癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

我が家の猫額庭の花々

2017年05月18日 | 花・紅葉だより

今年、このほかに2株、合計8株の花を付けたクマガイソウ

 今日は、朝から、このたびの8日連続登山の記録をHPにアップし終えた。
 http://sakag.web.fc2.com

 その間に気温が上昇して暖かいので、我が家の猫額庭の草取りをして、花々をカメラに収めた。


サラサドウダン


もう終わりかけのシバザクラとオダマキ


ボケの花


これから咲きだすツツジ


12個の蕾を付けた緋牡丹

残念な結果~談話掲載~

2017年05月17日 | 日常生活・つぶやき

本日の北海道新聞1面
 
 一昨日、札幌丘珠飛行場を飛び立った自衛隊偵察機が、北斗市の戸田川上流付近の山中で消息を絶ったというニュースを見て、天候が悪くヘリは使えないので、捜索は大変だろうと思っていた。

 そんな昨日の8時半ごろ、北海道新聞社函館支社から電話があった。「坂口さんのホームページを見ると、現場付近と思われる袴腰山と不二山に登っていますが、あの辺りはどのような状況なのですか?」との内容だった。自分が登っているのは、残雪期で、今のようなヤブこぎが想定される時ではない。

 どちらの山も急斜面も崖もあるし、ネマガリダケなど背丈を超すようなヤブこぎも予想される。いずれにしても、人による捜索は大変だと思う。山の斜面にぶつかっているのなら、林道や作業道から見えると思うが・・・などど、思いつくまま、向こうの質問に答えておいた。

 しかし、昨日の午前中に、袴腰山の東3kmほどの地点の斜面に激突して大破した残骸や遺体が見つかったというニュースを見て、意外と早く見つかってホッとしていた。新聞社からの電話のことも忘れていた。




 道南版の記事を何気なく読み進めて行くと、自分の昨日の電話取材の内容が載っていて、ビックリ!
 

 自分の電話取材の内容が書かれている記事

 電話に答えているときは、まさか取材だとは思っていなかったので、どんなことが書かれているかヒヤヒヤだった。しかし、なんとか上手くまとめてくれていて、胸をなでおろした。

『山と渓谷』6月号にも掲載

2017年05月16日 | 登山・旅行


 5月15日発売の『山と渓谷』6月号の「おすすめの本」のページに、拙著『ほっかいどう山楽紀行』の紹介記事が載った。


 書いてくれたのは、江別在住のフリーライター長谷川哲さん。哲さんは、元山と渓谷社社員で、現在は『北海道夏山ガイド』の執筆者の一人であり、HYMLメンバーでもある。

 彼とは、10年以上のお付き合いになる。『夏山ガイド』の取材に何度も同行しているし、我が家にも泊っている。また、クロカンスキーの大会でも毎年顔を合わせている。特に「湧別原野オホーツククロカン85km」にはお互いに毎年出場している。今年は、大会終了後、同じ宿に泊って完走祝いをし、翌日、彼の運転で、プチ観光ドライブも一緒にしている

 それだけに、この本の紹介はもとより、この本の背景となった私個人の山歴のことも詳しく紹介してくれているのがうれしい。


なお、今日は早く目が覚めて眠れないので、札幌を3時に出て、7時半には10日ぶりに帰宅した。

「小金湯さくらの森」ほか

2017年05月15日 | 登山・旅行

 今朝は、豊滝除雪センター駐車場で朝を迎えた。朝方は雨が少し降ったが、すぐに止んだ。そこで、小金湯温泉入口と国道を挟んで向かい側に、昨年オープンした「小金湯さくらの森」をぶらぶらしてきた。


 この公園は、札幌市の「さくらの名所づくり構想」に基づき、5年間の造成工事で生まれた公園である。


 これから数十年後のさくらの名所を見込んで、ほとんどが幼木だが、エゾヤマザクラ600本を中心に11種類800本の国内のいろいろな桜を植えている。ちなみに、記憶に残っているだけで、エゾヤマザクラのほか、ソメイヨシノ、普賢像、鬱金、関山、天の川、糸括り、チシマザクラ、クナシリコウヨウほか。


こんな根元から分かれているサクラが数十年後にはどんな木になっているか楽しみだ。自分は生きてはいないが…。


 花の付きかたからソメイヨシノかと思ったらエゾヤマザクラだった。


チシマザクラ


初めて目にしたクナシリコウヨウ

⭕共同文化社に寄りさらに40冊入手

 拙著『ほっかいどう山楽紀行』だが、手元に5冊しか残っていないので、新たに40冊をもらってきた。これで、2000冊の内、自分で捌くことになったのは、680冊となる。

 出版社の方へも追加注文が続いて、在庫が200冊を切ったらしい。今までに、わずか1ヶ月でこんなに売れ行きの良い本はなかったとのことで、現在、増刷をどうするか検討中とのこと。

⭕退職組織道本部の副会長を降任


 今日は午後から退職組織道本部の総会・懇親会だった。2年務めた函館支部長の充て職の本部副会長の任を降りることができた。もう会えない方々に挨拶をして回った。これで、少し肩の荷が軽くなった。

 あと、もう片方の肩の荷であるスキー関係道本部の12年間務めた副会長も、8月の総会で降りることになっている。両方の肩の荷が降りたら、ますます飛んで歩きそうな予感バッチリ!

