これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

映画『アプレンティス』がオススメ!

2025年02月23日 23時26分04秒 | エッセイ
 ブロ友さんの記事に刺激され、映画『アプレンティス ドナルド・トランプの創り方』を見てきた。



 一番便利な劇場は新宿三丁目にあるキノシネマ。総合生活企業である木下グループの映画館と知ったのは入ってからだ。ドリンクバーやビールもあると聞き、生唾ゴックンになったけれど、歯の治療をした直後で麻酔が効いていたため断念した。今度は万全の体調で臨みたい。
 18時からの回であっても観客数はまずまず。就任直後から大統領令を頻発している、かの人物に興味関心を抱く者が多いのだろう。私もだけど。



 若かりし頃のドナルドは、決して「関税、関税」と強硬突破を図るタイプではなかった。しかし、悪どくてやり手の弁護士、ロイ・コーンと出会い、「勝つための3つのルール」を真似するようになってからは、大きく変貌を遂げていく。
 それは、誠実の真逆を突っ走るルールだった。
 1には、「攻撃、攻撃、攻撃」
 2には、「非を絶対に認めるな」
 3には、「勝利を主張し続けろ」となっている。
 自信たっぷりに見えても、その実、劣勢であることを悟られまいとして、「しまった」「まずい」を表情や態度に出さないようにしつつ、相手の弱点を攻めていく。やがて味方が現れ窮地を脱していくのだから、勝利の方程式は「限りない強気」ともいえる。結果がすべてであれば、倫理観など無用の長物に違いない。
 なるほど。
 ロイだけでなく、ドナルドの父にも問題があると感じた。傾いた家業に苛立ち、一家が揃った食卓で不平不満をわめいて家族団らんの場の空気を悪くする。兄のフレッドがパイロットになったことに失望し、「一家の恥」「バスの運転手と同じ」などと口汚く罵る場面には、「なぜそこまで言うのか」と胸がムカムカしてきた。兄・フレッドが別の家庭に生まれていれば、もっと幸福な人生が待っていたかもしれない。
 ドナルドは、兄を邪険に扱ったことに後悔の念があった描かれ方をしていた。ベッドに横たわっても寝付けず、苦悩の表情を浮かべるシーンでは、必ずしも「完全にアンチ」な姿勢で作られた映画ではないとの印象を受けた。その後、どんどん変わっていくのだけれど。
 唯一「エライ」と感じた場面は、ドナルドが酒を勧められたときに「感覚を鈍らせるものは飲まない」と拒否するところだ。故安倍氏も「トランプ氏は酒を飲まない」と回顧録に書いていた。私は仕事を持ち帰っていても、スパークリングを飲んで昼寝し、「いかん」と焦ることを繰り返しているので、この点は見習わなければならないかも……。
 『アプレンティス』の上映時間は123分だが、トランプタワーの華やかさや、ドナルドのタフな行動、ロイの病気などが目まぐるしく移り変わり、気づいたらエンドロールが流れていた。「え、もう?」という感覚で、1時間ほどしか経っていない印象を受けた。観客を退屈させず、スクリーンに引き込む力は相当なものだったと感心する。
 キノシネマでは、今週も上映が続くようだ。
 ご興味があればぜひ。

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2025 手負いのバレンタイン

2025年02月16日 15時30分18秒 | エッセイ
 2月になるのを待っていたかのように、月が替わるや否や、歯茎が腫れて炎症を起こした。
「いててて、またか」
 痛むのは左の下、一番奥の歯を支えている歯茎であった。日記を見ると、2023年の10月にも同じところが化膿してしまい、歯医者に駆け込んだと書いてある。
 普段は何ともないのだが、疲れがたまっていたり、睡眠不足が重なっていたりするとプクッと膨れ始め、ズキズキ、ズキズキと鼓動を打ち始める。加えて、この日は節分の恵方巻をほおばったことにより、腫れがひどくなったようだった。
 迷わず休みを取り、歯医者で治療を受けた。すぐに治ると思って「前祝いだ!」と甘いものをいただいたのだが、なかなかよくならない。



