Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

離れて思うこと

2012-07-29 | Weblog
朝9時から、また山を下ってスポレートまで出て、フェスティバル関連企画として、ネット上の画面どうしで繋がった、韓国での演劇を学ぶ高校生たちの合宿の中での発表会について、講評する。こちらはフェスティバル・ディレクターのアンドレアと、ビリー、ポルトガルの演出家と私。高校生の発表するエチュードをモニター画面で見るのである。私たち四人の姿も韓国の会場で映しだされている。ネット電話を活用した方法。私の英語力では不安であったが、韓国側の会場に旧知の日本語のわかる演劇人がいて、向こうで日本語から通訳してもらい、助かる。それにしても韓国の演劇教育への力の入れ方には驚かされる。で、終了後、韓国側のカメラが逆サイドに動くと、私たち「スポレート4」の姿がなんと大勢が見られるように二百インチに拡大されて映写されていたことがわかる。そりゃないよ。ポケットの中をがさごそしたり辞書引いたりしているのが、そのサイズでかよ。後の祭り。……戻って、またファディル・ジャフ氏のワークショップを覗く。理論的にもフィジカルワークにも私と共通点があるなと思っていたら、ファディル自身が合間にそう囁く。ベジタリアンなのに体格のいい彼はイラク出身なのだが「私は自分が前世では仏教徒であると気づいてもう20年間肉は食べていない」と言う。よくわからない理屈だが彼はそうなのである。……昨夜のフリンジに出ていた人達も来て、混じって昼食。第二部でダンスをしたトリノ出身の男女と一緒に食べ話す。もうカップルで八年踊っていて一日二十四時間×八年間いつも一緒なのだと。ある意味、愛嬌で勝負するところもある、やたらと何度も裸になるダンスであったが、ふだんはストリートダンスもしていて、15箇所の風景をもとに踊る趣向はその経験も入れてとのことだと聞く(写真)。下半身を捲って丸出しにしたり、観客に懐中電灯を渡してすっぽんぽんになって、見たい人は光を当てて見ろ、というのもあった。ストリートでは裸はやっていないと思うが。第一部でちょっと頭でっかちなワーク・イン・プログレスを見せてくれたゲイのコンビも来たが、彼らも七年いつも一緒なのだといちゃつく。そうですか。……午後の講座は、特定の感情に基づいてムーブメントを作らせる。『現代能楽集イプセン/チェーホフ』『荷』でもやったやり方だ。後は『屋根裏』のビデオを三十分見せる。……気温は日本より少し高いくらい。湿度は日本よりはましだがヨーロッパでは最悪に湿度のある場所なので、身体を動かす受講生たちもけっこう疲れが溜まっている。彼らはいろいろな所から来ている。国費留学や奨学金で来ている人もいる。……夕食後、アンドレアが見せたい劇場があるというのでその見学も兼ねて出かける。十時から野外コンサートでジャズを聴く。典型的なトリオ。好感は持てるがまれに、あれっと思うリズムの狂い。隣の劇場の下見が終わって、ラ・ママの応援スタッフの一人の誕生日で、会場に持ち込んだ酒類で乾杯しているのに加わる。珍しくイタリア人が好むというカンパリソーダなどいただく。少し踊る。……ともあれ施設もスポレートの町も素晴らしく、ラ・ママの皆さんの懐の深さ、ホスピタリティに、日々感謝。……ところで、この間、日本からのニュースで深刻だったのは、東電福一事故の収束作業に携わった長崎出身の元作業員男性が、下請け上位の日栄動力工業を職業安定法と労働者派遣法に違反する多重派遣をしていたと東京労働局に訴えた件。原子力産業に寄生する幾つもの会社によって、「下請け」「孫請け」どころかもの凄い数の会社を経由していたのだ。東電からどこかを経た上で「日立プラントテクノロジー」→「日栄動力工業」→「大和エンジニアリングサービス」、この段階で危険手当+日当で二万四千円から五千円が作業員一人の日当として計算されていて、さらに「創和工業」→「福田工業」→「前田工業」→作業者で、最終的に手渡される日当は一万一千円だという。その約束された日当も支払われず、なにしろ「危険手当」が危険でない人達によってピンハネされているという許し難さ。二十キロの鉛板を入れたリュックを背負い、防護服に全面マスクで、線量計の警報が鳴りっぱなしの中、1号機原子炉建屋の急階段をビル六階の高さまで駆け上がるのだという。建屋内にいたのは十分弱なのに、一般人の年間被ばく上限の二倍以上もの二・四ミリシーベルトの被ばく。福一での一ヶ月の作業の間に計約一二・三ミリシーベルト被ばく。原発作業員の上限は五年間で一〇〇ミリシーベルト、年平均二〇ミリシーベルトが作業員の手持ち線量。わずか一カ月で半年分を使った。下請け会社は自社社員が線量を使い切ってしまうと具合が悪いので臨時の作業員を雇うケースがあり、雇われた人間が自分が短期集中の高線量要員だったことを後で知るというケースも少なくないという。ひどい話だが。この国ではこれからこのことがずっと続くのだ。この国を実務として動かす立場の人間がそれをわかっているようには見えない。……劇団は仙台公演を終えていったん帰京。おつかれさま。
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