これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

湯島天神合格祈願

2012年01月29日 20時57分06秒 | エッセイ
 受験生のメッカ、湯島天神に行ってきた。目的は、中3の娘の合格祈願である。
「ご祈祷っていくらかかるの? ミキのだから、自分で払うよ」
 出発前に、娘が財布を持って尋ねる。
「3000円、5000円、10000円から選ぶんだよ」
「じゃあ、10000円だ。ケチって落ちたら困る」
 娘は、残り少ないお年玉を財布に入れ、支度を始めた。
 湯島まで、家から1時間弱かかる。本郷3丁目から歩いていくと、鳥居が見えてきた。



 参道は人がまばらだったが、境内に入ると混雑している。合格祈願だけでなく、商売繁盛や厄除けで来る人も多いようだ。参拝者をあてにして、屋台がズラリと並んでいた。



「お母さん、見て! あの絵馬の数」
 娘が仰天し、大きな声を出した。



 なんだ! この多さは!!

 私も度肝を抜かれた。境内には他にも数箇所、絵馬をかける場所があったが、どれも鈴なりになっており、重そうだ。夏に来たときは、こんな状態ではなかった。
 気を取り直して、まずはご祈祷受付に足を運ぶ。本殿は開放されており、外気がもろに入ってきて寒い。受付の足元に、ホットカーペットが敷いてあるのも道理である。
 ご祈祷では、「平常心を保ち、実力が発揮できるように」と祈ってくれる。勝負ごとは、相手に勝つ前に、まず自分に勝たねばならない。落ち着いて試験に臨むことが、何よりも重要だ。決して頭がよくなるわけではないけれど、心の安定には役立つだろう。
 ご祈祷が終わると、お札や神饌を受け取って本殿を出る。ここで絵馬がもらえるので、鈴なりの上から掛けてきた。合格できますようにと願いながら……。
「甘酒が飲みたい」
 娘が屋台に目をやった。



 合格という文字には弱い。1杯300円という強気の価格であったが、買ってみた。



 ここの甘酒は、甘さ控え目だ。私はもうちょっと甘いほうが好きなのだが……。
 物足りなくて、大判焼きも買った。こちらは、小倉あんがグッドである。

 家で、ご祈祷でもらった袋を開けてみた。



 学業成就暦という、11月から3月までしかない不思議なカレンダーが入っていた。それに「入試突破」の文字が入ったハチマキが、異様な雰囲気をかもし出している。「おさがり」と書かれた箱の中身は、梅干であった。



「入試まであと25日で、この梅干もちょうど25個だから、1日1個食べるよ」
「それがいいね」
「ハチマキもする」
 全員が「合格」や「必勝」といった文字入りのハチマキをして、勉強させる塾もあると聞く。ミキは髪の上からハチマキを締め、机に向かった。
「ちょっと休憩」
 一時間後、ミキがお茶を飲みにやってきた。入試突破のハチマキを取る。
「あっ!」
 ハチマキの下の、前髪が真っ直ぐになっていた。ミキはクセ毛で、アイロンを使わないと直毛にならない。しかし、ハチマキで押し付けられて、同様の効果が発揮されたらしい。
「毎朝、ハチマキをしてから学校に行けば、アイロン使わなくてすむね」
「……」
 ミキが無言で睨んできた。
 wikipediaによると、ハチマキは「精神の統一や気合いを向上させるために用いるもの」とされている。これに「クセ毛の矯正」をつけ加えてはどうだろう?
 というのは冗談だが、精神統一と気合いで頑張ってほしい。



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生まれ変わるとしたら

2012年01月26日 21時02分41秒 | エッセイ
 朝、職場に続く道を歩いていたら、反対側から男が現れた。きちんと整えられた髪や、板についたスーツ姿が、働き盛りのサラリーマンであることを物語っている。仕事が好調なのか、シャキッと背筋を伸ばし、こちらに向かって歩いてくる。
 しかし、彼が手にしているものは、ブリーフケースではない。犬や猫などを入れて運ぶ、ペットキャリーなのだ。

 朝っぱらから、何だってペットを??

