発作的に「納豆の包み焼き」を作った。
私が学生時代、自由ヶ丘の居酒屋「T」でバイトしていたときにもよく焼かせていただいた。
油揚げを半分に切ったものにひきわり納豆と万能ネギを刻んだものを詰め、焼いたものを、生姜醤油でいただく。
高円寺の十年来行きつけの居酒屋「M」も、これを出す。
こちらは詰める中身に味付けがされていて、あとで味をつける必要がないから、そのままいただく。豪快に油揚げを焼いた歯ごたえを味わえる。かための油揚げを使っている。
久しぶりに「M」に行ったので、自分でも作ろうと思ったのだ。
なので「M」式の「あらかじめ中身に味付け」方式。
写真だと形がいびつに見えるだろうが、わざと納豆の入っていない油揚げだけの部分をある程度の面積作っておいて、かたく焦げて味のないところと納豆の味のあるしっとりしたところを好みに応じて食べ分けるようにしておくのが、まあ、呑兵衛料理のワザである。
私は納豆は粒の方が好きなのだが、この料理の時だけはひきわり納豆を使う。
四半世紀前、ヨーロッパで暮らす日本人たちが納豆を食べるときは、フリーズドライの乾燥納豆を戻して使っていたが、そのときもひきわりが多かった。その方が戻したときに粒を戻したときよりも違和感がなくて美味しいと感じられるからだろう。
岡山で育った十八年間、私は納豆というものを食べたことがなかった。
私は上京してすぐ岡山県人会育英寮という学生寮に入った。岡山県人ばかりの寮である。(その兵庫県版が村上春樹『ノルウェイの森』の舞台になっている寮なのだと説明すると、ちょっと印象が良くなるのだが、じっさいは、岡山弁が飛びかう、極めて野蛮な、まあしかし愉快な、男子寮であった!)
その寮で朝飯はパン食とご飯が日替わりで、ご飯の日には納豆がドーンと出てくる。他のおかずがないわけではないが、納豆を食べるしかない。あれは、そうして、岡山県出身の納豆経験ゼロの者たちに東京で生き抜くための納豆教育を施す寮の方針だったのだ。
しかし私は納豆に慣れなかった。食べることは食べたのだが。私が納豆というもののおいしさを知るのは、目の前に納豆を実にうまそうに食べる男がいたからである。私が某劇団に入って仲良くさせていただいた、藤井びんという郡山出身の俳優のせいである。一緒に定食屋に入って、この先輩は納豆を追加で注文して食べるのであるが、そこまでうまそうに食べられたらつられてしまうではないか。
で、振り返ってみると、自由ヶ丘の居酒屋「T」で「納豆の包み焼き」を焼かせていただいていた頃の私は、今ほどうまいとは思っていなかったのではないかという気がする。