自然コレクション

秋田の田舎暮らし!
アウトドアー生活を紹介します。

ソロストーブもどき到着

2021年12月15日 07時05分00秒 | アウトドアー
酒を飲んでてどうして欲しくなってポチっていたソロストーブもどきのウッドガスストーブが昨日届いた。
11月24日注文でAmazonなのに20日もかかった。


「馬鞍山市は中華人民共和国安徽省東部に位置する地級市。工業が発達しており、中国十大鉄鋼基地の一つである。また、香港証券取引所に上場している馬鞍山鋼鉄の本社がある。 同じく製鉄都市である鞍山市と名前が似ているが、別の都市である。」とあった。
船便だと20日かかるんだという事が分かった。
ちなみに1400円だった。本物のソロストーブライトが8000円以上するが、このパクリは凄すぎる。
本物のソロストーブライトより直径高さでそれぞれ2cm大きい。更に本家の火床のメッシュが大きすぎるという不満を解消して丸穴を開けて綺麗に溶接している。


見た目はソロストーブライトと全く同じに見える。燃焼方式は全くのパクリなので問題ない。


早速松ぼっくりを燃やしてみた。2次燃焼が確認できる。また、遊び道具を増やしてしまった。今まで使っていたウッドストーブは廃棄しようと思う。



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月夜見命(ツクヨミノミコト) 海士剥の月山神社

2021年12月14日 04時13分00秒 | 霊場
自分の住む海士剥には、月山神社がある。つきやまじんじゃと呼ばれている。地域の神社なので、正月には、お詣りに行く。うちには神棚があり、月山神社のお札が祀っている。その月山神社は、以前御月森にあった。

明治までは御月築山と呼ばれ、標高30mで海から300mほどに所にぽつんとある山だ。今は植林されているので神社跡からは海は見えないが、江戸時代はほぼハゲ山で風がまともにあたる場所だ。




康正2年(1456年)に加賀の国より遷宮とある。不毛の地に室町時代には、人が住んでいた事が分かる。
その後、文化元年(1801年)に現在地のおさ袋に移築されている。
この事から分かる事は、加賀の国では富樫正親が一向門徒を弾圧した頃であり逃れてきた人たちが日本海側の北部に居住地を求めている。




石川県に海士埼というところがあるが、海士剥の由来なのかもしれない。更に、海士剥の方言と石川県の方言が一部一致しているのである。

月夜命は、ツクヨミ命は海や船、あるいは生命の源泉である水や不老不死の生命力とも関係が深い神さまである。

 

『古事記』ではこの神が父神のイザナギ神から「滄海原を治めよ」と命じられとある。これは海を主な生産の場とする海人族と月神との結びつきをうかがわせる。おそらく、月の引力が潮の満ち引きと関係することから、海を支配する神として海人に信仰されていたのである。実際に古くから海の神を祀る神社にはツクヨミ命が祭神として祀られていて、海士剥の月山神社も同様である。


鳥海の笹子の月山神社は、修験者との関わりが強く山形の月山信仰に由来しているので、こことは若干違う事が分かる。


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塩蔵ワラビの塩抜き

2021年12月13日 05時21分00秒 | 山菜
この春に塩蔵していたワラビを塩抜きします。


ガッチリ塩漬けしているので、3年以上保つものです。

1/3位に縮んでいます。塩抜きは大鍋で水から茹でます。80度位で火を止めます。沸騰させるとベタベタになって失敗します。5分ほど加熱すると。わらびに水疱が付きはじめます。それが80度の目安です。火から下ろして冷めるまで置きます。


すでにワラビは元の太さに戻ります。繊維の中に水分が戻っているのです。お湯は飴色になっています。お湯が冷めたら水を交換します。水の交換は3回ほど行います。味噌汁の具であれば2回交換でも問題はありません。お浸しだと3回水交換が必要です。