 不可解な光景に、我が目を疑った。ペット同伴で出勤するのだろうか。いや、それはないだろう。きっと、途中にペットホテルがあって、そこに預けてから職場に行くのではないかと察した。
 キャリーの中には、犬か猫がいるようだが、狭いところに押し込められて気の毒だ。
 以前、電車の中でキャリーに入れられた子犬を見たが、おどおどして可哀想だった。電車が揺れるたびに、不安な顔で周りを見回し、神経をすり減らしている。人間の都合で、ストレスにさらされるのは真っ平だろうと同情した。
 サラリーマンとの距離が近くなった。キャリーの側面はメッシュになっているようで、中が透けて見える。私は、また不安そうな顔がのぞくのではないかと予想した。
 中にいたのは白い猫だ。結構な年齢のようで、毛並みは悪いし、非常に肥えている。太った体に、小さな頭が載っていると、まるで鏡餅だ。
 鏡餅の顔が見えた。不安のかけらは、まるでない。

 寝てるよ……。

 私は驚いた。振動が心地よいのか、どこででも寝られる猫なのかはわからないが、鏡餅は目を細めて爆睡している。気持ちよさそうな表情で、ぐうぐう眠っている。今なら、頭の上にミカンを置かれても気づかないだろう。
 猫は、1日の大半を寝て過ごすという。6時間しか睡眠時間のとれない私とは、雲泥の差だ。
 今度、生まれ変わるとしたら、猫がいい。
 鏡餅体型になっても構わないから、食っちゃ寝、食っちゃ寝して、のんびり暮らしたいものだ。
 私はキャリーを見送り、眠い目をこすりながら職場に向かった。



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砂希より愛をこめて

2012年01月22日 20時00分08秒 | エッセイ
 ときどき、池袋西武の12階でカードを買う。
 母の誕生日が近いので、先週もバースデーカードを探しに行った。
 ここは種類が豊富だから、選び甲斐がある。ありふれたものではつまらない。私らしく、お祝いの気持ちを伝えることのできるカードを見つけたかった。
 だんだん、お見合い写真を選ぶ気分になってきた。お見合いをしたことはないが、だいたいの想像はつく。相手の容姿を観察しつつも、そこに映し出されるのは自分自身なのだ。何が決め手となるかは、その人の好みによる。華やかさを求める人もいれば、控え目で落ち着いた雰囲気に惹かれる人もいる。
 私はというと、ちょっと変わった人が好きだ。無難で平均的な人は、悪くはないが物足りない。何か、その人にしか出せない味を持っているといい。
 そんな好みが反映された、今年のバースデーカードである。



 メッセージを書く欄は、少々使いづらいかもしれない。



 そういえば、昔の同僚に「熊みたいな男性が好き」と言った女性がいた。私はどちらかというと、素朴なものより洗練されたものが好きだ。少なくとも、熊はありえない。
 カードを開くと、大きなホールケーキとなる。



 キレ~イ♪

 白鳥のような優美さと、立体の面白さが気に入った。ついでに、封筒もオシャレ。



 そして、もうひとつ、「おめでとう」カードを買った。
 これは、学生時代の友人に送るものだ。彼は、30代の終わりに転身し、税理士の資格を取るため努力してきた。若い頃と違って妻子がいるし、記憶力も衰え、かなり苦労したらしい。
 だが、今年の年賀状には、ようやく開業した旨の報告があったのだ。めでたい、めでたい。
 そんなわけで、こちらは鯛だ。



 どちらにも、お祝いの言葉をしたため封をする。ケーキのほうは厚みがあるから、のりづけに四苦八苦である。土曜日は郵便局がお休みだ。家にあった切手を適当に貼り、ポストへ投函した。
 砂希より愛をこめて。無事に届きますように。
 そう念じたあと、一抹の不安を感じた。
 料金が足りなかったりして……。



