高尾で墓参りをするたびに「八王子城跡」の文字が気になっていた。
私は城や遺跡が好きだ。ホームページをチラ見すると、興味をそそられる写真がいくつも載っている。暑くならないうちにと、思い切って行ってみた。
午前7時20分、JR高尾駅着。いつも11時台だったので、こんなに早く来たことはない。思いの外、リュックを背負ったハイカーたちでにぎわっており、見慣れた光景と違っていた。もっと遅くてもよかったのだが、早朝の目当ては別のところにあった。駅北口に隣接するカフェ・一言堂のモーニングを食べたかったのだ。
「うう、和食かぁ……」
決して白飯が嫌いなわけではないけれど、この日のモーニングは和定食のようで哀しかった。ご飯は昼か夜がいい。なぜか朝はパン食に憧れる。
和食をスルーしても、腹ペコで困る心配はない。便利なことに、このお店ではパンも売っているので、コロッケパンとおはぎを持ってレジに向かう。温かい深煎りコーヒーと一緒にいただき、まあまあの朝食になった。コロッケパンは日が変わってから焼いたものらしく、ほのかに温かかった。
土日は城跡まで直行のバスで10分。歩いても40分ほどで着くというアクセスのよさが嬉しい。
管理棟で地図をもらい開いてみたら、予想以上の広さにビビった。しかも、曲輪(くるわ)や土塁(どるい)などの専門用語が並んでおり、無知ゆえに心細い。看板を見ると、9時からボランティアの方によるガイドもしてもらえるらしい。だったら、用語の解説や見どころを教えていただき、効率よく回るのがよさそうだ。
「こんにちは。私がご案内いたします」
元気な女性の方のご挨拶を受け、城跡ツアーの始まり、始まり~!
八王子城跡は、城下町にあたる根小屋地区、戦闘時に要塞となる要害地区、城主・北条氏照の館があり生活の中心になっていた居住地区の3つに分かれている。ガイドの対象となるエリアは、「御主殿跡」を中心とした居館地区となるらしい。
本丸跡を含む要害地区に後ろ髪を引かれたが、予想以上に厳しい地のようだ。
「標高460mですから、それなりの装備で登らないと危ないですよ」
「じゃあ、次は登山スタイルにします」
ただのウォーキングシューズを履き、通勤時と同じ服装で来てしまった私は、ガイドさんの言葉にすごすごと引き下がった。くすん。
あとからわかったことだが、普段着でも行かれる居住地区の方が見どころは多いようだ。専門用語の説明もしていただき、次々と謎が解けた。
「土塁(どるい)」
敵の侵入を防ぐために、土を盛り固めて曲輪(くるわ)の周囲を囲んだもの
写真右側の盛り土がそれである。
「曲輪」
土塁などで囲んだ平らな場所
敵が土塁を乗り越えて侵入した際、槍などを構えて迎え撃つ場になるのであろう。
古道を歩いていると、ガイドさんが「あの上に本丸がありますよ」と指を差す。
山のてっぺんが要害地区になるようだ。たしかに、舐めた服装で向かったら、しっぺ返しを食らいそうに見えた。管理棟から40分ほどとはいえ、急こう配でハードなのだとか。自分の体力と運動神経をわきまえ、「やめておいてよかった」と心の中でつぶやいた。
別の用語も覚えた。
「曳橋(ひきはし)」
非常時には壊すなどして敵が渡れないようにする橋
当時は取り外しのできる構造になっていたらしい。この橋を渡れば、御主殿跡まであとちょっとだ。
御主殿の手前に立派な石垣があった。
石垣や石畳は、なるべく当時のものをそのまま利用したという。
大小の石を組み合わせ、横長になるよう重ねた石垣は、かなりの迫力であった。
水はけもよく、ち密に計算されているようだ。
入口には、最後の砦となる仕掛けが残されていた。
「虎口(こぐち)」
曲輪の出入り口。直進できないようにするなどして、侵入しづらい工夫がされている
カクカクと曲がりくねり、段差をつけるだけでなく、敵を迎え撃つのに有利なように、奥の方が太くなっているのだとか。説明をしながら、ガイドさんがリュックから小道具を取り出し、手のひらに載せて見せてくれた。
「これは、まきびしと土玉です。ここからいくつも見つかっています。軟らかい土の上だと沈んで効果が発揮されませんが、石の上ならわらじを通過して敵にダメージを与えたり、滑って思うように進ませなかったりすることができました」
「へええ~」
矢が飛び交い、鉄砲を撃ち、刀を振り回して敵を斬る。一つしかない命を賭けて、攻める方も守る方も必死の形相で戦った様子がしのばれた。
虎口を抜け、冠木門(かぶらぎもん)をくぐると、御主殿跡に到着する。
八王子城は1582年に築城を開始し、1587年頃までに拠点として活用されるようになったそうだが、1590年6月23日に前田利家・上杉景勝軍に責められ、わずか一日で落城したという。幾重にも防御線を築いたというのに、相手が強過ぎたのだろうか。一族郎党を根絶やしにされ、本当に気の毒なことだ。
御主殿は城主である氏照の館であった。短い期間とはいえ、広々として居心地のよいこの場所で、何を思い過ごしたのだろうか。
八王子城跡は日本100名城にも選ばれている。小田原北条氏の拠点と戦のセオリーがわかる、素晴らしい史跡であった。
今回は一部分しか見られなかったので、残りは宿題として、年内には再訪したい。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
