、箱根関所跡を8:00にスタート。

 箱根関所は、「出女に入り鉄砲」と江戸を護るための厳しい取り締まりが行われていた関所で有名だ。今は復元されて観光名所になっていて、昨日のゴール後に観た。

 関所を越すと、箱根宿である。登り下りが厳しいので、ここで泊まる大名が多かったので、本陣も道中で最多の6軒もあったそうだ。しかし、今はその面影やその史跡すらない。

    
 5分ほどで、TVで見慣れた箱根駅伝の折り返し地点の広い駐車場に到着。そこには、富士山をバックに、箱根駅伝のいろいろな碑が立っていた。

 やがて、山の中の西坂と呼ばれる旧道へと入っていく。箱根街道の最高地点である箱根峠(854m)までは、上りが続く。

    
 昨日の東坂よりは、地形も穏やかで、それほど厳しい道でない。しかも、石畳の道も広く、とてもよく整備・復元されている。

    
 道端の徳利雲助の墓。元武士で剣術指南も勤めた大酒のみの男が、雲助に成り下がったが、学があるので、雲助仲間から頼りにされ、とても慕われたらしい。亡くなったときに、雲助仲間が酒好きの供養のため金を出しあって徳利の形の墓を建てたそうだ。

    
 北条氏が建てた山城・山中城址の北の丸があったところ。豊臣秀吉に滅ぼされたらしい。

    
 旧道の下に三島市街地と駿河湾を見下ろす。

    
 深く掘れた下に石畳が敷かれている、旧道の雰囲気を残す臼転坂。

    
 三島宿へ下る途中からの富士山

    
 旧道から国道1号へ交流する地点の箱根路と掘られた大岩

    
 三島宿への車道に保存されている松並木と石畳の歩道

    
 三島宿の入口に位置する三島大社。三島宿は、三島大社の門前町として栄えた所である。

    
 三島大社名物福太郎とお茶のセット

    
 箱根越えが終わったところで、ちょうど昼になったので、大社向かいの中華料理店で、冷やし辛口担々麺と三島B級グルメの三島餃子を食べた。三島産の野菜と豚肉を使っているらしい。ここの店は皮に人参の粉を混ぜているとのこと。

    
 三島の商店街

    
街道の面影はないが、商店街に向かい合って本陣跡の碑が2本立っていた。

    
 沼津宿へ向かう途中の寺の境内に残っている一里塚。対になっている片方は向かいの神社の敷地の中。

    
 長沢八幡宮境内に残る源頼朝と源義経が初対面したときに腰かけた対面岩

    
 やがて、沼津宿へ入っていくが、城下町として栄えたので、桝形があり、旧道はジグザグに曲がっている。宿場町としての面影は唯一見つけた川廓通りの説明板。

    
 昔の宿場の中心地だった町並み

    
 あとは、ひたすら県道163号を歩き、原宿を目指す。

    
 原宿は道中もっとも規模の小さかった宿場で、当時の面影を残すものはないとのことだった。商店街もないか、本陣跡の碑を見つてうれしかった。

    
 15:35、8時間で、今日のゴールの原駅に到着。駅前の旅館は、昨夜電話したら、休業中のようだった。仕方ないので、沼津に戻ることにして、昨夜の内に沼津KKRはまゆうに予約を入れておいた。
 
 すぐに来た電車に飛び乗って沼津駅に降りたら、16:00に予約もしていなかったのに迎えのバスが来た。予約なくとも毎日この時刻に迎えに来るとのこと。助かった。

     
 16:15、今日の温泉宿、KKR沼津はまゆう到着。素泊まり4,650円。早速温泉で疲れを抜いた。
 
 ただし、夕食できる所が15分も歩く中華料理店のみ。昼も中華だったが仕方なく、野菜のたくさん食べれる中華飯にした。

 昨日の山登りが効いたのか、今日の見所の少ない午後の県道歩きが辛かった。天気は良かったが、汗が出るほどではなかった。しかし、一昨日と今日の日焼けが痛い。