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判定2連発

2012年01月19日 20時34分33秒 | エッセイ
 その日は、年明け早々に行った体外受精の判定日だった。
 過去に妊娠したときは、乳首が痛い、気持ち悪い、激しい眠気に襲われるなどの兆候が見られたが、今回はそれがない。スカを覚悟して病院に向かった。
 妊娠の判定は、尿検査ではなく血液検査で行う。この病院は、血中ホルモン値で体の状態を判断することが多いので、万年貧血気味の身にはつらい。でも、血液からの情報量の多さには驚くことが多い。
 血液検査の結果が出るまで小一時間待ち、ようやく診察室に呼ばれた。ドアを開けると、採卵や移植をしたときと同じ先生がいて、目が合う。表情から、何を言われるかがわかってしまった。
「笹木さん、……残念ながら、今回は妊娠していませんでした」
 ああ、やっぱり。
 予測していても、心にズシリとめり込んでくる。
 医師は私の様子を気遣いながら、さらに言葉を進めた。
「これが血液検査の結果です。このβ-HCGという数値を見てください。0.1となっていますが、これだと受精卵が胚盤胞まで成長しなかったと考えられます」
 移植した受精卵は4分割だったが、さらに細胞分裂を繰り返し、着床可能な胚盤胞という状態に成長する。でも、私の卵は、そこまで至らなかったというのだ。血液から、どこに問題があったかがわかるとは思わなかった。
「グレード2の、まずまずの卵だったんですが、この年齢ですと、胚盤胞まで成長するのは2割程度なんです」
 それは知らなかった。35歳までは8割が胚盤胞まで達するというのに、その後は加齢とともに割合が低下し、40歳では50%程度、44歳では30%以下、45歳では10%以下となる。
「次回は胚盤胞まで培養し、いったん凍結させてから、次の周期に戻すことにしましょう」
 医師は、もっともな提案をした。採卵する周期より、採卵しない周期のほうが、着床率がよい。そこで、凍結という技術が活躍するわけだが、問題は受精卵が凍結できる状態まで成長するかである。体内でも培養でも、2割であることに変わりはないので、成功率はかなり低い。
 昨年1月の体外受精では、着床までたどり着いたというのに、1年後の今は加速度的に悪化している。高齢出産の限界を感じ、なにやら絶望的な気持ちになってきた。

 家に帰ると、郵便受けに手紙が入っていた。先日、娘のミキが受けた模試の結果だ。
 前回までは、志望校の合格判定がCで、合格率40%以上という厳しい状況だった。もし、今回もCならば、志望校のランクを下げるつもりらしい。
 ミキはすばやくハサミを取り出し、結果を開封し始めた。
「あっ、Bだ!!」
 Bは合格圏で、60%以上の合格率となる。
「しかも、あと一歩でAになるBだよ! やったぁ!!」
 Aは安全圏で、合格率80%以上だから、一気にランクアップしたわけだ。家庭教師に大枚はたいた成果は、十分にあった。絶望的な気分が吹き飛び、私も笑顔になる。
「よかったね、ミキ」
「うん! やっぱり、志望校は変えないよ」
 赤ちゃんができることと、娘が希望校に合格することの、どちらが大事かと問われれば、私は迷わず娘のほうだと答える。ツキは全部あげてもいいから、行きたい高校に合格してほしい。
 いずれにせよ、4月からは忙しくなるから、体外受精も3月いっぱいで区切りをつけるつもりでいる。
 さて、もうちょっと、私も頑張らなくちゃ。