 抗生剤が切れる前に、もう一度医師に診てもらったら、嚙み合わせの悪さを指摘された。
「この歯は、ちょっと高いですね。かぶせた銀を削りましょう」
 たしか、数年前に銀を詰めなおしたとき、「もう少し低い方がいいかも」と迷いつつ、さらに削られるのがイヤで申し出なかったことを思い出した。安易な妥協がのちの腫れにつながったのであろう。この日に削ってもらったら、ビックリするくらい痛みが引いたので、嚙み合わせは大事だということが、よお~く理解できた。
 おかげでズキズキ痛はなくなったけれど、硬いものを噛むと、未だに歯茎に響く。完治するにはもうちょっと時間がかかりそうだ。
 しかし、私の歯の状態に関わらず、バレンタインデーはやってくる。
「はいどうぞ」
「ありがとう」
 今年も友チョコをあげたりもらったりで楽しんだ。さすがに、こげ茶色に固まったチョコレートを噛むと、奥歯のズキーンがぶり返すので、気をつけなければならない。
 家に帰ると、夫にもチョコレートを渡さないといけない。こちらは私の口の状態を反映し、やわらかいチョコバウムにした。



 ロイズでバウムクーヘンを買ったのは初めてのことで、「果たして美味しいのか?」と思わなくもない。義理チョコとしてフルーツバーを10個買ったついでに、バウムクーヘンも頼んだだけだった。ひいきにしているホレンディッシェ・カカオシュトゥーベか、治一郎の方がよかったかもしれないとの後悔が脳裏をチラッとよぎった。
 夫にあげておきながら、自分で切り分けるのもなんだな……。
 冷静に考えればおかしな話だが、毎年のことなので「まあいいか」と苦笑してナイフを取り出した。



 3等分に切り、チョコで囲まれた円の一部を取り皿に載せる。
「いただきまーす」
 カステラはちょっと硬め。糖分は控えめだが、周囲のチョコレートが加わり適度な甘さとなっている。日持ちする割にはパサパサしておらず、しっとり感がうれしかった。
「美味しいじゃん」
 思った通り歯茎は痛くない。正直言って、味は期待していなかった。満点を100としたとき、予想は50だったのに、食べたら85ぐらいまで急上昇している。ロイズはバウムクーヘンもイケるとわかり、収穫だった。
 職場でチョコを配り終え、残りのフルーツバーに手を伸ばす。



 中に入っているクランベリー、ストロベリー、マンゴーといったドライフルーツに、サクサクのパフを組み合わせ、桃色に染まったホワイトチョコで包み込んだミルキーな一本。これがたまらない。勢いよくカリッとかじりたかったのに、傷めた歯茎が許してくれなかった。
「うう、いたた……」
 まだ早かったか。
 いくらなんでも、ホワイトデーまでには治るだろう。
 別のバウムクーヘンにしてもらおうかな。

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お世話になります、任天堂さん

2025年02月09日 17時57分14秒 | エッセイ
 先月、那須に住む両親の顔を見てきたが、父の老化が急激に進み心配している。その後、様子はどうかと母にメールしたら、芳しくない返事が返ってきた。
「お昼はたまに食べるぐらいで、ほとんど食べなくなってきたよ」
 えっ!
「尿漏れしても大丈夫なパンツを買ったけど、トイレで排便に失敗することもあるの」
 ひっ。
 いよいよ本格的な介護に突入するのだろうか。母一人では困るだろうと思い、昨日も那須を目指して家を出た。
 大雪の影響で、北に向かう新幹線はことごとく遅れていたが、動いているだけでもマシだ。30分遅れで那須塩原駅に到着した。



 ここからタクシーで20分ほど走れば両親の家に着く。車を下りたところで母が玄関から出迎えてくれた。中に入ると、父も近寄って来て声を掛けてくる。
「こんにちは」
 一応、身内であることは理解しているようで、表情がやわらかい。でも、離れたところからこちらをジッと凝視している様子を見ると、「誰だっけ?」と頭のアルバムをめくっている気がする。警戒されない点では安心なのだが。
 手土産はバウムクーヘン。桃のゼリーも調達したので、母に手渡した。時計はもうすぐ午前11時を差す。そろそろお昼の支度をしなくては。母にはあらかじめ、おでんとおにぎりを持っていくと伝えてあった。
「お母さん、おでんを温める鍋を借りたいんだけど、どこにあったっけ?」
「ここの下に入っているよ」
「あ、これか」
「アタシはシチューを作ったからね」
「え」
 聞いた瞬間、力が抜けた。
 母はいつもピントがずれている。おでんにおにぎり、味噌汁、焼きナス、デザートにラ・フランスという具合いに、こちらはトータルでメニューを考え持参するのに、シチューなんぞを作っていたとは。自分も何かしないといけないと思ったようだが、組み合わせとしておかしいという視点がないのだ。そういえば、数年前のクリスマス会のときにも、チキンやローストビーフが並ぶ食卓に、野菜の煮しめを持ち寄っていたっけ……。
「お母さん、今日はゆっくりしてもらいたくて来たんだから、何も準備しないでって言ったじゃない」
「うん」
「お父さんの世話で毎日忙しいでしょ。私が来たことでやることが増えるのなら、もう来られなくなるよ」
「わかった」
 本当に理解したかどうかはともかくとして、このシチューを無視するわけにいかない。味噌汁を引っ込めて食卓に並べた。