私は城や遺跡が好きだ。ホームページをチラ見すると、興味をそそられる写真がいくつも載っている。暑くならないうちにと、思い切って行ってみた。
午前7時20分、JR高尾駅着。いつも11時台だったので、こんなに早く来たことはない。思いの外、リュックを背負ったハイカーたちでにぎわっており、見慣れた光景と違っていた。もっと遅くてもよかったのだが、早朝の目当ては別のところにあった。駅北口に隣接するカフェ・一言堂のモーニングを食べたかったのだ。
「うう、和食かぁ……」
決して白飯が嫌いなわけではないけれど、この日のモーニングは和定食のようで哀しかった。ご飯は昼か夜がいい。なぜか朝はパン食に憧れる。
和食をスルーしても、腹ペコで困る心配はない。便利なことに、このお店ではパンも売っているので、コロッケパンとおはぎを持ってレジに向かう。温かい深煎りコーヒーと一緒にいただき、まあまあの朝食になった。コロッケパンは日が変わってから焼いたものらしく、ほのかに温かかった。
土日は城跡まで直行のバスで10分。歩いても40分ほどで着くというアクセスのよさが嬉しい。
管理棟で地図をもらい開いてみたら、予想以上の広さにビビった。しかも、曲輪(くるわ)や土塁(どるい)などの専門用語が並んでおり、無知ゆえに心細い。看板を見ると、9時からボランティアの方によるガイドもしてもらえるらしい。だったら、用語の解説や見どころを教えていただき、効率よく回るのがよさそうだ。
「こんにちは。私がご案内いたします」
元気な女性の方のご挨拶を受け、城跡ツアーの始まり、始まり~!
八王子城跡は、城下町にあたる根小屋地区、戦闘時に要塞となる要害地区、城主・北条氏照の館があり生活の中心になっていた居住地区の3つに分かれている。ガイドの対象となるエリアは、「御主殿跡」を中心とした居館地区となるらしい。
本丸跡を含む要害地区に後ろ髪を引かれたが、予想以上に厳しい地のようだ。
「標高460mですから、それなりの装備で登らないと危ないですよ」
「じゃあ、次は登山スタイルにします」
ただのウォーキングシューズを履き、通勤時と同じ服装で来てしまった私は、ガイドさんの言葉にすごすごと引き下がった。くすん。
あとからわかったことだが、普段着でも行かれる居住地区の方が見どころは多いようだ。専門用語の説明もしていただき、次々と謎が解けた。
「土塁(どるい)」
敵の侵入を防ぐために、土を盛り固めて曲輪(くるわ)の周囲を囲んだもの
写真右側の盛り土がそれである。
「曲輪」
土塁などで囲んだ平らな場所
敵が土塁を乗り越えて侵入した際、槍などを構えて迎え撃つ場になるのであろう。
古道を歩いていると、ガイドさんが「あの上に本丸がありますよ」と指を差す。
山のてっぺんが要害地区になるようだ。たしかに、舐めた服装で向かったら、しっぺ返しを食らいそうに見えた。管理棟から40分ほどとはいえ、急こう配でハードなのだとか。自分の体力と運動神経をわきまえ、「やめておいてよかった」と心の中でつぶやいた。
別の用語も覚えた。
「曳橋(ひきはし)」
非常時には壊すなどして敵が渡れないようにする橋
当時は取り外しのできる構造になっていたらしい。この橋を渡れば、御主殿跡まであとちょっとだ。
御主殿の手前に立派な石垣があった。
石垣や石畳は、なるべく当時のものをそのまま利用したという。
大小の石を組み合わせ、横長になるよう重ねた石垣は、かなりの迫力であった。
水はけもよく、ち密に計算されているようだ。
入口には、最後の砦となる仕掛けが残されていた。
「虎口(こぐち)」
曲輪の出入り口。直進できないようにするなどして、侵入しづらい工夫がされている
カクカクと曲がりくねり、段差をつけるだけでなく、敵を迎え撃つのに有利なように、奥の方が太くなっているのだとか。説明をしながら、ガイドさんがリュックから小道具を取り出し、手のひらに載せて見せてくれた。
「これは、まきびしと土玉です。ここからいくつも見つかっています。軟らかい土の上だと沈んで効果が発揮されませんが、石の上ならわらじを通過して敵にダメージを与えたり、滑って思うように進ませなかったりすることができました」
「へええ~」
矢が飛び交い、鉄砲を撃ち、刀を振り回して敵を斬る。一つしかない命を賭けて、攻める方も守る方も必死の形相で戦った様子がしのばれた。
虎口を抜け、冠木門(かぶらぎもん)をくぐると、御主殿跡に到着する。
八王子城は1582年に築城を開始し、1587年頃までに拠点として活用されるようになったそうだが、1590年6月23日に前田利家・上杉景勝軍に責められ、わずか一日で落城したという。幾重にも防御線を築いたというのに、相手が強過ぎたのだろうか。一族郎党を根絶やしにされ、本当に気の毒なことだ。
御主殿は城主である氏照の館であった。短い期間とはいえ、広々として居心地のよいこの場所で、何を思い過ごしたのだろうか。
八王子城跡は日本100名城にも選ばれている。小田原北条氏の拠点と戦のセオリーがわかる、素晴らしい史跡であった。
今回は一部分しか見られなかったので、残りは宿題として、年内には再訪したい。
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