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受験商戦

2012年01月15日 20時18分53秒 | エッセイ
 我が家の受験生ミキは、悲しいことに勉強熱心ではない。休みの朝は、9時10時まで寝ていて、やっとこさ起きれば携帯をいじり始め、昼過ぎからようやくエンジンがかかるといった有様だ。しかも、すぐエンストしてしまい、気がつくと、こたつで「グオ~ッ」と豪快に寝ている。
 せいぜい、一日2時間くらいしか勉強していないだろう。受験先は、徒歩20分の場所にある地元の進学校だ。合格圏にいるわけではないから、このままでは受からない。
 家庭教師が来たときは、2時間でも3時間でも頑張るが、いないと気が抜けてしまうようだ。自己管理のできない子に、家庭学習は難しい。こんなことなら、塾に行かせればよかった。
「うん、勉強不足だってことはわかるんだけど、やる気が出ないんだよ」
 私の小言に、ミキはうんざりした顔で言い訳をした。
 やる気が出ないというより、やる気が続かないというほうが正しい。模試の成績が上がった、友達から刺激を受けたという日は、5時間でも6時間でも机に向かっている。しかし、翌日からは元通り、モチベーションが下がって、2時間に減ってしまうのだ。
 今日も、ミキはこたつで昼寝をしている。困ったものだ。
 こたつの近くで、パソコンを起動させた。たまたま見たニュースに、「宮城県石巻市の釣石神社には『落ちそうで落ちない岩』があり、毎年受験生がたくさん訪れる」とあった。震災でも落ちなかったというから驚きだ。
 そういえば、平成3年に台風19号が上陸したさい、青森県などで収穫前のりんごが落果し、甚大な被害があったことを思い出した。あのときは、落ちたりんごが安値で売られたが、中には落ちなかったりんごもあったそうだ。「落ちないりんご」として、受験生が殺到したと聞いたことがある。
 験かつぎのお菓子も多数売られている。「きっと勝つ」をもじったキットカットや、「Toppo(トッポ)」ならぬ「Toppa(トッパ)」などが有名だ。石巻は遠いが、お菓子ならスーパーで手に入る。何か買ってやるべきか。
「んが~」
 娘ののんきな寝顔を見て、冷静になった。釣石神社に行こうが、キットカットを食べようが、実力のないものは受からない。「起きて勉強しなさいよ」と体を揺すると、うっすら目を開けた。
「あ、トッパだ」
 画面を見て、娘が反応した。どうやら、受験生の間でも話題になっているらしい。
「友達がライフで買ったって。ミキにも買ってきてよ」
「勉強しなきゃ、受からないよ」
「何言ってんの。これからやろうと思っていたんだよ」
 娘に言いくるめられたような気もするが、夕食の買い出しのついでに、お菓子コーナーをのぞいてみた。しかし、普通のトッポしか置いていない。キットカットも探したが、それらしきものは見つからなかった。売り切れたのだろうか。
 ないものは仕方ないと諦め、ドラッグストアに寄った。花粉症になったのか、喉がすっきりしなくて鼻水が出る。マスクを買わなくては。
 ところがところが。
 ここに探していた「Toppa」があったのだ。



 キットカットは見当たらなかったが、「ウカール」なるものもあった。



 さらに、「勝てオレ」まである。



 面白くて、ついつい買いすぎた。すっかり受験商戦に乗せられている。
「わー、ありがとう! 勉強頑張るよ!!」
 ミキも、心機一転、机に向かってガリガリ問題集を解き始めた。少なくとも今日は。明日はまた元に戻ってしまうかもしれないが。
 私も受験生向けに、落ちのないエッセイでも書いてみようかな。
 誰も買ってくれないと思うけど……。



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ワタシ向きの仕事

2012年01月12日 21時59分19秒 | エッセイ
 先日、FIFA世界年間表彰式で、澤穂希選手が女子最優秀選手に選ばれた。
 実のところ、私はサッカーが好きではない。なかなか点が入らないからだ。それなのに、まだ大丈夫だろうと高をくくってトイレに立つと、戻ってきたときには得点が入っている。肝心な場面を見逃すことが続くと面白くなくて、だいぶ疎遠になってしまった。
 非国民といわれそうだが、なでしこジャパンの活躍も、ニュースのハイライトで見た程度だ。
 私には、バスケットボールやバレーボールのように、バカスカ点数の増える競技が、性に合っているらしい。