硬石山(三角点391m~最高点397m) & 豊平山(691m)

2017年05月14日 | 登山・旅行

〈国道230号から眺める石切場左側の硬石山三角点ピーク〉

 雨がらみの予報だったが、午前中は持ちそうなので、未踏だった札幌50峰の硬石山へ。国道230号の石山交差点の少し先から左側に見える石切場の左側の山だった。


 GPSトラックログ


 登山道はないが、石山橋のそばの水道施設の沢から登られているようだ。その入口までの踏み跡もあった。


 沢を源頭近くまで登り、尾根に乗ると、そこにもはっきりとした踏み跡が三角点ピークまで続いていた。


 わずか30分で三角点ピークに到着。展望は木々の間からちらっと市街地が見えるだけ。


 ヤブは濃いが、稜線続きのコルの反対側に最高点ピークもあるらしい。コルまで戻るときに、そのピークが見えた。


 笹ヤブの中に微かに人やシカが歩いている痕跡があり、ピンクテープも付いている。予想したより濃いヤブでもなかった。


 木の種類は不明だが、まっすぐ伸びる同じ木の群生。


 これも種類は不明だが、大きく枝を広げた木も2本ほどあった。


 三角点ピークから20分で最高点ピークに到着。ここにも標識があった。

 コルまで戻り、30分でゴールイン。トータルで1時間20分だった。

⭕次に、豊平山(焼山)〈藤野コース〉へ


 〈小金湯温泉付近から眺める豊平山(右)〉

 国道230号を定山渓から札幌市街地へ向かう途中に嫌でも目に入る鋭く尖った端正な豊平山。地図上では焼山。山容からも360度の展望かがすばらしい山だ。

 この山は、5/7に盤の沢山に一緒に登ったnagaiさんが開削整備した簾舞コースから1度登っている。しかし、そのコースは最近土地所有者によって通行止めにされたらしい。そこで、彼の勧めもあり、やはり彼が砕石場関係の旧道跡(林道跡かも?)を利用して、開削整備した藤野コースから再訪することにした。この山も札幌50峰らしい。


 GPSトラックログ


 登山口から少し進むと、川沿いの道が続く。そこ先に山頂が見える。


 やがて、古い砕石場道跡か林道跡と思われる道に合流。北尾根までその道は続いていた。途中に、北尾根コースと東面コースの分岐があった。右の北尾根コースを進み、帰りに東面コースを下ることにした。


 途中に、珍しいホソバエゾエンゴサクが固まって咲いているところがあった。


 北尾根に取りついたら、以前に豊平山から豊栄山へ縦走したときに下った道だった。振り返ると、その豊栄山が見えた。nagaiさんの手による新しい「縦走禁止」の看板が設置されていた。


 厳しい急登が続く。上の方は虎ロープが設置されていた。


 55分で、2度目の頂上到着。余市岳や定山渓天狗岳などをバックに記念撮影。


南西方向には、5/7に登った盤の沢山とその後ろに札幌岳。


 南側には、支笏湖周辺の山々。


東面コースのシラネアオイ


同じく、エゾキケマン

 下りは、距離の長い林道跡?のくねくね道だったが、50分でゴールイン。

 下山して間もなく雨が降ってきた。しかし、その後、雨は長続きはしなかった。

 11時半頃から、小金湯温泉元湯でのんびと過ごす。

 散歩みたいな低山も多かったが、天候に恵まれて、今日で8日連続の山となった。明日は、午後から会議で、その前に、共同文化社へ出向いて、あと40冊を受け取る予定になっている。

手稲山西峰(991m )~手稲山(1023.1m)

2017年05月13日 | 登山・旅行

 手稲山に登るたびに、西側へ延びる稜線の先に聳える北側に岩壁を巡らせた手稲山西峰(右端)が気になっていた。手稲山山頂からは垂直に切れ落ちた岩壁になっていて、直接下りることは不可能だ。もちろん登山道はない。積雪期に下から登るしかないと思っていた。

 たまたま、「北海道山岳ニュース」の管理人である吉克さんが、GW中に、手稲山スキー場の駐車場から、雪面を繋いで、斜めにトラバースしながら、手稲山と西峰とのコルを目指して登頂し、ピストンしている記録をブログにアップしていた。

 彼に聞いたら、頂上直下までほとんどヤブ漕ぎなしで登れたと言う。それから1週間以上経っているので、ヤブ漕ぎは覚悟でトライしてみた。幸い、まだ、第3駐車場から雪面は続いていた。
 6:50、カンジキを背負って、プラブーツのツボ足でスタート。


 まずは、沢型の中を登っていく。このあと右手の尾根を乗り越えるが、さすが尾根はヤブ漕ぎとなる。その隣の沢型の急斜面をトラバースし、もう1つヤブ尾根を横切って、コルを目指す。


 途中で振り返ると、石狩湾と札幌の町並みが広がる。


 3本目の沢型の急斜面をトラバースして、8:25、手稲山から延びる稜線の先端の岩峰へ上がる。


 その岩峰から西峰を見上げるが、覚悟していた通り、ほとんどがヤブ漕ぎだ。ここでリタイアするわけにはいかない。邪魔になるストックをそこへデポし、ヤブに突入。それでも、所々に雪面が残っていて助かった。


