癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

5日目 12原宿~13吉原宿~14蒲原宿~15由比宿〈26.7km〉

2017年05月30日 | 登山・旅行
 いつもなら、脚が楽になる頃だが、箱根越えのせいか、今回は、今日が一番疲れを感じている。しかし、距離が短くて助かった。

 宿からバスと電車を乗り継いで、原駅を6:40にスタート。すぐに旧東海道へ出る。

    
 この辺りが、富士山が一番近くに見えるところである。
 優美な富士の容姿とは対照的な武骨な愛鷹山(二百名山なので登っている)も右に姿を見せている。しかし、先へ進むにつれて、その2つは離れていき、富士の右の裾野ラインも見えてくる。昔は、次の吉原宿までは、右に富士を、左に遠く田子の浦や伊豆半島を眺めながらの快適な歩きだったようだ。

    
 原駅からすぐの高嶋酒造は、江戸末期の創業。銘酒で名高い「白隠正宗」は山岡鉄舟の命名とか。

 次の吉原宿までは、ひたすらまっすぐな県道歩きが続く。昔は、田子の浦を眺めながらの歩きだったようだか、今は、建物が邪魔で全然見えないのが残念。

 吉原宿は、高潮の被害で、2回も北へ移動したらしい。大きく北へ迂回するのは、そのためである。

    
 そのお陰で?北側に富士が見える名勝左富士神社もあり、広重はその富士を題材にして、吉原宿を描いている。

 やがて、吉原宿へと入っていくが、宿場の中心地は、近代的な商店街になっていて、当時を偲ばせるものはほとんど残ってないという。確かにそうだった。

    
 繁華街から振り向くと、真後ろに富士山が見えた。

 やがて、富士川へ差し掛かる。この川は、フォッサマグマを構成する大地溝帯を流れる川である。 

    
 富士川橋の手前の渡船場跡などの碑

    
 橋を渡って対岸の渡船場跡にも行ってみた。常夜灯が設置されていて、史跡説明板もあった。今日の富士山は、ここが見納めだった。

    
 そこから、車道を挟んですぐ向かいの急な坂道を登る。非常に狭く江戸時代のままの道幅のようだ。

    
 住宅は連なっているが、峠越えのような坂道が続く。排水溝の蓋が面白い。この岩淵は、間の宿だったところだそうだ。

    
 蒲原宿へ下っていく途中の、対になって残っている「岩淵の一里塚」

      
 坂を下って行くと、路面の舗装の色が変わっている所がある。ここからが、蒲原宿ということらしい。

 このことからも分かるが、蒲原宿は、昔の風情を色濃く残す町である。ここまでの東海道では、見られなかった古い建物が多く残っていて、中山道を思い出す。

    
 しっかりした塗りの佐藤家

    
 昔の姿を見せている本陣跡の建物。中山道では本陣の建物が多く残っていたが、東海道では初めてだった。
 これらはほんの一部だが、土蔵造りの家や、黒塗りの塀など、古い建物があちこちに残っている。

    
 大正時代のモダンな洋館風の「旧東五十嵐歯科医院」
 
 宿場を抜けて県道に出ても、そのような古い家並みが、由比宿までずっと続く。

 東の木戸跡の先が、由比宿である。

    
 いきなり大きな古い建物が目に入る。昔の飛脚の引き継ぎ場所の役所跡だったらしい。

    
 豪華な由比宿本陣跡公園。ここも、蒲原宿と同様に、昔の風情を残して、観光客が多かった。この公園の中には、交流センターや安藤広重美術館などもある。

    
 安藤広重美術館

    
 その道路を挟んだ向かい側には、江戸時代の軍学者由比正雪の生家「正雪紺屋」。今でも紺屋を営業している。

 ここに着いたのが、14:00。スタートして、7時間40分だった。今晩の
宿は、その街道の先1kmのところである。まだ、チェックインには早すぎる。

    
 少し先にあった「由比宿おもしろ交流館」のレストランへ。

    
 暑かったので、つい、桜えびの唐揚げと生ビールで乾杯。
 由比は、日本一の桜えび産地で、町のあちこちに桜えびとしらすの幟が立っている。

    
 レストランの窓から眺める海岸線と明日越える薩捶峠。
 ブログの下書きをしながら、1時間ほど休憩して、宿へ向かった。

    
 今日の宿は、初めて、ゴールした宿場の中の「割烹旅館西山」。レストランも経営していて、評判も良さそうだし、桜えびを中心とした海鮮料理も楽しめそうだ。3段階あったが、一番安いコースで、2食付き8,800円。

 15:30には、チェックイン。早かったが、すぐに風呂に入ることができた。
 
    
    
 今が最盛期という桜えび尽くしの料理。鍋は、卵とじで食べるという。

⭕GPSに助けられて
    
 3日目からは、道をほとんど間違っていない。それは、何かのときに使おうた思って持参したGPSのお陰である。

 箱根越えのときに、高度を見ようとスイッチを入れたら、旧東海道か色付きで載っていることに気付いた。自分の位置も分かるので、ガイド本よりずっと分かりやすい。特に、市街地や宿場の中をくねくね曲がるときは最高だ。それでも、分岐を間違って進むこともある。しかし、すぐに間違いや戻り方が分かる。

⭕Ko玉さんの訃報

     
 昨日の午前中、歩いているときにCCメールが入った。数十回は同行しているKo玉さんが亡くなったとのこと。
 前人未到の北海道の名前のある山全山を踏破するという登山史に残る業績に輝く岳友(61歳)である。

 最後に会ったのは、昨年の祝賀会たったと思う。こちらの本に帯する祝意と感想のメールをいただいたのが、先月末だった。すでに緩和医療の病院に転院していたときで、今月一杯は持たないだろうと聞いていた。

 札幌出張のときに、お見舞いにいくつもりだったが、熱がが出て不調とのことで、遠慮してほしいとのことだった。実は、死を覚悟している本人に会うのは辛かったので、ほっとしていた。だから、自分の中では、元気な頃のKo玉さんの記憶だけだ。

 実は、今、西條さんを中心に彼の業績を讃える記念誌を作成中である。その発刊にもまにあわなかっのが残念である。

 上掲の写真は、彼が函館勤務の最後の09年の雨の中の松前の「大滝山~初神山」のときのものである。その後も何度もご一緒しているが、彼の希望で、このときの山行の原稿を、この写真も一緒に記念誌に寄せてある。

 帰ったら、お宅へ弔問に伺うつもりだ。合掌。