「ごはんだよ」
 果たして父が食べるかな? と半信半疑だったが、意外と素直にやってきた。料理に目を走らせ、ボソッとつぶやく。
「おにぎりだ」
 しかし、最初に箸をつけたのは焼きナスであった。母が父に料理の説明をして、あれこれと話しかける。
「このはんぺん、丸いよ。食べてごらん」
「本当だ。丸いな」
 父ははんぺんを4つに割り、パクリと口に入れた。ゴボウ巻きの話になると「ゴボウは美味いじゃないか」とも言い、以前のように会話ができている。さつまあげ、ちくわも平らげて、「ほとんど食べない人」ではなかった。総入れ歯の父にとって、やわらかくて飲み込みやすい練り物は最適なのかもしれない。おでんを6割ほど食べたところで、アルミホイルに包まれたおにぎりに手を伸ばした。この日は食欲があるようだった。
 父ばかりを観察していないで、私も食べなくては。母の作ったシチューをすくって口にすると、ブロッコリーが固かった。水の分量を間違えたのか、クリーム煮のようになっている。母もまた、年をとって調理の勘が鈍ってきたのだろう。お世辞にも美味しいとはいえない料理が食卓に並び、父が拒否して食べない図式が浮かんできた。作りもしないのに、イヤイヤするとは困ったものだ。
 私がラ・フランスを食べ始めたら、父もつられたように自分のフルーツを口に入れた。
「ダメダメ、果物は全部食べ終わってからだよ」
 母に叱られ、父は「しまった」という表情になった。二人の会話はさらに続く。
「このフルーツ、なんだかわかる?」
「リンゴだろうよ」
「違うよ、洋梨だよ」
「洋梨か」
 両親のやり取りを見ていると、先月よりも元気になったようだ。
「誰かが来ると、お父さんの機嫌がいいの。やっぱり刺激だねぇ」
 その日は、これが最後になるかもしれないと覚悟して来たのだが、笑う父を見て緊張が解けた。
 食後は恒例の坊主めくりである。またかという気もするが、他にネタがないのだ。先月、父は仲間に入らなかったが、この日は一緒に札をめくった。
「坊主だぁ」



「あっはっは」
「姫、来いっ」



「来たぁ~」
「取られたぁ」
 和やかに遊んだあとは片づけをする。箱に入っていた解説書に目をやると、「任天堂」の3文字が見えた。



 札の箱にもあった。



「えっ、任天堂が百人一首を?」
 このかるたは、母が購入したという。昭和40年代のことだから、だいぶ年季が入っているが、その頃から任天堂は活動していたわけだ。居間の端には父が何十年も前に夢中になってプレイしたスーパーファミコンもあった。



「任天堂ってゲームだけじゃないんだね」
 あらためて、母も驚いていた。
 調べてみたら、任天堂はトランプや花札、将棋に囲碁なども製造しているらしい。
 そこで閃いた。この次は、父や母と「回り将棋」をしようかと。
 すっかり老いてしまったけれど、刺激を与えて、少しでも若さを取り戻してほしい。
 任天堂さん、お世話になります。

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八王子城跡・居館地区で北条氏をしのぶ

2025年02月02日 16時04分56秒 | エッセイ
 高尾で墓参りをするたびに「八王子城跡」の文字が気になっていた。
 私は城や遺跡が好きだ。ホームページをチラ見すると、興味をそそられる写真がいくつも載っている。暑くならないうちにと、思い切って行ってみた。
 午前7時20分、JR高尾駅着。いつも11時台だったので、こんなに早く来たことはない。思いの外、リュックを背負ったハイカーたちでにぎわっており、見慣れた光景と違っていた。もっと遅くてもよかったのだが、早朝の目当ては別のところにあった。駅北口に隣接するカフェ・一言堂のモーニングを食べたかったのだ。
「うう、和食かぁ……」
 決して白飯が嫌いなわけではないけれど、この日のモーニングは和定食のようで哀しかった。ご飯は昼か夜がいい。なぜか朝はパン食に憧れる。
 和食をスルーしても、腹ペコで困る心配はない。便利なことに、このお店ではパンも売っているので、コロッケパンとおはぎを持ってレジに向かう。温かい深煎りコーヒーと一緒にいただき、まあまあの朝食になった。コロッケパンは日が変わってから焼いたものらしく、ほのかに温かかった。