 8:50、25分のヤブ漕ぎで頂上に到着。山頂部は意外と広く、雪で覆われていた。


 頂上は、その奥だが、ヤブの中で、標識もなく、古いピンクテープが結ばれているだけだった。樹間越しに手稲山の山頂部が見える。

 
 9:05、頂上の東端から、手稲山山頂部を眺めて、下山開始。


 岩峰まで戻って、岩壁を巡らせる手稲山の山頂部を眺める。良く見ると、左下にスキー場の管理道路のようなものが見える。
 もし、それがそうなら、手稲山へも寄って、ゲレンデの中を下ることが可能だ。であれば、怖い急斜面の下りのトラバースはしなくて良いことになる。

 近づいて行ってみたら、案の定その上にあるリフト終点から上へ続く管理道路だった。スキーのトレースもある。


 それを辿って左から巻くようにアンテナ群の中を登って行き、一人の先行者に迎えられて、9:40、当初は考えていなかった手稲山頂上に到着。


 早速、柵を乗り越えて、ヤブ漕ぎで往復した岩峰から西峰までの稜線を眺める。念願の西峰登頂が叶った満足感に浸る。


 10分ほど休んで、下りは、まだ、コブの残るゲレンデの急斜面をグリセードまがいの立ち滑りを楽しみながらどんどん下る。最後は少し車道を歩いてゴール。10:30だった。


 ゴール手前で目にしたエゾノリュウキンカ

 今回の西峰から手稲山へのコースを逆に利用すれば、下から直接登らなくても、手稲山から往復することは可能だ。時期的に、もう少し早ければヤブ漕ぎもない。

 登り、西峰まで2時間、手稲山まで35分、下り40分。それぞれの山頂での休憩時間を含めても、3時間40分の大満足の周回登山だった。

 下山後は、ていね温泉ほのかでまったり過ごす。夜は、ブログ「田舎おじさん、札幌を見る!観る!視る!」のMaruさんから、登山中にお誘いの電話があり、軽く飲む予定となった。

鬼斗牛山(379m)

2017年05月12日 | 登山・旅行
 
〈山頂から南側の水田地帯を眺める〉

今日は、雨予報だったので、特に予定は立てなかった。朝から徐々に天気は良くなったが、旭川道の駅でのんびりし、近くのコインランドリーでお洗濯。

 その後、旭川近郊の簡単に登れる山はないかと検索したら、東鷹栖に登山道が整備されている鬼斗牛山がみつかった。キトウシとは、「ギョウジャニンニクの多いところ」の意味で、全道各地に、漢字は違うが、「キトウシ」の地名や山は結構多く存在する。


東鷹栖の農道から眺める鬼斗牛山


GPSトラックログ


「急登コース」を登った。登山道には、すでに終わったカタクリの群生が見られた。その時期に来たら見応えがあると思われる。


わずか20分で山頂到着。周りには水田地帯の景観が広がり、東側には十勝連峰や表大雪の山並みが見えた。


下りは、南東尾根の緩やかなコースへ。エゾヤマサクラがちょうど見頃で、山肌を彩っていた。

南東尾根コースを登り口から振り返る。こちらの道の方が良く歩かれているようだ。


山の裾を通っている林道を新緑を楽しみながら歩いて、トータル35分のお散歩周回登山が終了。

 明日は、手稲山西峰の予定なので、のんびり札幌まで走った。


 夕食は、たまたま見つけた室蘭やきとり「一平」で。

手ぬぐい山(208m)・通称「三角点」(437.3m) & 上湧別チューリップ公園ほか

2017年05月11日 | 登山・旅行
⭕手ぬぐい山と地元の通称「三角点」(三角点名は文山)


富美共同牧場入口付近から眺める「手ぬぐい山」


〈旧上湧別(現湧別町)町南兵村三区の国道から眺める地元では「三角点」と呼ばれている一等三角点の通称富美山(点名・文山)

 この両山は、湧別町の上湧別地区の北側に位置する低山である。この2つの山に興味を持ったのは、毎年参加している「湧別原野クロカン」で懇意になった地元のチューリップおばさんが、コースから見える目立つ山容の山を「三角点」と呼んでいたことがきっかけである。

 普通は、地図上に記載されていない山は、三角点がある場合はその名で呼ばれることが多い。だから、「三角点」と呼ばれているのが不思議で、調べてみたら、一等三角点の山で点名が「文山」だった。「文」はこの地区の地名が富美に起因すると思われる。

 その山を調べているときに、その近くに地形図に記載されている「手ぬぐい山」をみつけた。これは、面白珍名山では、我が道南の貧乏山と双璧となる山名である。

 当然、その由来が知りたくなる。チューリップおばさんに調べてもらったら、「昔、木を切り出して、川を塞き止めてそこへ貯めて、堰を切って流し出すときに下の方へ手ぬぐいを振って知らせたことが由来」とのことだった。

 ということで、さらに検索してみたら、両山にはHYML仲間の「北のかもしか」さんが、手ぬぐい山には、懇意にしてある「地図かガイドの山歩き」のsaijyoさんが登っていた。ちなみに、北のかもしかさんは、地元の通称「三角点」を通称「富美山」としている。

 どちらも登山道などないヤブ山ではあるが、今回の上湧別のチューリップ公園の花の時期に合わせての挑戦となった。午後から雨予報なので、早朝トライとなった。

⭕まずは、手ぬぐい山へ


 この山は富美共同牧場の中にある山である。その標識を参考に進む。
 この時期なら、まだ放牧が始まっていないので、「あわよくばゲートが開いていて、山頂のすぐ下までつづく車道を車で入れるかもしれない」と思った。