 意外なことに、過去には、サッカースタジアムに足を運んだことがある。
 高校時代の友人・サエコの両親が、サッカー場内で飲食物の販売をしていたからだ。最初は、アルバイトを雇っていたのだが、売上金をくすねられたことから、身元の知れない人に頼むのはやめたという。
 ある日、サエコから電話がかかってきた。
「ねえ、砂希。今度の日曜日、ヒマ?」
 当時、私は浦和に住んでいて、教員3年目だった。すでに結婚していたが、まだ子供はいない。てっきり遊びの誘いだと思い、ワクワクしながら返事をした。
「うん、ヒマだよ。どっか行くの?」
「ううん、ヒマだったら、ウチの店を手伝ってもらえないかと思ってさ。もちろん、バイト代は弾むから」
 しまった! と後悔したがもう遅い。平日はOL、土日は両親の手伝いをしているサエコの頼みを、スパッと断るには勇気がいる。結局、オーケーせざるを得なかった。サエコは受話器を置く前に、再度確認をした。
「じゃあ、エプロン持って、3時に大宮サッカー場ね」

 サエコの母は、肝っ玉母さんで、横に大きな体と、歯に衣着せぬ物言いが特徴だ。
「砂希ちゃん、アンタ、サエコと一緒にドリンクやって。サエコ、しっかり教えてやりな」
 おばさんはそう言うと、パッパとヤキソバを作り始めた。おじさんは、その隣でお好み焼きを焼いている。
 サエコの指導によると、私の仕事はプラカップに氷を入れ、ペットボトルの清涼飲料水を注いだら、250円をもらっておしまいだ。夏だったので、クーラーなしはつらかったけれど、単純作業の繰り返しなら問題ない。
「混む前に、これ食べちゃいな」
 おばさんが、お好み焼きとヤキソバを持ってくる。サエコと2人で、おしゃべりしながら美味しくいただいた。
 日が傾く頃には、お客さんがぼちぼちやってくる。
「えーと、ウーロン茶とコーラ」
 さすがに、最初の客は緊張したが、スムーズに商品を手渡し、500円玉を受け取った。何回か繰り返せば、軌道に乗ってくる。楽勝、楽勝! 私の様子を見守っていたサエコも、ホッとしたようだったが、釘を刺すことは忘れなかった。
「今はいいんだけど、ハーフタイムはすごく混むから覚悟してね」

 試合が始まると、お客さんはほとんど来ない。ポツポツと来ることもあるが、スタジアムがどよめくと、急いで席に戻っていく。私のように、肝心な場面を見逃したのかもしれない。
 その分、ハーフタイムの混雑ぶりはすさまじかった。暑かったこともあり、あちらからも、こちらからも人が押し寄せ、果てしない長さの行列ができた。
「アンバサ」
「はちみつレモンとウーロン茶」
「コーラ」
「アンバサ」
 次から次へと注文をさばいても切りがない。
「ファンタ」
「コーラ」
「コーラとアンバサ」
 誰もが小銭や1000円札を握りしめ、自分の順番をじっと待っている。
「おい、俺が頼んだのはファンタだよ」
 隣を見ると、サエコが注文を間違えたようで、怒られていた。幸いなことに、私は飲み食いするものには、やたらと記憶力がよくなる。注文ミスはなかったし、お客さんと会話を交わしていたら、だんだん楽しくなってきた。

 やばい、この仕事、向いてるかも……!?

 中には、マニュアル通りに行かない客もいる。
「あのう、ウーロン茶をペットボトルごと売ってもらえませんか?」
 つまり、プラカップではなく、2リットルのサイズで買いたいというのだ。どうすりゃいいんだ、と助けを求めて振り返ったら、肝っ玉母さんが吹っ飛んできた。
「ペットボトルごと? 別に構わないけど、うちも商売だからね。4杯分として、1000円になります。砂希ちゃん、カップに氷入れて、一緒に渡して」
 暴利だろうと思ったが、口出しする立場ではない。客は、おばさんの迫力に負けたのか、おとなしく1000円札を払い、カップとともに持っていった。実に頼もしい上司である。
 ハーフタイムが終わる頃には、列の終わりが見え、通勤ラッシュのような戦場もおさまってきた。
 ゲームが再開すれば、また閑古鳥となる。交代で休憩を取った。
 バイト代は8000円と記憶している。ハーフタイム以外、ろくに働かなかったから、申し訳ないような気がした。
 私は、サッカー観戦には向いていないが、サッカー場での販売には適性があるらしい。
 教員に飽きたら、おばさんに雇ってもらおうかな……。



