これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

子どもの貧困を考える

2017年07月06日 22時07分19秒 | エッセイ
 遠くに住んでいる友達が、念願の作家デビューを果たした。



 講談社児童文学新人賞佳作に選ばれたというから大したものだ。
 エッセイだけでなく、いつかは私も小説を書いてみたいと思うが、架空の出来事をあたかも事実であるかのように描写するのは難しい。「は? 説得力ゼロなんだけど」と読者に呆れられて終わりそうな気がする。
 今回、まりさんは「子どもの貧困」をテーマにした。
 主人公の麻美は、まだ中学生だ。兄弟はおらず一人っ子。母子家庭なのに、その母親が働いていない。部屋はゴミだらけで食事も作らない。水道はとめられてしまった。給食だけが頼りの毎日だ。同じクラスの子からは「臭い」と避けられ、友達もいない。ないないづくしである。
 数ページ読んですぐ、40年前の記憶が蘇ってきた。麻美みたいな男の子が、同じクラスにいたからだ。
 小学1年生だったか。アキラという、体の小さな男の子が、やたらと先生に叱られていた。念のためにつけ加えると、仮名である。
「アキラ君。ずっと給食費を払っていないから、1万円になっちゃったわよ。今度こそ持ってきなさい」
 当時、給食費は銀行引き落としでなく、現金で徴収していたのだ。ところが、アキラだけは4月から一度も支払いをせず、たまりにたまって1万円に膨れ上がったのだとか。担任の先生は集金袋を高く掲げ、みんなの前でアキラに念を押した。
「うわっ、1万円だって」
「アキラんち、貧乏だな」
 昭和の子には人権がない。先生に好き放題に責められ、クラスメイトに驚かれ、アキラは苦笑いをするしかなかった。
 着ているものや持ちものから、アキラの家が裕福ではないと察することは簡単だった。シミのついたヨレヨレのTシャツ、穴の開いたズボン、擦り切れて汚れたバッグ……。でもそれは、アキラのせいではない。
 入学して間もなく、休み時間に、男子が大笑いして騒ぎ出したことがあった。
「うわ、アキラがオナラした! くせー」
 おそらく、家庭できちんとしつけをしていなかったのだろう。アキラは、人前でオナラをすることが恥ずかしいと思っていなかったように見えた。何かをすれば笑われ、何かを言えばからかわれ、先生からは怒られてばかりだったのかもしれない。
 そして、悲劇は真冬の寒い時期に起きた。
「みなさん、今日からアキラ君は学校に来ません」
「ええ~、何で?」
「昨日、アキラ君の家が火事になったからです」
 先生が、まるでワイドショーのレポーターのように話し始めた。アキラ君には弟2人と妹1人がいたこと、その夜は子どもだけだったこと、ストーブをつけようとしたら灯油がなかったこと、箸を使ってポリタンクから灯油を注いだときにこぼしてしまったこと、そこから火が燃え広がり、火事になってしまったこと……。
「アキラ君は、弟や妹を置き去りにして、自分だけ窓から逃げたんです。アキラ君しか助かりませんでした……」
「…………」
 今にして思えば、「ここまで言うか」という説明である。
 弟や妹を見捨てて、自分だけ逃げた? 
 同じ言葉が、頭の中をグルグルと何回転もしている。幼い子どもには衝撃が大きすぎて、誰もが受け止め切れなかった。
 以来、私は貧困家庭の子どもの話を聞くと、すぐさまアキラを思い出すようになった。同時に、喉にカボチャの煮物が詰まったような息苦しさを感じて、どうにもやりきれない。トラウマになっていたのだろうか。
『15歳、ぬけがら』でも、麻美が食事の前に「いただきます」を言わなかったり、セミの名前を知らなかったりと、普通ではなかった。親子の会話がなく、家庭が機能していない証拠だ。
 でも、麻美は学習支援塾『まなび~』に通うようになり、少しずつ変わっていく。何がどう変化していくかは読んでのお楽しみだが、麻美に社会性が芽生えてくると、思い出の中のアキラ少年までが成長している気分になる。貧困から抜け出そうと、前向きに生きる姿が、「もしかして、アキラも立ち直ったかもしれない」と思わせるのだ。息苦しさが緩み、少し楽になってきた。
 まりさん、この本に出会えてよかったです。
 これからも、ずっと応援していますからね!


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 「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
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コメント (4)
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