 案の定、ゲートが開いていて、山頂のすぐ下まで入ることができた。


 牧柵を潜って、上のヤブを漕いでわずか10分であっけない登頂。


 頂上からは、北側に非常に端正な無名峰は見えたが、手ぬぐいを振って知らせるような集落は見えなかった。

当然、下りは10分も掛からないで下山。


GPSのログ(旗印から往復)


⭕次に通称「三角点」へ


 ここは、北のかもしかさんのGPSトラックログをそのままトレースさせていただいた。


 車道の行き止まりの牧草地からスタート。


 その奥の山林の手前に酪農家の廃墟があった。その右側からヤブに突入。笹が主体の薄いヤブで全然気にならなかった。


尾根に乗るとヤブはなく、快適に歩けた。


 頂上が見えた。


 地元の通称「三角点」の由来となる一等三角点の前で記念撮影。


 樹間から上湧別の国道沿いの市街地を見下ろす。

 登り40分、下り25分の楽勝登山。ゴールが8:50だった。

⭕チューリップおばさんの遠軽高校高校での講義聴講


 前日に連絡メールを入れたら、たまたま10:50~12:25に、遠軽高校のオホーツク風土研究の講師をお願いされているとのこと。部外者も聴講可能とのこと。
 
 時間的に間に合うので、10時から営業するチューリップの湯で汗を流し、着替えをして、遠軽高校へ向かった。

 演題は「上湧別のチューリップと北限のリンゴ」。自分がチューリップに興味を持つようになったきっかけから始まり、上湧別のチューリップ栽培の歴史、チューリップの種類や栽培の工夫や苦労について話され、さらに、屯田兵が始めた北限のリンゴ栽培の歴史についてと続いた。

 対象が進路の選択を迫られている3年生だったので、これらの話の間に触れられていた内容が印象深かったようだ。それは、自分が東京の大学を卒業して東京で働いたが、地元へ戻ってからの生きがいとなっている、郷土愛に基づくいろいろな社会的な活動である。

⭕チューリップ公園へ

 チューリップおばさんの講義を聴いたあとだけに、チューリップを見る視点が広がっていた。


 時期的に1週間以上早かったようで、国道側の早生種が中心で、咲いていたのは、広大な敷地の1/4程度だった。










個人的に一番興味を持った原種。もともとは山野草だったことが良く分かる矮小なものばかり。


これから咲く種類がほとんどの広大な敷地にも驚いた。

 このあと、敷地の中にある上湧別博物館へ。特にこの地の開拓に当たった屯田兵の苦労が興味深かった。

 それにしても、収穫の多い、充実の上湧別の1日だった。
  
 上湧別をあとにして、旭川の道の駅まで走った。明日以降は雨絡みの天気がつづくので計画は立たない。

英嶺山(521.4m)再訪 & 羅臼湖探訪ほか

2017年05月10日 | 登山・旅行

〈国後羅臼港展望台から眺める国後島最高峰爺々岳の上から昇る日の出〉

 今日の国内本土で最も早い日の出は、納沙布岬の3:58だが、羅臼は1分遅れの3:59となっている。納沙布岬の日の出は水平線からだが、ここ羅臼は国後島からの日の出となる。

 それを見たくて、3:30に起きて、国後羅臼港展望台へ。徐々に空が赤くなる。一番赤いのが、国後島最高峰の爺々岳の上。案の定、その左斜面から真っ赤な朝日が顔を出す。どんどん大きくなり、海面を走る光線もそれに合わせて徐々に長くなり、羅臼港に届いた。


朝日に輝く、左から羅臼岳~三ツ峰~サシルイ岳。

⭕英嶺山再訪


〈羅臼岳から半島先端へ向かって連なる知床連山。写っていないが、右奥に知床岳も見えた〉

 知床峠のゲート開門が10:00なので時間はたっぷりある。そこで、2時間ほどで往復できる、羅臼市街地の裏山的存在の英嶺山を再訪することにした。調べてみたら、前回は08年ので、やはり羅臼湖とセットになっていた。このときは先に羅臼湖に登っている。


〈市街地から見上げる英嶺山(右上)と羅臼岳〉

 山名は、戦没者慰霊碑の裏に聳える山なので英霊山と呼んでいたが、英嶺山に変えたという。

 登山口は羅臼中学校の裏にある。前回より300m上の林道との分岐まで上がっていた。


登山届けボックスにあったコース図


ダケカンバ林の中に、羅臼山岳会が整備している快適な登山道が続く。


山頂をバックの四ツ倉沼


頂上から遠音別岳(左奥)~知西別岳~天頂山(右)


国後島


頂上直下から四ツ倉沼と羅臼市街地を見下ろす


ヒメイチゲ


ミヤマスミレ?

