黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

南朝の忠臣・細谷右馬助の墓(五位堂)

2021-07-29 20:37:21 | 群馬県・東毛

今日も、夕方から激しい雷雨です

朝、ひめちゃんと獅子丸はハーネスを付けてもらう隙を突いて、ミニドッグランに脱走です

少し遊んで御用となり、獅子丸を待ちます

2人は、諏訪神社の向こうの高台を目指します。

高台の中央、薬師の道を歩いてきました。

久しぶりだね

おはようございます

獅子くんの前の、一番新しそうな薬師様、明治32年ですって

明治32年、何か疫病がはやったかな

 

 

 

新里で有名な「善昌寺縁起」に、善昌寺が戒名を授けた新田義貞とその家臣団に「細谷右馬介勝直」がいます。

いろいろ検索すると、細谷右馬介の墓が邑楽町にあるという事です。

では、行ってみましょう

 

割とわかり易い場所にありました。

国道354線・篠塚の信号から南に下ります。

 

しばらく行くと、右側に大きな樫の木があります。

猛烈な暑さの日だったので、木陰の恩恵を受けそうな位置に駐車です。

そんなわけで、全体像の写真がないのです

 

「五位堂、太平記の里」です。

南朝の忠臣細谷右馬介の墓所です。

あれ、善昌寺縁起とフーストネームが違います

 

小さな覗き窓から、堂内を拝見です。

中央は石像の阿弥陀如来です。

左右は、木造のようです。

後ろにたくさんの小さな仏様です。

合掌

 

「邑楽町の文化財」によれば、

五位堂の中には、阿弥陀如来の石像と男女一対の木造如来、千体仏が安置されています。千体仏は子宝と安産を恵む仏として信仰を集めてきました。現在でも、木造の小さな仏を借り受け、子宝に恵まれたら倍にして返す習わしがあります。

 

 

では、五位堂のシラカシを確認です。

大きい

ここは細谷家の墓地です。

シラカシは、墓地全体を覆っています

墓地全体が、シラカシに護られています

合掌

 

「邑楽町の文化財」によれば、

五位堂のシラカシは、樹齢500年、樹高18.5m、神酒は4本に分かれ、幹周りはそれぞれ2.6m、1.6m、0.6m、0.9m、枝張り東西16.5m、南北18.1m、根張り6.6mです。

樹齢500年ですか

 

 

同じ道沿いで少し北にある細谷館跡も確認です

館跡の堀があります。

細谷館は南北朝時代の正平2年(1347)新田氏の一族細谷右馬助秀国が築造、その居館としたので右馬助館ともよばれた。これよりさき秀国は新田義貞に従い各地に転戦し戦功をあげた。しかし延元三年(1338)越前国(福井県)での敗戦ののち上野国に帰り館を営み、九代義長が天正18年(1590)8月帰農するまで243年間在地武士の本拠となった。

 

細谷右馬助さん、善昌寺で戒名を付けてもらう必要なんてなかったようです

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