自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

下村氏について現在調査

2023年07月01日 10時06分53秒 | 郷土史
東由利地区の資料調査をしています。
まずは下村氏です。彼の館跡が東由利の蔵に残っています。
下村館は、由利本荘市東由利にあります。下村館は、由利地方を支配した由利十二頭の1人、下村氏の居城です。下村氏については明確な資料が少なく、軍記物とされる「由利十二頭記」に頼れば、初代下村小笠原殿(下村彦次郎宗長?)が応仁元年(1467年)に由利郡に下向したとされる為、下村館は概ね応仁年間(1467~1469年)に築かれたと推察されています。




下村館は高台などに築城したのではありませんが、石沢川が大きく蛇行している為、三方が川に囲まれ堀の役割を果たしていました。城がある蔵集落は本荘街道と川大内街道の結束点である交通の要所で、下村氏はこの地域を押さえる為にも重要視していた事が分かります。下村氏は関が原の戦いで小野寺氏寄りだったと云われ改易され、下村館は破却されました。




現在館跡は平地より一段高い所に諏訪神社が鎮座し、その境内には推定年齢300年以上と言われるイチョウがあり秋田県指定天然記念物になっています。


岩館のイチョウは、中世由利地方の豪族下村氏の館跡にある諏訪神社の御神木です。乳の出をよくしたい女性の信仰を集めたことから、別名「乳房のイチョウ」とも呼ばれています。
蔵立寺は、室町時代の応仁2年(1467)年に下村氏が賽常山鷲泉寺(秋田市萱ヶ沢)3世梅勢永飯を招いて創建したと云われています。



当時は岩館(下村氏居館)の一角に建てられていましたが、その後現在地に移転しました。


16羅漢がお寺の前にあります。
資料が少ない下村氏ですが、もっと詳しく深読みしたい人物だ。

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泉秀寺は玉米氏の菩提寺

2023年07月01日 03時37分00秒 | 郷土史
東由利地区の玉米氏も調査しました。
東由利の中心と言って老方に由利本荘市の立派な支所があります。
実は東由利は1640の領地替えで本荘藩から矢島藩になった地域です。よって本荘市史には詳しく掲載されていません。
東由利町史には詳しく載っています。江戸時代前の事が多いですが、玉米氏の調査はしないと!




玉米氏は、中世に由利地方を支配した由利十二頭の1人で、玉米館(米本館)は彼の本城でした。築城年は不詳ですが、「由利十二頭記」によれば、由利十二頭は応仁元年(1467)に由利郡に入部したと記載されていることから、概ね応仁年間(1467~1469年)に築かれたという説を採用している人が多いようです
玉米氏は、山田氏や矢島氏(大井氏)と対立関係にあり、度々戦が行われました。




一方、勢力が大きかった小野寺氏と仁賀保氏とは比較的良好な関係だったようです。天正18年(1590)に豊臣秀吉による奥州仕置きでは単独での玉米氏の名前は無く、領主としては既に没落していたと考えられます。一方、豊臣家家臣大谷吉継が小野寺氏に発布した「仙北之内上浦郡指出目録」には家臣として「玉米半三郎」の名が見られることから、小野寺家に従属していたとも推察されます。




慶長6年(1601)に小野寺家が没落すると帰農したようで、寛永8年(1631)には玉米館がある館合に菩提寺となる泉秀寺を創建しました。現在は老方に移転しましたが、境内には玉米氏のものと思われる墓碑が建立されています。


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