 6:30スタート。登り1時間、下り45分。8:25ゴール。前回は知床連山も国後島も見えなかったので、再訪の甲斐があった。

⭕羅臼湖探訪


〈半分ほどしか解けていない羅臼湖。後ろは知西別岳〉

 昨日は天頂山から眺めた羅臼湖だったが、今日はそこまで往復することにした。この時期の羅臼湖を見たかったのと、夏に一度行ったときには羅臼岳が見えなかったからである。

 雪で覆われた夏道もあるが、昨日、Moさんから、さらに車道を上に進み、駐車帯のあるところからなら、この時期ならではの最短距離で行けることを教えてもらった。

 ビジターセンターで時間潰しをして10:00にゲートが開くのを待った。登山道入口の見返り坂より少し上にある駐車帯からスタート。昨日までのトレースも残っている。かんじきはもったが、結局は今日もツボ足で済んだ。


 古いトレースを辿り、高台に出ると、知西別岳が見えてくる。

 夏は羅臼岳を湖面に映す人気の三の沼で登山道に合流したが、まだ雪がほとんど解けていなかった。

 その先の湿原を越えると、多くのトレースが登山道を外れて左側の雪面に続いているので、そちらへ向かってまた。


 その先には、この時期しか見ることのできない無名の沼が、羅臼岳を背景に見事な絶景を作り出していた。帰りにはビジターセンターで聞いたら、ガイドさんたちが「幻の沼」と呼んでいるとか。

 このあと、登山道へ戻る近道はないかと、古いトレースを頼りに、雪面をあちこち進んでみたが、ことごとくハイマツ帯に阻まれては戻るを繰り返した。結局、急がば回れの結果となった。ハイマツ帯も登山道は通れるので、その後は、GPSを頼りに地図上の登山道を辿った。


まだ解けていない四の沼


満々と水を湛えている五の沼


ゴールの羅臼湖から、昨日登った天頂山を見上げる。

 戻る最中に、あとからやってきた4人と出会った。

 10:25スタート。登り1時間15分、下り35分。ゴール12:35。


 下山後、往復20分ほど歩いて「熊越の滝」を見る。

 その後、昨日に引き続き熊の湯に入って、羅臼をあとにする。

 明日は、雨予報だが、上湧別の珍名山の手ぬぐい山と、一等三角点の通称富美山(どちらもヤブ山)と、チューリップ公園の予定である。少しでも近いところと、網走の道の駅まで走って、そこに泊まることにした。

天頂山(1046m)

2017年05月09日 | 登山・旅行

〈ルート上から見られる2つ目の火口湖と羅臼岳をバックに〉

 今回の山旅の一番の狙いだった天頂山。知床半島の根元から連なる斜里岳、遠音別岳、知西別岳と登っていたが、知床峠を挟んで羅臼岳と対峙するこの山は未踏だった。

 この山へのルートは、知床峠が開通する直後の5月上旬から中旬までの積雪期が狙い目である。そこで今回の挑戦となった。

 今年の5/5にトライしたが、やばいトラバース地点で諦めて戻って未踏のままだという中標津のMoさんを誘って、同行の約束を取り付けた。

 ところが、雨の昨日は通行止めだった。てっきり積雪で通行止めになったと思っていた。それなら、今日もダメだろうとあきらめていた。しかし、今朝Moさんから電話があり、「昨日は、雨で凍結の恐れがあったので通行止めになったけど、今日は晴れているので大丈夫だろう」とのこと。

 9時過ぎに、車中泊した羅臼道の駅に彼はやって来た。熊の湯の入口にあるゲートまで行く途中の道路情報では、「通行可能」に変わっていた。
 10時にゲートが開いた。知床峠の駐車場まで行ってスタートの用意をする。かんじきは背負ったが、最後までツボ足で往復できた。


 10:25、知床峠から後ろの天頂山をバックに写真を撮ってスタート。


 車道をウトロ側へ10分ほど歩く。見えている最高ピークは目指す天頂山


 雪が頂上手前までずっと繋がっている斜面に取り付く。途中3つの火口湖を左下に見ながら登るルートだが、1つ目の火口湖の上に出ると、それはまだ雪の下だった。


 やがて、2つ目の火口湖の右側の急斜面が目に入ってくる。上のハイマツまで登り、ハイマツ沿いに進むが、Moさんは、その先の下に突き出た岩場までの下りのトラバースが怖くて、その上のハイマツ帯に入って撤退したという。

 自分も高所恐怖症だが、二人だと心強い。ここからは、自分が先に出て慎重に進んだ。間違いなく、ここがこのコースの核心部だった。
 下に向かって突き出た岩場を越えると怖いところはない。ホッとして振り返ると、火口湖と羅臼岳が見える(冒頭の写真)。


 あとは、若いMoさんが先に出て、頂上手前のハイマツ帯を目指して登って行く。


 途中で左下に3つ目の火口湖が見える。


 どうしても漕がなければならないハイマツ帯の手前まで来ると、正面に知西別岳と左下に羅臼湖の眺めが広がる。

 頂上までのハイマツ帯の手前にリュックとストックをデポして、空身で突入。途中雪面が出ている所もあり、10分ほどのハイマツ漕ぎで、やはりハイマツに覆われた頂上に到着。


 頂上標識はないので、Mo さんが用意してきた山名と登頂日を書いた紙を持って記念撮影。

 360度の展望が広がる。東には羅臼岳、北にはオホーツク海、西には知西別岳、南には国後島。
 風が強くて寒いので、すぐにハイマツを漕いで、リュックのデポ地点へ戻る。そこは風が当たらなくて暖かいので、15分ほど昼食タイム。


 登りでは怖くなかった下りのトラバースは慎重に下る。振り返ると、自分たちのトレースがはっきりと見えている。

 登りで怖かった核心部は岩場を巻くところ以外は、登りのトラバースになるので怖くはなかった。そこを越えると、あとはルンルン気分の下りである。遠く離れた念願の登頂が叶った満足感・達成感の余韻を胸に、車道を10分ほど歩いてゴール。

