夫がスーツケースの鍵をなくした、だから何だというのか。
妻はそれより前に、もっとスペシャルなものをなくしてしまい、探し続けているのだ。
それは、結婚指輪。
娘を産む前までは確かにあった。しかし、かかりつけの産科では「妊婦は体がむくみやすく、指輪が外れなくなって一大事となるケースがある」という理由で、はめない決まりになっていた。
私もそれを守り、なくさないようにと和紙に彩られた小箱にしまったはずなのだが……。
出産後、箱を開けたら見当たらなかったというわけだ。
ひょっとしたら、しまった場所を勘違いしていたのだろうか。不用になったジュエリーボックスを、中身ごと捨てたことを思い出す。もしや、あの中に紛れ込んでいたのでは……。
幸いなことに、産後は手荒れがひどく、あかぎれやひび割ればかりで指輪がはめられない状態だったから、不審に思われなかったらしい。
でも、数年経って手荒れが治ってしまうと、厳しい現実が待っていた。
「ママは何で指輪をしないの? パパはしてるのに。おばあちゃんが結婚指輪は毎日しないといけないって言ってたよ」
娘が保育園に通っていたころ、そんなことを言われてドキッとした。指輪のことは、私の中では最高機密だが、目ざとい義母が勘付いてしまったようだ。
「ご飯を作るのに邪魔だから、しまってあるんだよ」
ふーん、と娘は納得し引き下がった。しかし、いつかは夫にも打ち明けねばなるまい。
どう言えばいいかを、頭の中でシミュレーションしてみる。
「実は指輪をなくしたの。でも、質量保存の法則では、化学反応の前後で質量の増減がないと証明されているのよ。私の指輪も、形が変わっているかもしれないけれど、この世界のどこかに存在しているはず。だから、本当の意味ではなくなっていないってことね」
これでは言い訳どころか開き直りだ。体育会系の夫は納得するどころか、屁理屈だと怒り出すだろう。
路線を180度変えて、こういう手もある。
「あのねぇ、指輪なくしちゃったんだ~。だから、もう1個買ってちょうだい!」
精一杯カワイコぶって言っても、「自分で勝手になくしたくせに図々しい」と、これまた一喝されそうだ。
よく似た指輪を買って、素知らぬ顔をしてはめるという方法を友人からは勧められたが、自分で買うのはシャクだ。第一、ご利益がない。
結婚指輪のご利益とは、「少なくとも、一人くらいは相手にしてくれる人がいることの証明」だろうか。
当時の私は、40代を目前にして先行き不安なお年頃だった。同年代の女性が、当たり前のようにプラチナの輝きを薬指から放っていると、取り残される感じがする。あちらは保証書つきだけど、こちらは保証書なし、といった気分だ。やっぱり、指輪が欲しい。
そこで、17年ぶりに、夫に誕生日プレゼントをあげた。
「あ、パスケースだ。欲しかったんだよね~」
夫が、パスモを剥き出しで使っていたので、絶対喜ぶと確信していた。ラルフ・ローレンの渋い一品を、娘と一緒に選んだのだ。
「みーちゃん、ありがとう」
……夫が、娘にだけお礼を言ったのには腹が立ったが、大事の前だったのでこらえた。
やがて、私の誕生日が近づいてきた。
「ママ、誕生日プレゼントは何がいい?」
よーし、来た来た!!! その言葉を待っていたのだ!
「そうね、指輪が欲しいの」
心の高鳴りを抑えつつ、私は物静かに話す。
「いいよ。どこで買おうか」
最初は、保証書としての指輪が欲しいと思っていただけだったのに、誕生日がくる頃にはすっかり欲の皮が突っ張ってしまった。
「ミキモトがいいな。プラチナでダイヤがついているやつ。もうネットを見て、決めてあるのよ」
パソコンの画面を見てモノを確認すると、夫はもう一度「いいよ」と言った。
「よかった! 実は、結婚指輪が長いこと見当たらなかったから、もう1個欲しいと思っていたんだよね。どこかに紛れてるはずなんだけどさぁ~」
さらりと言って、あとは笑顔でやり過ごす。夫はちょっと驚いたようだが、前言撤回するまでのことではないと判断したのだろう。その後はいつも通りだった。
やった~、作戦勝ち!!
