明治始めまではハゲ山だった御月山が、明治終わり頃から砂地に植林が行われて、昭和の戦前には木が生えて御月森になった。


昭和20年に建立されたもので、防砂林と田畑の開墾の記念碑である。
月山神社跡地の脇に立派な振興記念碑が立っていて今も海士剥町内を見下ろしている。


昭和20年に建立されたもので、防砂林と田畑の開墾の記念碑である。
この時の開墾地の個数は74戸となっている。
明治後半から田畑の開墾と防砂林のおかけで、人口が急激に増えたのである。
遊佐の青山留吉が、小樽での漁業の成功で人手をこの辺まで求めて、出稼ぎによって、裕福になっていったのだ。昭和中期の振興住宅地となった。
今の若松町を新開地と言っていたが、若松町より50年くらい早い新開地が海士剥だったがのだ。
一時は300戸を越す勢いの海士剥だったが、空き家、空き地が目立ってきた。
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