黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・お久しぶりの世良田八坂神社(花輪彫刻師集団の記憶)

2021-06-13 16:54:56 | 群馬県・東毛

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場に行きました

ヤギさん、いるかな?

ヤギパパ、フンスの外につながれてます。

モコモコ、ヤギさんも換毛中かな?

ンスの中には、ボクです。

りっぱな角です

何時の間にか、しっかり大人の雄ヤギになったね

パパとの関係が微妙なのでしょう。

また来るよ、バイバイ

 

ひめちゃんと獅子丸は、高台のタケイ沼を目指します。

あちゃあ、みどりの沼になってる

もちろん誰もいません。

 

沼の北の田んぼに、何かが降り立ちました。

2羽のカモさんです

カップルかな?

 

ひめちゃんたちは、サマンサ坂を通って帰ります

今日も暑くなりそうだね。

早く帰ってご飯にしましょう

 

 

 

(5月28日)世良田八坂神社境内の散策を続けます

 

本殿の後ろにたくさんの境内社があります。

 

白蛇弁天社です。

近くに水があったのかな?

御利益のありそうな御朱印もありました

 

出羽三山社です。

五穀豊穣・無病息災の御利益です。

 

八海山・御嶽山・三笠山?

ここは説明板無しだったと思います。

どんな御利益かな?

 

小さな境内社がいっぱい並んでいます。

「上野十二社と上毛三山めぐり」ですって。

 

永寿大明神です。

薬学の神様ですか。

文字からすると、長寿の御利益がありそうですね。

 

琴平社です。

金比羅様(こんぴらさま)ですね。

 

たくさんの神様にお参りしました

御利益あるかな?

 

御神輿が並んでます

この建物を奉納したのは、武州榛沢郡中瀬邑・石川富之助さんです

利根川の向こうの武州からも、篤い信仰があったのです。

利根川があるから渡らずになんて考えずに、けっこう交流があったのでしょう。

田中藤左衛門(たなかとうざえもん)が竜骨を持って利根川を渡り、上野国山上常広寺にやって来たのも、特別な事ではないのです

 

あれ、御神木かな?

高さが25mもあった杉の巨木が台風で倒れたのです

 

 

社殿左前方に、大きな覆屋があります

ちょっと寄ってみます。

入り口に説明板です。

額殿に飾られている献額は、気楽流柔術の継承者高山辰次郎以下一門によって、毛呂桒陰の書、彫刻は高橋貴一の作で明治三十三年に奉納されたものである。高橋貴一は明治8年尾島町亀岡に生まれ、明治の左甚五郎と謳われた、尾島宿の高沢甲斐之助(旧姓石原甲斐之助・勢多郡花輪村出身)に師事し大隅流の彫刻を学び同門の逸材といわれた。惣欅の額縁に彫られた、上り龍、下り龍や狛犬などに見られる豪壮にしてしかも緻密な彫込みに、師匠譲りの技法がよく表現されており、北関東有数の大額(縦3m横3.7m)にふさわしい力作であるとともに、江戸彫刻文化の伝統を伝えるものとして貴重である。

 

花輪出身の高沢甲斐之助(石原甲斐之助)門下の逸材・高橋貴一の彫刻なのですね。

勢多郡花輪村は、日光と江戸のちょうど中間に位置し、足尾銅山街道も通っていました。

日光東照宮の造営が終わった後、彫刻師達は、花輪村に移住したと言います。

それから花輪彫刻師集団の活躍が始まるのです。

まさか、尾島にもその花輪彫刻師集団の流れを受け継いだ人がいたなんて、ビックリです

 

じっくりと鑑賞です。

大きい

竜の目は、鋭い光を放ってます

みんな欅の木から掘り出されたものなんですね

後世のために大切に保存して下さい

 

またそのうちにうかがいます。

今度はどの御朱印お願いしようかな?

 

 

 

 

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