 土日は城跡まで直行のバスで10分。歩いても40分ほどで着くというアクセスのよさが嬉しい。



 管理棟で地図をもらい開いてみたら、予想以上の広さにビビった。しかも、曲輪(くるわ)や土塁(どるい)などの専門用語が並んでおり、無知ゆえに心細い。看板を見ると、9時からボランティアの方によるガイドもしてもらえるらしい。だったら、用語の解説や見どころを教えていただき、効率よく回るのがよさそうだ。
「こんにちは。私がご案内いたします」
 元気な女性の方のご挨拶を受け、城跡ツアーの始まり、始まり~!
 八王子城跡は、城下町にあたる根小屋地区、戦闘時に要塞となる要害地区、城主・北条氏照の館があり生活の中心になっていた居住地区の3つに分かれている。ガイドの対象となるエリアは、「御主殿跡」を中心とした居館地区となるらしい。
 本丸跡を含む要害地区に後ろ髪を引かれたが、予想以上に厳しい地のようだ。
「標高460mですから、それなりの装備で登らないと危ないですよ」
「じゃあ、次は登山スタイルにします」
 ただのウォーキングシューズを履き、通勤時と同じ服装で来てしまった私は、ガイドさんの言葉にすごすごと引き下がった。くすん。
 あとからわかったことだが、普段着でも行かれる居住地区の方が見どころは多いようだ。専門用語の説明もしていただき、次々と謎が解けた。
「土塁(どるい)」
 敵の侵入を防ぐために、土を盛り固めて曲輪(くるわ)の周囲を囲んだもの



 写真右側の盛り土がそれである。

「曲輪」
 土塁などで囲んだ平らな場所



 敵が土塁を乗り越えて侵入した際、槍などを構えて迎え撃つ場になるのであろう。
 古道を歩いていると、ガイドさんが「あの上に本丸がありますよ」と指を差す。



 山のてっぺんが要害地区になるようだ。たしかに、舐めた服装で向かったら、しっぺ返しを食らいそうに見えた。管理棟から40分ほどとはいえ、急こう配でハードなのだとか。自分の体力と運動神経をわきまえ、「やめておいてよかった」と心の中でつぶやいた。
 別の用語も覚えた。
「曳橋(ひきはし)」
 非常時には壊すなどして敵が渡れないようにする橋



 当時は取り外しのできる構造になっていたらしい。この橋を渡れば、御主殿跡まであとちょっとだ。



 御主殿の手前に立派な石垣があった。



 石垣や石畳は、なるべく当時のものをそのまま利用したという。
 大小の石を組み合わせ、横長になるよう重ねた石垣は、かなりの迫力であった。



 水はけもよく、ち密に計算されているようだ。
 入口には、最後の砦となる仕掛けが残されていた。
「虎口(こぐち)」
 曲輪の出入り口。直進できないようにするなどして、侵入しづらい工夫がされている



 カクカクと曲がりくねり、段差をつけるだけでなく、敵を迎え撃つのに有利なように、奥の方が太くなっているのだとか。説明をしながら、ガイドさんがリュックから小道具を取り出し、手のひらに載せて見せてくれた。



「これは、まきびしと土玉です。ここからいくつも見つかっています。軟らかい土の上だと沈んで効果が発揮されませんが、石の上ならわらじを通過して敵にダメージを与えたり、滑って思うように進ませなかったりすることができました」
「へええ~」
 矢が飛び交い、鉄砲を撃ち、刀を振り回して敵を斬る。一つしかない命を賭けて、攻める方も守る方も必死の形相で戦った様子がしのばれた。
 虎口を抜け、冠木門(かぶらぎもん)をくぐると、御主殿跡に到着する。



 八王子城は1582年に築城を開始し、1587年頃までに拠点として活用されるようになったそうだが、1590年6月23日に前田利家・上杉景勝軍に責められ、わずか一日で落城したという。幾重にも防御線を築いたというのに、相手が強過ぎたのだろうか。一族郎党を根絶やしにされ、本当に気の毒なことだ。
 御主殿は城主である氏照の館であった。短い期間とはいえ、広々として居心地のよいこの場所で、何を思い過ごしたのだろうか。



 八王子城跡は日本100名城にも選ばれている。小田原北条氏の拠点と戦のセオリーがわかる、素晴らしい史跡であった。
 今回は一部分しか見られなかったので、残りは宿題として、年内には再訪したい。

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