 2つ目の火口湖の上の急斜面のトラバースは怖かったが、あとは覚悟していたハイマツ漕ぎも含めて、意外と楽勝の思いが強かった。

 登り1時間30分、下り(昼食タイム15分を含む)1時間10分。ゴール13:10。ゲートが閉まる時間は15:30なので余裕のゴールだった。

Moさんも、「二人なので心強かったし、誘っていただいたお陰でようやく登頂できた」と喜んでくれた。


 帰りには、羅臼の名湯である露天風呂「熊の湯」で汗を流して疲れを癒す。Moさんは先に帰路に就いたが、自分はさらにのんびりと入っていた。

 コンビニでビールを買って、羅臼道の駅まで戻り、14:30から飲みながらブログを打つ。


 早めの夕食は、道の駅併設の知床食堂の羅臼昆布ラーメン。麺に昆布の粉末が練り込まれている。

 明日は、一人で上から眺めた羅臼湖まで往復する予定。夏に一度行っているが、その時は羅臼岳が見えなかった。明日は好天予報なので見えるだろう。

義経山(294m)ほか

2017年05月08日 | 登山・旅行

〈途中のピークから、山頂を望む〉
 本別町は義経伝説を観光資源としている。この義経山も、「義経の里本別公園」から2本の登山道が整備されている。今までにこの公園には2度来たことはあるが、低山ということもあり、この山には登っていなかった。しかし、検索してみたら、多くの岳友たちも登っている。


yoshioさんのサイトから借用。この反対周りをした。

 朝の内は、雨が降っていなかったので、この山に登ろうと本別町へ向かった。


義経像と弁慶像が設置されている本別公園。案内板にも、義経山への2本の登山道が描かれていた。

時計回りに歩くことにして、登山口へ。鹿柵を開けて、登山道へと入る。


下の方は、道沿いに群生するオオサクラソウロードだった。

急な道を登っていくと、1つ目のピークに到着。目指す頂上は見えるが(最初の写真)、そこから、下って登り返すことになる。


2つ目のピークの根元へ登って行く。ここが、帰りのコースの分岐だった。あちこちに咲いているムラサキヤシオツツジがきれい。


そこから、再び下っていく。細いところもあり、結構な高度感のあるところもある。標高の割りに所要時間が長いのは、これらのせいだった。


頂上部分を形成している岩の下の「源氏洞」


その先には、苦手な急な階段。恐る恐る登ると、さらにもう1段。右から巻くように登っていくと、高度感のある頂上に到着。


頂上にて。手前の残骸は、あとで判ったが、昔の義経神社の基礎部分。


眼下に、本別町市街地が見える。
下山を開始しようとしたら、雨が降ってきた。慌ててカッパを着て、雨中の下山となった。


分岐から下りに使ったコースのピークに建っていた義経神社。大正年代には頂上にあって、昭和年代にここに再建されたらしい。


雨の中に、エゾヤマザクラとムラサキヤシオツツジが咲き誇る反対側の登山口へ到着。
公園の中の車道を10分ほど歩いて、循環縦走が完成。
結果的に、アップダウンが激しく、岩山ゆえに高度感のある、小粒ながらもピリリと辛い山だった。

登り40分、下り45分(下山後の車までの移動も含む)。


車で移動して、少し歩いて、「弁慶洞」を見上げる。

⭕オンネトーへ寄って、羅臼道の駅まで


途中、雨が上がったので、オンネトーへ寄ってみた。阿寒富士と雌阿寒岳の山頂部は雲の中。


雌阿寒温泉の大好きな野中温泉本館の温泉でまったり。200円がうれしい。

その後、また雨が振り出した。当初は中標津まで走るつもりだったが、時間的に早いので、羅臼道の駅まで走ることにして、明日同行してくれる中標津のMo さんに電話を入れた。

そうしたら、「知床峠は積雪状態で通行止めになっている。明日も解けなければ、通行止めが続くらしい」とのこと。

それでも、そのまま羅臼の道の駅まで走った。ずっと雨が降っていた。下の気温も6℃しかない…ということは、積雪が続いているということだ。明日は、ほぼ絶望だろう。天気予報は最高なのだが…(涙😂)

北海道の端から端まで縦断してきて、おめおめと戻るわけにはいかない。こうなったら、あちこちウロウロしながらでも、日程的に許される1週間は粘る覚悟だ。

盤の沢山(最高点939m・三角点ピーク893m)

2017年05月07日 | 登山・旅行

 盤の沢山は、地図上では無名峰だが、国道230号を札幌に向かうと、豊滝地区の右手に細い稜線を際立たせる非常に目立つ山である。

 この山には、昨年まで登山道はなく、主に積雪期に登られる山だったようだ。しかし、昨年この山に登山道が開削され、コース案内表示板が整備された。それを一人で成し遂げたのが、HP「老後楽登山」の管理人の82歳になるnagaiさんである。

 nagaiさんは、この山だけでなく、南区の登山道のなかったあちこちの山に登山道を付け、丁寧な案内表示を設置している凄い方である。

 メールや電話ではやり取りしているが、まだお会いしたことはなかった。今回、この山に登るには、ぜひご案内いただきながらご一緒に登りたいものだと思っていた。昨日の急なお誘いにも関わらず、ご快諾をいただき、初対面と初同行が叶った。

