一九二三年の関東大震災からまる九六年となったきょう九月一日、東京都墨田区の都立横網町公園では朝鮮人犠牲者追悼式が開かれた。小池百合子都知事は、一昨年、昨年に続き、今年も関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼式に、追悼文を送らなかった。三年連続で見送ったことになる。
公園内では、別に、犠牲者を追悼する大法要が慰霊堂で営まれた。その大法要では、小池百合子知事の「私たちには、天災の脅威と戦争の悲惨さの記憶を風化させることのないよう、改めて次の世代へ語り継ぎ、平和で安全な生活を守っていく責任がある」との追悼の言葉が代読されたという。
「天災の脅威と戦争の悲惨さ」というが、日本人が、多くの朝鮮人を虐殺した事実を、「天災」「戦争」の中に隠蔽しようとしている。
「都知事として全ての犠牲者に哀悼の意を示している。個別の形での追悼文の送付は控える」というのが小池知事の昨年来の言い分だが、加害者であった事実を葬り去り、歴史を捏造する動きがいかに愚かであるかについては、あいちトリエンナーレで公的権力の判断によって表現の自由が否定された事件に直面している今こそ、より強く指摘していかなければならない。
一年後のこの日は、予定のスケジュールでは、オリンピックは終わっているが、パラリンピックはまさにまっさかりの開催中である。
死者を追悼せず加害の歴史を隠蔽する都知事の下で、世界の国々を納得させられる、真にひらかれたオリンピック・パラリンピックが、できるのだろうか。
写真は、昨年初演した燐光群公演「九月、東京の路上で」より。加藤直樹原作。撮影・姫田蘭。