ひめちゃんとタバサねーちゃんは、最近おうち犬していることが多いです
でも、今日は晴れて暖かくなりました
昼間は、テラスのサークルで過ごしました
5年前の11月、七海ママの昼散歩に付き合う、末っ子のひめちゃんと獅子丸です。
獅子くんが帰ってきて、ママもうれしかったね
獅子丸は、ひめちゃんともタバサねーちゃんとも、仲良くお散歩できてました。
過酷な環境の養家生活を7年もしてきたのに、素直な明るい子に育ってくれました
国重公立腹の事、付けたり、軍評定勢揃いの事・その 2
藤生紀伊守大将にて、関口尾張、茂木右馬之丞、荒井主税、伊藤左近、荒巻式部、福田権三郎、大谷勘解由左衛門、風間将監、須藤帯刀、佐下橋右近、森下長左衛門、岩下織部、岩水喜太郎、飯塚又五郎、籾山太郎左衛門、常見佐貫、箱島右馬之助、半田久六、安田将監、江原与右衛門、片山重蔵、中里若狭、鹿貫将監、彦部加賀、宮寺左近、斉藤丹後、伊藤右京、伏嶋出雲、津久井左京、野村彦八、福島勘解由、柳田縫殿、大沢牛之介、薗田彦六、須永八蔵、内田兵庫、稲垣源九郎、峰岸志摩、垣上半五郎、堀越内造、木村縫殿このほか宗徒人々四十一騎、上下三百二十余人、養命を向城に捕りて新田勢これを待ち居たり。
同後陣、金谷稲葉守を大将にて、丸橋越前、高橋丹後、金井田伝吉郎、岡田石見、引田善八郎、斉藤鉄之助、木村伊豆、渥美又兵衛、同源五左衛門、戸崎源三郎、安藤次郎介、松井平之丞、寺崎小兵衛、織田久五郎、飯島外記、板橋戸市郞、岡野真三郎、堀越茂左衛門、高山平六、板庭与市郎、生方隼人、藤波京右衛門、中根倉之助、小林虎之助、河上民部、小泉左京、芝山大介、薗田彦七郎、井上出羽、鈴瀬藤九郎、織田兵右衞門、滝野田辰介、宮木市市十郎、鈴木新之丞、芝山兵部、大塚半蔵、木戸弥次郎、久永図書、此等を先手として、名ある人々三十八騎上下三百余人、阿左美村を過ぎて桐生渡良瀬川の境なる、ままの下に陣を取り、桐生勢と調子合わせて鬨(とき)の声をぞあげたりけり。
あらすじです。
桐生勢は、藤生紀伊守が大将で、
関口尾張、茂木右馬之丞、荒井主税、伊藤左近、荒巻式部、福田権三郎、大谷勘解由左衛門、風間将監、須藤帯刀、佐下橋右近、森下長左衛門、岩下織部、岩水喜太郎、飯塚又五郎、籾山太郎左衛門、常見佐貫、箱島右馬之助、半田久六、安田将監、江原与右衛門、片山重蔵、中里若狭、鹿貫将監、彦部加賀、宮寺左近、斉藤丹後、伊藤右京、伏嶋出雲、津久井左京、野村彦八、福島勘解由、柳田縫殿、大沢牛之介、薗田彦六、須永八蔵、内田兵庫、稲垣源九郎、峰岸志摩、垣上半五郎、堀越内造、木村縫殿このほか主立った人々41騎、全部合わせて320余人が、養命の砦を向城(むかいじろ)として接収し新田勢を待った。
後陣は金谷稲葉守を大将にて、丸橋越前、高橋丹後、金井田伝吉郎、岡田石見、引田善八郎、斉藤鉄之助、木村伊豆、渥美又兵衛、同源五左衛門、戸崎源三郎、安藤次郎介、松井平之丞、寺崎小兵衛、織田久五郎、飯島外記、板橋戸市郞、岡野真三郎、堀越茂左衛門、高山平六、板庭与市郎、生方隼人、藤波京右衛門、中根倉之助、小林虎之助、河上民部、小泉左京、芝山大介、薗田彦七郎、井上出羽、鈴瀬藤九郎、織田兵右衞門、滝野田辰介、宮木市市十郎、鈴木新之丞、芝山兵部、大塚半蔵、木戸弥次郎、久永図書、等を先手として、名ある人々38騎と上下あわせて300余人が、阿左美村を過ぎて、渡良瀬川の境である「まま」に陣取って、桐生勢と調子合わせて鬨(とき)の声をあげたのだった。
たくさんの人名が出てきます
でも、自分と同じ名字の人が出てきたら、読者は喜んだ事でしょう
その必要もあって、こんなにクドクド人名をあげるのかな?
由良の軍勢は、桐生と新田から、攻め寄せたのです
桐生勢は、あの養命の砦、里見兄弟の敵・石原石見がいた所に陣取るのです
新田からきた軍勢は、「まま」に陣取ります。
「まま」とは、どこか
ここらへんで「まま」というと、旧大間々町役場の上の崖をいうようです
2019年の3月、高津戸城跡から見た風景です。
黄色系のアートがある崖が、大間々の「まま」といわれている所です
左にあるおおきな建物が、旧大間々町役場(現みどり市大間々庁舎)です。
養命の砦(永明寺)まで、車で10分とはかからないでしょうけど、一緒に鬨(とき)の声をあげられるかな
初稿 2019.12.07 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.11.11
( 国重公立腹の事、付けたり、軍評定勢揃いの事 終 )
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