 すでに車を手放しているので、6時前にお宅までお迎えに上がり、登山口となる盤龍山信行院を目指す。


nagaiさんのHPから借用したコース図


6:15、盤龍山信行院前の登山口をスタート。最初の内は市民の森の遊歩道を進む。


 まもなく、分岐からnagaiさんが開削した登山道へと進む。そこには、市民の森の遊歩道ではなく、登山道であることの丁寧な説明板が設置されている。そのあとも、笹原を鎌で刈り払った新しい登山道を進む。


 稜線のコルを目指す急な道となる。「頂上」方向を示す表示もnagaiさんの手製。

 コルの手前から、鋸や鎌で切り開いた道を、急な尾根へトラバース気味に登っていく。迷うことがないようにとあちこちに赤テープが付けられている。


 尾根は、山容からも想像できたが、かなりの急登である。周りの木を頼りに登って行く。


 やがて、斜度が緩み、まもなくして、8:05に三角点ピークに到着。この三等三角点名が「盤の沢」である。これがこの山名となったのだろう。


そばの木に付けられた丁寧な表示板。

この山の最高点は、直線距離でさらに500m先である。途中の「中瘤」を越え、両側が着れ落ちた細い尾根のアップダウンを繰り返して進む。


8:35、尾根の一番奥の一気に展望の広がる最高点ピークに到着。


正面には左の空沼岳から札幌岳の連なり


右側には無意根山から余市岳の連なり


最後に、二人の記念写真を撮る。

風が強い上に非常に冷たい。それでも20分ほど休んで下山開始。

 登り2時間20分、下り1時間35分。登山口に到着したら、雨が降って来た。

 昨年この登山道を下から開削するのに、9回通ってようやく頂上に到着したと言う。よくも、この急な斜面に登山道を開削したものだと、82歳のエネルギーに頭が下がる。

 これまで、80代の人とは登ったことはある。しかし、見た目も非常に若いが、これほどの健脚の方は見たことがない。しかも、ペースメーカーを付けているというのだから、信じられないパワーだ。自分がその年になったときに、このように歩けるかは全く自信がない。

 お宅まで送り届けて、奥さまにも挨拶して失礼した。

 明日の予定は、知床峠から、この時期限定の天頂山の予定だった。一気に中標津まで走るつもりだった。しかし、明日は、雨予報となった。無理せずに、士幌温泉の道の駅を今日のどこでもホテルにして、のんびりと温泉に入り、このブログを打つ。

会議で札幌へ

2017年05月06日 | 登山・旅行

〈秀岳荘白石店(本店)の書籍コーナーに並ぶ拙著〉

 スキー関係の三役会議で札幌へ。15日にまた札幌で退職組織の会議があるので、その間に山旅をするつもりで、用意をしてきた。

 その間に、本の注文があるかもしれない。そこで、手元に残っている25冊と、送付のためのセット(スマートレター、角印、朱肉、サインペン、礼状と振替用紙ほか)も車に積んだ。案の定、札幌に着くまでに2冊の注文が入った。途中の郵便局に車を停めて、発送作業をして直ぐに投函した。

 会議でも、すでにお二人から注文を受けていたが、ほかの3人も全員購入していただいた。今日だけで7冊が捌けた。感謝!

 会議終了後、秀岳荘北大前店へ。早速書籍コーナーへ。数日前に鎌鹿さんが画像を送ってくれたときには、平積みで1冊残っていたが、すでに売れ切れていて、その場所が空いていた。

 次に、社長に挨拶をするために本店の白石店へ。まず書籍コーナーを見たら、平積みで2冊残っていた。社長を呼んでいただいてご挨拶。昨秋のとある会合以来の再会。すでに、入荷と同時に目を通していただいていたようで、いろいろ感想を頂いた。

 「まだ買っていなかった。残っている内に」と、社長自らご購入。「社長にはプレゼントします」と言ったが、「店の売り上げになる」と固辞された。申し訳ないので、「せめて、サインだけでも」と言ったら、喜んで応じてくれた。

 「月曜日にでも、北大店とこちらにも追加注文しておきます」とのこと。アルミかんじきの部品を買って失礼した。
 
 明日は、昨年?に登山道が開削された札幌南区の盤の沢山へ、その登山道を開削・整備されたnagaiさんにご案内をいただきながら一緒に登る予定。

 夕食がてら飲んでいたら、また1冊のご注文が入った。

恵山エゾシカ食害調査協力(磯谷道・森林浴コース)

2017年05月05日 | 花・紅葉だより

森林浴コースのシラネアオイのエゾシカの食害の様子に愕然とする鎌鹿さん。
昨年までは、この辺り一帯には、多くのシラネオアイが見られたそうだ。

 かつては、1000株ほどのシラネオアイが見られたという、ホテル恵風からの恵山登山道の森林浴コースに今年はほとんどその姿が見られなくなったという情報が、南北海道高山植物保護ネットの鎌鹿さんと函館植物研究会長工藤さんのところに入ったらしい。

 そこで、そのお二人の調査への協力依頼を受けて、函館マウンテンクラブのNa女史とHYML仲間のmyuさんと5人で、自分にとっては今年になって3度目の磯谷道と森林浴コースの調査をした。

