Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

生田萬、約30年ぶりの新作

2019-02-23 | Weblog

かつて〈ブリキの自発団〉の中心人物として活躍した生田萬さんが、約30年ぶりに書き下ろした新作を、自身の演出により上演。

座・高円寺の〈劇場創造アカデミー〉9期生による修了上演「犬と少女」。

きょう2月23日14時から、座・高円寺1で、残りもうワンステージ。若干は当日券が出るという。

〈劇場創造アカデミー〉は、座高円寺が設置している演劇学校。二年制。生田氏は同アカデミーのカリキュラムディレクターを務めている。

「9期生の声から発想して書き下ろした新作を上演します」という意味で、集団創作的な側面もあるのかもしれない。

9期生・大谷莉々、彼女ただ一人に向かって集約されていく、なまなましい劇の展開である。

〈ブリキの自発団〉テイストを期待することは、見合わない。ただただ、今を生きる生田萬と若き仲間たちを見よ、である。

30年以上前に「未来の懐かしさ」を標榜した〈ブリキの自発団〉の想定した「時代」を、現実の時の歩みが追い越してしまっているとも考えられる今、一種の「空洞感」としての「現実」を、舞台上に提示している。そんな言い方しかできない。虚しさを、何もないという事実を、演劇としては「実体」を持って見せる、というところに、生田萬らしさがある。

どうしても、感想というより、紹介になってしまう。

しかし、こうした注目すべき新作が「修了上演」として上演できることに、アーティスト主導の公共劇場の可能性を、あらためて感じる。

 

生田さんは四十年近く前からの知己を得ている、先輩である。

思うことは多すぎて、今はこれ以上、何も言えない。

興味を持たれる方はぜひ、目撃していただきたい。

 

上演情報

座・高円寺 冬の劇場28
劇場創造アカデミー9期生修了上演
『犬と少女』

すべてのことはいつかは変わる
でも何も変わらない
人は死に、生まれてくる
そのはざまで、人は漂う。ただ漂う

未来に対する漠然とした不安を携えながら、宙ぶらりんに生きている……。
必死に? おちゃらけて? クールに? 「オレは、わたしは、生きている!」
自らの存在を証明しようとする、いつの時代にもある思春期特有のじたばた。
明日への祈りにも似たその時間を、沈黙という言葉にかえて、今を生きる若者たちに贈ります。生田萬ほぼ30年ぶりの書下ろし新作。どうぞ、お楽しみに!

作・演出:生田萬

出演:大谷莉々、服部容子、竹田茂生、山田宗一郎、石橋和也、河原舞(ゲッコーパレード)、崎田ゆかり(ゲッコーパレード)、牧凌平


演出協力・美術:佐藤信
照明:中田隆則 高円敦美
音響:島猛
衣装:今村あずさ
映像:飯名尚人
振付:竹屋啓子
舞台監督:佐藤昭子
演出助手チーフ:鈴木章友
演出助手:黒田瑞仁(ゲッコーパレード/5期修了生)
演出部(映像):久世直樹(9期生 舞台演出コース)
手話指導協力:田中結夏


日時 2019年2月22日(金)19時
日時 2019年2月23日(土)14時★ 
会場 座・高円寺1

料金 全席自由・税込 1,000円
※高校生以下・18歳以下の皆さんは無料です(要予約)。
 座・高円寺チケットボックスでご予約下さい。

当日券若干枚数あり ※開演の1時間前より販売

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「国会議員が国民の代表」とする根拠を示せ。

2019-02-23 | Weblog
菅義偉官房長官は20日の記者会見で、首相官邸が東京新聞記者の質問権を制限するような要請を官邸記者クラブに出した問題に関し、官邸側が東京新聞に「記者が国民の代表とする根拠を示せ」と要求していたことを明らかにしたという。

新聞社は民間企業であり、会見に出る記者は社内の人事で定められているだけで国民の代表ではないのではないか、という新聞社への「不信」が、その要求の根拠なのだと。

……マスコミの自立性があるだろう、そんな要求を出すこと自体がへんだということは、わざと脇へ置いておこう。

国民の代表? いやいや。新聞社・記者は、国民の「代理人」である。市民が知りたい、知るべき事柄を、市民になりかわって取材し伝えている。きちんと機能しなければ市民であるところの読者の厳しい目にさらされる。そうして日々鍛えられて、プロの「記者」になる。結果的に成長して、知る権利に応える国民の代理人となっていくことに、疑問の余地はない。日々の経験を積んだ記者は国民の代理人である、という「事後証明」が果たされている、ということが多いのではないか。

で。いや、だから。だったら、国会議員さんたち、皆さんにも、あなた方が「国民の代表である」という根拠を、日々、確実に示してほしいと思う。

選挙で選ばれた? いや、そんなのはその時だけのことである。あなた方は、その後、きちんと機能しなければならないはずなのに、市民の厳しい目にさらされているということを、お忘れではないか。最近の議員の皆様の「愚行」には、ほとほと呆れている。困った議員の方々は、選挙の時以外は「センセイ」と呼ばれて自惚れているだけではないのか。そこんとこ、きっちり日々の「事後証明」を果たしてもらいたいものだ。国会議員の先生方は、毎日毎日、その自覚を持たずに生きても許されていていいと、勘違いされているのではないか。

 

 

以後は読まなくていいです。

ぜんぜん関係ないが、関係あるかもしれない件。たぶん関係ない。

2月22日がネコの日だと言われてもぴんとこない。2月22日で「にーにーにー」が「にゃーにゃーにゃー」なのか。あんまりである。ネコは「にゃー」と啼いているという自覚はない。異言語である。ネコ自身は今日がネコの日だという自覚はないのである。それはあんまりではないか。勝手に記念日を決めていいのか。ネコに敬意を持つべきだ。

……しかしネコたちは、人間共の勝手な思惑に関係なく、日々、ネコとして生きている。つまり、毎日が「ネコの日」なのである。人間は敵わない。なんなら彼らにも「人間の日」を決める権利がある。しかしネコたちはそんな無粋で無礼なことはしない。

日々の自覚なく議員をやっている一部の不埒な議員の方々は、本来は自覚すべきことを自覚していないのであるから、ネコの皆さんの超越に、遠く及ばないのである。

 

で、11月1日が「イヌの日」だという。わかりますか。「ワンワンワン」で、イヌの日……。あんまりだ。そもそもその理屈なら、1月11日も「ワンワンワン」の日だぞ。適当すぎないか。

 

動物の日を勝手に決める人間の愚かさに、茫然とする。

 

写真は、与那国のネコ、ボサツ。三年前。家出癖が激しくなっているらしいが、最近どうしているのかな。

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