黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

子供心には恐怖だった千体不動塔(明王院安養寺)

2021-07-11 17:36:43 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、諏訪神社の向こうの高台を南に下ります。

山上多重塔への道を、逆に東に辿ります。

山上城・三の丸公園の南に出ます。

久々の遠出に、獅子くんご機嫌です

紫陽花はまだ咲いてます。

三の丸公園の南側には、紫陽花は1株だけのようです。

暑くなってきました。

早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

6月30日、実家の墓参の帰り、新田触不動の明王院安養寺を久しぶりに訪問です。

山門の向こうに本堂です。

 

山門を過ぎて、新田触不動尊の幟の立つ門から参拝です。

 

脇には、三猿の表情までわかる青面金剛です

 

仁王門です。

こんにちは。

お久しぶりです。

見事な木造彫刻です

 

仁王門を過ぎると、新田触不動の幟が、たくさんはためきます。

こんにちは

お姿は見えませんけど、合掌

 

あれ、不動堂の額は「新田源道純」、あの猫絵の殿様です

新田源家、岩松さんは、猫絵の他にも、あちこちの額にその書を残してます。

 

説明板です。

不動堂の厨子には、二体の不動明王像が納められている。その一つは一寸八分(約5.5センチメートル)の閻浮?金(白金)制で、元弘三年(1333)の新田義貞の鎌倉攻めの際、山伏に化身して越後方面の新田一族に義貞の挙兵を一夜にして触れ回ったと伝えられ、「新田触れ不動尊」として知られる。

 

お疲れ様でした

 

 

不動堂の東には、ピラミッドのような物体があります。

実家は、ここから少し北に行ったところにありました。

子どもの頃、この付近にある駄菓子屋さんによく買い物に来ました。

そのたびに、不可思議な理解不能なこのピラミッドのような物体に、とても恐怖を覚えました

だから、境内に遊ぶなんてことはありませんでした。

 

不動明王像が千体彫られていたのですね

石工の名前もあります。

江戸八丁堀の人です

説明板もありますが、劣化しすぎて読めません。

隣に記念碑があります

今回初めて気づきました。

千体不動尊塔は享保十八癸丑年十二代小川宇兵衞重政が奉納し二百二十四年の年月を経て崩壊寸前に至り此處に先徳の意思を継ぎ此處に復元す時于昭和三十二年丁酉年三月

二十代米寿翁小川于十郎

嗣子小川穠男

明王院現住照賢代 石工 深谷市 根岸亀年

 

そうだったんですか

きっと大きな御利益ありますね。

心をこめて合掌

 

 

不動堂の裏には、南北朝時代の薬師様が祀られています。

美しい薬師様です。

合掌

 

 

本堂前で合掌して帰ります。

御朱印が欲しい所ですけど、時節柄遠慮しておきましょう。

そのうちに聞いてみましょう。

本堂前は蓮園になってます。

蓮の似合う本堂でした

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