◎まずは磯谷道へ
 メンバーの中の2人が、まだ歩いていないので、やはりエゾシカの食害が目立つ磯谷道を歩いた。


水無沢から恵山を見上げる


立木の食害が目に付き、やはりエゾシカの食害で下草が生えていない地面


これまでも一番目に付いた倒木の木の皮がエゾシカに食いつくされた典型的な事例

ここにもシラネオアイの食痕が目に付いた


下草が生えていないのも、エゾシカのせい


磯谷峠での記念写真


おなじみの「お経岩」の前で


お経岩のそばのトドマツのエゾシカの角による傷


 この後、御崎海岸へ下りて、デポしておいた車でホテル恵風へ戻ったが、途中で、やはりエゾシカの食害が心配なユキワリコザクラの群生地にも寄ってみた。

◎ユキワリコザクラの群生地にもエゾシカの痕跡

 4/28以来のユキワリコザクラは、まだ健在だった


しかし、その岩崖の根元にはエゾシカの食痕~いずれ低いところに咲くユキワリコザクラも心配。


4/28の時よりはほっこりと膨らんでいたタヌキラン


◎森林浴コースでシラネオアイの食痕調査



エゾシカに食べられたシラネオアイ

10m×8.5mの範囲で、シラネオアイの食痕を全員で探して数を数えた。この調査は人数が多いほど正確なデータが得られるらしい。
結局、食痕は40個、残っていた一枚葉だけのものが78個、すなわち、40/118(およそ1/3)の確率で食われていたことになる。しかし、その範囲では、花を付けたものや枝分かれしているものはゼロだった。


別な場所で健気に咲く食害から逃れたシラネオアイ


倒木が邪魔で食害から逃れたシラネオアイの群落・・・ここには3株が花を付けていた


 このような状況がほかのシラネオアイが生えている場所に拡大していないことを願って、温泉に入って解散した。

松前半島一周ドライブ(メインは中山ケンタッキー)

2017年05月04日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

松前道の駅付近から眺める松前城のズーム

 連日の好天に、妻に「どこかドライブに行こうか?」と誘ったら、「松前の中山ケンタッキー」と言う。そんなところは聞いたことがない。「最近話題になっている、40年も続いている手羽先ととり足の店」だそうだ。
 検索してみたら、出てくる出てくる・・・最近、かなり話題になっているようだ。きっかけは、2013年のHBCTVでの放送らしい。しかも、松前の市街地ではなく、字江良というのも興味が引かれた。

 江良なら、江差回りでも松前回りでもほぼ同じ距離(115km強)である。そこで、道路が空いていると思われる江差回りで、松前半島を1周ドライブすることにした。 


まずは、一昨年たまたま見つけたタラの木がたくさん生えている厚沢部町木間内の林道へ入ってみた。
まだ、ちょっと時期的に早く、芽は小さかったが、1回食べる分くらいをゲット。


厚沢部町道の駅で買った小さな黒豆の入ったおにぎりともちもちコロッケときのこじゃんコロッケ


厚沢部川河口から眺める遊楽部山塊

江差の道の駅も上ノ国の道の駅も激混みで、駐車する空きも場所もなかった。
ひたすら、「中山ケンタッキー」を目指す。


大島小学校の入口を過ぎた辺りの海側のおよそ店には見えない感じの建物がそれだった。
しかも、看板もなく、営業中の旗が1本立っているだけ。
ここが地元で「中山ケンタッキー」と呼ばれている名物店。中へ入ると、香ばしい匂いが漂う。
塗りつぶした文字は「中山商店」となっていたようだ。昔は肉屋と民宿を営業していたらしい。


メニューは「手羽先」1本60円、「とり足」(実際はとりもも)1本250円のみ。
手羽先を10本、とり足を2本ゲット。どちらも揚げ立てだが、とり足は注文してから揚げてくれた。


妻と一緒に写真に収まってくれた81歳の中山チヨノさん。40年間、この場所で鶏を揚げ続けてきたという。
営業は、ざっくりと「昼ごろから夕方まで」とのことだが、休みは元日くらいで、年末になると帰省した人たちの注文で、1日に1000本も揚げることがあるとのこと。特製のタレにじっくり漬け込むのが美味さの秘訣か?
「今の江良は人が少なくなって、年寄りばかりで、こういうものは食べなくなった。ここから出て行った人たちからの注文で、今は送る方が多い。あとは遠くから買いに来てくれる人も多い」とのこと。

 
 熱いうちに食べたいので江良漁港へ下りて、松前小島と松前大島(右奥に微かに見える)を眺めながら、厚沢部町の道の駅で買ったおにぎりと一緒に昼食とした。
 確かにとても美味しい。妻に言わせると、五稜郭駅そばの有名店大林商店と同じ味とのこと。


松前市街地手前の「立石三十三観音」
 
 松前のサクラは何度も見ているし、道の駅の駐車場は空き待ちの車が200m以上も並んでいるので、そばの橋の上から松前城の写真だけ撮って通過。


福島峠付近の新緑と春紅葉


木古内の新名所「札苅村上芝桜園」(昨年までは通称「村上さんちの芝桜」だった)


「札苅村上芝桜園」で見た黄色のカタクリ


木古内サラキ岬のチューリップ

 最後は、当別トラピストのソフトクリームで打ち上げようとしたが、待ち人の列が20人以上もいて、諦めて帰路に就いた。


夕食は、今年初のタラの芽とシイタケの天ざるセット