これでしっかり塩抜きできました。今朝は豚肉とワラビの炒め物にしました。なんだか酒のつまみです。

後は大根がたくさんあるので、大根とワラビの味噌汁です。イタリアンとかも好きですが、今朝は、超田舎飯です。



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鳥海 直根(ひたね)の蕎麦

2021年12月12日 09時55分00秒 | 食いもん
昨日、お休みのところ、本館のI先生が、蕎麦を打って持ってきてくださいました。

直根の蕎麦だそうです。完璧なお蕎麦です。職人技です。蕎麦何処板垣亭を出せると思います。


茹で方まで伝授していただきました。


蕎麦の味はよく分かりませんでしたが、鼻から抜ける蕎麦の風味が全く違います。自分でも蕎麦を打った事がありますが、不揃いなお蕎麦たちになって、最後には面倒なので蕎麦ガキで食ってしまう有様です。やはり繊細な神経をもっていないとダメです。
もう3束残っているので、お昼も食べようと思います。
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聖徳太子神社があります

2021年12月11日 05時26分00秒 | 霊場

自宅より4kmほど南下した出戸集落に聖徳太子神社があります。とても閑静な場所で駐車エリアもありません。地域密着の神社で、余り知られていないところです。昨日は、小春日和だったので出かけてみました。

ここは、文永10年創設とされています。鎌倉時代で、北条時宗が蒙古襲来で戦わずして勝利した文永の役の1年前のことです。鷹島という方が勧請したとあります。


なぜ出戸に聖徳太子を祀ってあるかは定かではありませんが、聖徳太子が神格化されてからさまざまな変化があるのです。聖徳太子は、飛鳥時代の皇族・政治家・思想家ですが、民間信仰においては、大工をはじめ、建築関係の職人の守護神として崇敬され、職人が集まる太子講などの場において篤く祀られています。聖徳太子と職人の結びつきに関しては、一見その理由がわかりにくいですが、それなりに深い縁があり、それは太子の仏教における事績と関係しています。法隆寺造営などの実績です。

可愛い系の狛犬!


聖徳太子はもともと職人の祖神として信仰されていたわけではありません。太子のイメージはその死後、時代とともに神格化していき、様々な伝説が生まれました。中世以降、仏教家によって太子は日本の仏教の開祖と崇められ、太子信仰が大いに広まっていきました。神仏習合の風潮のなかで、太子を始祖とする太子流神道なども登場するほどでした。そうした太子信仰が民間に広がる中、近世になり大工、屋根色、石屋、畳屋、表具師、瓦製造、桶屋、鍛冶屋などの職人が、太子講を組織し、太子を祖神として祀る習慣が生まれました。これが中世期です。


出戸には幕府の田んぼはほとんどありません。もちろん武士でもありません。職人の居住地で有れば聖徳太子神社を勧請したのももうなずけけます。出戸では、戦前、出戸ムシロと言ってムシロを編んで生計を立てていた人がたくさんいたのです。


写真を撮り忘れましたが、聖徳太子神社の額縁の下に掘られている龍はとても芸術的です。

日本の八百万の神は多彩であるから、一般にそれぞれの職業に応じた守護神が祀られています。もともとはそれぞれ職種ごとに守護神を祀っていましたが、それとともなってしだいに聖徳太子も祖神としてまつられるようになったと言われます。


ちなみに山の神やお地蔵さんも祀られています。仏教とも深く関係をもった神社である事が伺えます。






とても綺麗な境内で、日本海が眼前に広がる景観は素晴らしいです。西目のスピチュアルスポット(超自然的)のひとつです。


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アローカナ遂に産卵

2021年12月10日 07時18分00秒 | 
6月21日に生まれたアローカナと翡翠鳥が産卵しました。

生まれたばっかりのアローカナ!
4羽が生まれてが、1羽は亡くなってしまいました。

青玉の卵は、翡翠鳥の卵は茶色なので、明らかにアローカナの卵です。

綺麗な青玉ではありませんが、殻はゴツゴツしています。

多分この子が産んだのだと思います。

鶏の卵の色はさまざまあり、親鶏の種類によって色が違いますが、たまごの色を決める色素は「プロトポルフィリンprotoporphyrin」という名前の物質で、卵殻が形成されるときに「プロトポルフィリン」色素が沈着し、色素の配合具合で色がつきます。アローカナは青色になるポリフィリン色素の割合が、ほかの種よりも強いため、色素の働きにより、青色の卵が作られます。アローカナの卵は、「青色」という色の特異さが消費者に珍しがられていますが、青色というのは、本来、食欲を減退させてしまうもです。ところが、アローカナの卵は、見た目のユニークさよりも、実際に、黄身が濃厚でとても美味しいため、栄養面でもウコッケイ以上に注目されていて、1個で150円もするのです。