平常心を装いながら、私は心の中で大きくガッツポーズを作った。
結婚指輪は人の付加価値を高める。はめるだけで人間性がアップするような気がして、自信がつく。いい感じで40代のスタートが切れてうれしい。
しかし、姉にこの話をしたら、冷静な言葉が返ってきた。
「その指輪の値段は、パスケースの何倍したのよ。まるで詐欺じゃない」
たしかに、指輪はパスケースの10倍ほどの価格だった。詐取、巻き上げる、などの類語が脳裏を横切る。
私だって良心は痛むが、贈った彼も満足しているのだから、まあよしとしよう。
私の人生後半がどのようになるかは、神のみぞ知る。
![](http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/18/b2b19eb2db2595e3407c99e2498c999f.png)
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妻はそれより前に、もっとスペシャルなものをなくしてしまい、探し続けているのだ。
それは、結婚指輪。
娘を産む前までは確かにあった。しかし、かかりつけの産科では「妊婦は体がむくみやすく、指輪が外れなくなって一大事となるケースがある」という理由で、はめない決まりになっていた。
私もそれを守り、なくさないようにと和紙に彩られた小箱にしまったはずなのだが……。
出産後、箱を開けたら見当たらなかったというわけだ。
ひょっとしたら、しまった場所を勘違いしていたのだろうか。不用になったジュエリーボックスを、中身ごと捨てたことを思い出す。もしや、あの中に紛れ込んでいたのでは……。
幸いなことに、産後は手荒れがひどく、あかぎれやひび割ればかりで指輪がはめられない状態だったから、不審に思われなかったらしい。
でも、数年経って手荒れが治ってしまうと、厳しい現実が待っていた。
「ママは何で指輪をしないの? パパはしてるのに。おばあちゃんが結婚指輪は毎日しないといけないって言ってたよ」
娘が保育園に通っていたころ、そんなことを言われてドキッとした。指輪のことは、私の中では最高機密だが、目ざとい義母が勘付いてしまったようだ。
「ご飯を作るのに邪魔だから、しまってあるんだよ」
ふーん、と娘は納得し引き下がった。しかし、いつかは夫にも打ち明けねばなるまい。
どう言えばいいかを、頭の中でシミュレーションしてみる。
「実は指輪をなくしたの。でも、質量保存の法則では、化学反応の前後で質量の増減がないと証明されているのよ。私の指輪も、形が変わっているかもしれないけれど、この世界のどこかに存在しているはず。だから、本当の意味ではなくなっていないってことね」
これでは言い訳どころか開き直りだ。体育会系の夫は納得するどころか、屁理屈だと怒り出すだろう。
路線を180度変えて、こういう手もある。
「あのねぇ、指輪なくしちゃったんだ~。だから、もう1個買ってちょうだい!」
精一杯カワイコぶって言っても、「自分で勝手になくしたくせに図々しい」と、これまた一喝されそうだ。
よく似た指輪を買って、素知らぬ顔をしてはめるという方法を友人からは勧められたが、自分で買うのはシャクだ。第一、ご利益がない。
結婚指輪のご利益とは、「少なくとも、一人くらいは相手にしてくれる人がいることの証明」だろうか。
当時の私は、40代を目前にして先行き不安なお年頃だった。同年代の女性が、当たり前のようにプラチナの輝きを薬指から放っていると、取り残される感じがする。あちらは保証書つきだけど、こちらは保証書なし、といった気分だ。やっぱり、指輪が欲しい。
そこで、17年ぶりに、夫に誕生日プレゼントをあげた。
「あ、パスケースだ。欲しかったんだよね~」
夫が、パスモを剥き出しで使っていたので、絶対喜ぶと確信していた。ラルフ・ローレンの渋い一品を、娘と一緒に選んだのだ。
「みーちゃん、ありがとう」
……夫が、娘にだけお礼を言ったのには腹が立ったが、大事の前だったのでこらえた。
やがて、私の誕生日が近づいてきた。
「ママ、誕生日プレゼントは何がいい?」
よーし、来た来た!!! その言葉を待っていたのだ!
「そうね、指輪が欲しいの」
心の高鳴りを抑えつつ、私は物静かに話す。
「いいよ。どこで買おうか」
最初は、保証書としての指輪が欲しいと思っていただけだったのに、誕生日がくる頃にはすっかり欲の皮が突っ張ってしまった。
「ミキモトがいいな。プラチナでダイヤがついているやつ。もうネットを見て、決めてあるのよ」
パソコンの画面を見てモノを確認すると、夫はもう一度「いいよ」と言った。
「よかった! 実は、結婚指輪が長いこと見当たらなかったから、もう1個欲しいと思っていたんだよね。どこかに紛れてるはずなんだけどさぁ~」
さらりと言って、あとは笑顔でやり過ごす。夫はちょっと驚いたようだが、前言撤回するまでのことではないと判断したのだろう。その後はいつも通りだった。
やった~、作戦勝ち!!
平常心を装いながら、私は心の中で大きくガッツポーズを作った。
結婚指輪は人の付加価値を高める。はめるだけで人間性がアップするような気がして、自信がつく。いい感じで40代のスタートが切れてうれしい。
しかし、姉にこの話をしたら、冷静な言葉が返ってきた。
「その指輪の値段は、パスケースの何倍したのよ。まるで詐欺じゃない」
たしかに、指輪はパスケースの10倍ほどの価格だった。詐取、巻き上げる、などの類語が脳裏を横切る。
私だって良心は痛むが、贈った彼も満足しているのだから、まあよしとしよう。
私の人生後半がどのようになるかは、神のみぞ知る。
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