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ワタシの受精卵♪

2012年01月08日 20時56分25秒 | エッセイ
 年末に転院し、年明け早々に体外受精をした。体外受精はこれで3度目だが、新しい病院の高度な技術には驚くことが多い。
 採卵は、無麻酔で実施する。針で、膣壁や卵巣を刺すのだから痛いはずだが、細い針を使っているので、他院より痛みが少ないという。私は高齢ということもあり、卵は1個しか育っていない。一瞬で終わることを祈っていた。
「はい、じゃあ、こちらのモニターを見ていてください」
 オペ室では、超音波の映像を見せてくれる。卵巣の中に、大きな黒い影が映る。これが卵胞だ。
「右」
「はい」
 右の卵巣の卵子を採るということなのだろう。まもなく、看護師とおぼしき女性の声がした。
「チクッとします」
 いよいよというときでも、身構えてはいけない。力を抜いて、リラックス、リラックス。かすかな痛みのあとは、針先から吸い取られていく卵胞が映る。やがて、卵胞の姿はなくなり、影は見えなくなった。
「終わりました」
 ほんの何秒かの出来事だった。採血検査のほうが、よっぽど痛い。楽な採卵に感動である。

 そして、翌日、病院に電話をかける。受精したかどうかの確認だ。
「笹木さんですね。顕微授精で受精しました」
 ああよかった。私は胸をなでおろした。
 受精卵は1日経つと2つに分割し、2日目には4分割となって成長していく。まれに、受精しても、正しく分割しない場合もあるらしい。その翌日も、分割したかの確認をするため、病院に電話をかけた。
「はい。分割が見られますので、移植にいらしてください」
 やった!
 受精卵を子宮内に戻すことを胚移植という。受精卵は、子宮からさらに卵管に移動し、そこで成長したあと、3日から5日かけて子宮に戻ってくるという。戻ってきたときに、子宮内膜に着床すれば、妊娠成立である。
 着床率は加齢とともに落ちる。果たして、そこまでたどり着けるかどうかは、やってみないとわからない。
 クリニックに着くと、移植前に培養士から受精卵について話をされた。
「受精卵は胚ともいいまして、4つのグレードで判定しています。一番いいのがグレード1で、着床率も高いです。



 グレード2は、フラグメントという細胞の断片が入り込んだ胚で



 グレード3は、フラグメントに加えて、細胞の大きさが不ぞろいです。



 グレード4は、不ぞろいの細胞プラス、フラグメントの多い胚ですが、妊娠する可能性がないわけではありません」



 つまり、グレードの高い卵ほど、妊娠率が上がるということだ。移植の直前に、どのグレードかを判定するため、この時点では教えてもらえない。「グレード4だったら、どうしよう」と、かなり不安になった。
 ようやく、移植の時間がやってくる。
「グレードは2でした。子宮内膜の厚さは8mmです」
 ベストではないが、ベターな卵に安堵する。子宮内膜は、10mm前後が着床に適しているという。ちょっと足りなかったけれども、こちらもベターな範囲のようだ。
「はい、じゃあ左のモニターをご覧になってください。受精卵を映します」
 前の病院では、3日目に移植をしていたから、8分割の卵だった。初めて、4分割の受精卵とご対面である。



 ちゃんと写真をくれるところがうれしい。
「今度は、右のモニターをご覧になってください。子宮内に卵が入っていきますので、ご確認をお願いします」
 白い点が、するするするっと下降し、画面の中央で止まった。患者に、ここまで確認させてくれる病院が、他にあるのだろうか。これも、写真つきである。



 あとは、15分ほどベッドで安静にして帰宅した。
 家で、古い超音波の写真を引っ張り出してみた。
 妊娠初期で、娘が胎児のときだ。1995年11月6日 13週5日と書いてある。



 あの受精卵も、大きく成長してほしいものだ。
 そう念じて、母子手帳ケースの中に、受精卵の写真をすべり込ませた。



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パン屋のトドロキさん

2012年01月05日 21時15分05秒 | エッセイ
 私はパン党だ。今日は、仕事帰りに明朝のパンを買いに行った。
 最寄り駅には、3つのパン屋があり、どこに行くかと悩む。改札を出てすぐのところの店は、値段が高いうえ、「本日中にお召し上がり下さい」という商品が多くて困る。北口の店は、夕方になると主婦に買い占められ、ちょっとしか残っていない。売れ残りのパンで我慢するしかないのだ。
 
 よし、今日は南口に行こう!