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ウサギさんの餌作り

2021年12月09日 06時34分00秒 | うさぎ
ウサギの餌にと大根の葉を大量にいただいた。さすがこの量は多すぎる。


今朝はピーカンだ。小春日和とはこんな日である。鳥海山も朝焼けでビューティーである。


明日まで晴れるようなので、大根葉うぃ乾燥させる事にする。乾燥させればいつでも食べさせる事ができる。
この陽気であれば、2日有れば確実に乾燥させる事ができる。


人も食べられるレベルである。ウサギと鶏のビタミン剤になる筈だ!


でも生が好きそうだ!




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明治期の海士剥の絵地図発見

2021年12月08日 02時43分00秒 | Weblog
明治から大正時代の本荘町の政治家の須藤善一郎さんを知る人は余りいなくなってしまった。第5回衆議院選挙で当選した代議士である。群議、県議、町長まで全ての議会議員を経験した人である。その須藤家から古文書や美術品が市に寄贈されてほとんどデータベースに記録され収蔵済みだが、まだ、細々とした文書が段ボールに数個残っている。それをひとつひとつ調査している。
自分の住んでいる海士剥地区は明治の初めは子吉村になっていた。よって本荘町の一番南に位置していた。後々西目村に入っている。
伊能忠敬が1802年にこの地を測量した時には、たった7軒しか家がなく明治14年でも44戸しかなかった。今は200戸以上の集落である。
その明治期に須藤善一郎が書いた海士剥の絵地図が見つかった。


海士剥の在住の自分でなければ食いつかないただの紙切れだが、西目川と子吉川を繋げる水路を作る計画があったようだ。月山神社があった御月森は、御築山と呼ばれていたのもわかる。また平沢街道がどのようなルートかも分かる。

西目村になってからは、砂丘は田んぼに開拓され海外沿いに海士剥の葦原も田んぼになっている。本荘町のエリアは防砂林となっているが砂留工と書かれた7本のラインは調べれば何かしらの工事跡が残っているのかもしれない。明治以降の新興住宅地であった海士剥の近代初期の様子をたった一枚の絵地図から読み取ることができるのである。



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天寿コラボ ローズマリークリーム

2021年12月06日 05時22分00秒 | ハーブ
9月6日に仕込んだローズマリーチンキがまだ結構残っている。ローズマリーの成分は十分に抽出されている。天寿のアルコールを使用している。
その時のブログ←クリックしてね
昨日、ローズマリークリームを作った。
ローズマリーチンキ50グラムと白色ワセリン50グラムを融合させてクリームにする。


瓶を湯煎してワセリンを溶かしながら76度のアルコールを飛ばす。


完全に融合させて小瓶に移し固めると完成である。

踵がゴワゴワなので塗ってみたが一晩ですべすべになる。
勝手に天寿コラボのローズマリークリームが完成だ。これはリップにもなる。



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赤沼の松 (市指定文化財)

2021年12月04日 09時52分00秒 | 霊場
羽後本荘駅からすぐの中川家宅地内に鎮座する、赤沼の松が凄い!

 この赤松は、樹齢350年余りと推定され、本市に現存する赤松として、また邸宅の庭木としても最古級と推定される貴重な樹木である。
 樹高は約8m、幹周り約3.2m、直径約1mと表示されている。地上約1.6mのところから二又に分れ枝葉のバランスがよい優美な松である。

 この赤松がある場所は、江戸時代初めの慶長18年に創建された本城城下を治めた本城満茂に縁のある遠田家の屋敷地跡で、遠田家は満茂の長女に喜作宗良を迎えて初代とさせ、東林寺の開基家として、江戸時代から明治中期まで東林寺大旦那を務めた。


 本荘の名家の庭木として植えられ、藩政時代から現代まで、長く本荘の変遷を見守り続けた名木である。
本荘満茂の正室には子供がいないので、満茂直系の子孫は遠田家と言うことになる。本荘郷土資料館には遠田家から寄贈された古文書が沢山収蔵されているが、本荘の近世の歴史を紐解くには、遠田家と東林寺縁起などは外されない。
この赤松は、当時からずーとここで見守ってきた生き次引きである。ただ残念ながら松の木と話す事は出来ないな!
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