 あそこなら品数は豊富だし、良心的な価格が魅力的だ。寒さにもめげず、私は南口のパン屋を目指して歩きはじめた。
 時間は5時を回っていたが、予想通り、何種類もの商品が並んでいる。

 あった、あった。

 これが、私のお気に入りのパンである。



 ナポリタン、ハンバーグ、タマゴの3種類が載った、よくばりなパンなのだ。ちょっと、しょっぱい気もするけれど、美味しいから許す。
 そして、もうひとつ、お気に入りがある。
 それは、レジのトドロキさんというオジ様だ。どう見ても、40代から50代にしか見えないし、特にイケメンでもないのだが、レジ技術で右に出る人はいない。
「いらっしゃいませ」と笑顔を見せると、次の瞬間には両手を使ってレジのキーを叩き始める。これが、タイプライターかワープロを打つくらいの勢いなのだ。ダダダダダダダダと、リズミカルに連打する。同時に、「メロンパン135円、チョコスコーン120円……」と価格を読み上げる声も、早口言葉のようなスピードだ。よくマシンガントークというが、さらに上をいって、ミシンのような話し方である。
 合計金額を告げたあとは、客がお金を用意するまでに、手早く袋詰めをする。サッとビニール袋を開け、パッと商品を入れ、シュッと袋の口をたたむのだ。1個あたりの所要時間が2秒なので、サッパッシュッの繰り返しで、それぞれのパンは袋詰めされ、大袋にまとめられる。ヘタすれば、こちらが小銭を出す前に、商品を手渡す準備が整っている。凄まじい速さだ。
 職人芸としかいえない手際のよさに、初めて見たときは呆然とした。トドロキ、オドロキである。
 こんなに手早いパン屋さんは、あとにも先にもこの人だけだ。
 まあ、あっちのほうも早いのでは困るけれど……。

 商品をトレイに載せ、レジに向かう。カウンターに目をやると、お目当てのトドロキさんがせわしなく両手を動かしていた。客は多いほうだと思うが、トドロキさんの活躍で、長い列はできない。すぐに私の番が来た。
「カレーパン160円、フロマージュ120円……」
 いつもながら、早送りの映像のような動きが見どころである。やはり、人は、自分にできないことができる人間を尊敬するのだ。本当にトドロキさんはスゴい。
「607円です」
 合計金額を手渡し、「ありがとうございました」と言われて店を出た。
 いつか、「あなたの技術は素晴らしい!」と伝えてみたい。
 でも、パン屋さんだから、パンをほめられたほうがうれしいのかな?



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新しい年を、新しい病院で

2012年01月03日 21時38分11秒 | エッセイ
 あけましておめでとうございます☆
 昨年は、ご覧になってくださり、ありがとうございました。
 今年も応援よろしくお願いいたします。

 今年は、あわただしく新年を過ごしている。昨年末に転院したからだ。
 第2子がほしくて不妊治療を続けてきたが、2回体外受精を行ったにもかかわらず、いい結果を出せずにいる。
 どうも、体外受精で行われるホルモン注射が曲者らしい。卵巣への過剰な刺激の連続が、腫れや腹水の原因となり、月経周期を乱し、かえって不妊を重症化するという。絶対、体にいい影響がないとは感じていたが、調べてみると想像以上にひどい。しかも、私は高齢で反応が鈍いため、標準の2倍の量を使っているから心配だ。思い切って、ホルモン注射なしの体外受精ができる病院に替えてみた。
 西新宿にある転院先は、365日診察をしているユニークな不妊専門のクリニックである。年末年始は午前のみの診療となるが、体外受精は通常通りに実施している。
 生理後3日目に受診すれば、その周期に体外受精ができると知り、年末に行ってみた。
 診療は8時からなので、8時15分頃に到着した。しかし、受付番号は253番だ。午前中だけでも、400~500人以上が来院し、大変な混雑となっている。世の中には、こんなに不妊に悩む人がいるのかと驚く一方で、絶大な人気を心強く思う。
「今日はお一人ですか? 次回はぜひご主人といらっしゃってくださいね」
 診察時、医師に体外受精の希望を伝えると、なるべく夫婦で来るようにと言われた。前の病院では、「精子さえ持ってきてくれれば、ダンナはいらん」という感じだったので、少々気が重くなる。
「今日から排卵誘発剤を飲んでください。明日からは鼻スプレーも使います」
 年齢の割にはホルモン値がよかったらしく、妊娠の可能性はあるらしい。注射より弱い刺激を与え、卵を成熟させるための治療が始まった。
 患者が集中しているため、このクリニックは待ち時間がべらぼうに長い。8時15分に受付をして、お会計にたどり着いたのは13時ちょうどだった。まめに通院する必要はないから、呼ばれた日だけは後ろに予定を入れないほうが賢明だろう。

 新年を迎え、元旦に飲み薬が終わった。翌2日が診察である。今度は夫婦で受診せねばならない。
「ミキ、お父さんとお母さんはクリニックに行ってくるから、ちゃんと勉強して待っているんだよ」
「うん、わかった」
 娘に朝食を用意し、夫を連れて家を出る。晴れていたが、風は冷たい。ふと隣に目をやると、夫のズボンがやけに薄手で気になった。
「ねえ、そのズボンだと寒いんじゃない?」
「うん、寒い」
「何で冬物にしないの?」
「持ってない」
 正確には、あるけど太ってはけなくなった、といったところか。
「この本、そのバッグに入る?」
 夫のショルダーバッグは小さくて、待ち時間に読む本が収納できないらしい。持っていってと言わんばかりに、本を差し出した。私は本を受け取り、バッグにしまいながら答えた。
「大きなバッグないの?」
「持ってない」
 さすがにため息が出る。
「あのねぇ、バッグもズボンも、買いに行かなきゃ手に入らないのよ」
 生活力のない男には困ったものだ。

 クリニックの中には男性が目立つ。夫婦で来ている患者が多いからだ。夫も多少は安心したらしく、呼ばれるのまで大人しく待っていた。
 夫は、私が妊娠しているときも、産婦人科には来たがらなかった。どうも、男子禁制のイメージがあるらしい。「一人のほうが気楽でいいや」と思っていたが、夫が隣にいるのも悪くはない。たわいのない話をしていたら、待ち時間が短く感じた。
夫はその日、精液検査をし、私は血液検査と超音波で卵子の発育状況のチェックをする。途中で夫と合流し、診察室にて、ようやく医師とご対面できた。
「1個、大きく育っている卵がありますよ。4日に採卵しましょう。ご主人は来られますか?」
「はい、大丈夫です」
 このクリニックでは、採卵のときも夫婦で来院することになっている。うまくいくか、わからないけれども、やってみないことには始まらない。
「奥様は、このあと採卵の説明がありますから、処置室前でお待ちください。では4日に」
 診察室を出て、時計を見ると、すでに14時を回っていた。年末よりは患者が少ない気がするが、それでも4時間かかっている。
「腹が減って、目が回りそうだ……」
 夫が弱音を吐き始めた。もはや限界だろう。
「あとは、私が説明を受けてお会計するだけだから、先に帰っていいよ」
 私がそう言うと、夫は元気を取り戻した。
「じゃあ、悪いけど、そうさせてもらう」
 彼は帰り支度を始めた。コートを着て、バッグをたすき掛けにし、立ち上がる。
「気をつけて」
 夫を見送るつもりでいたのに、彼は立ち上がったまま動かなかった。
「……やっぱり、待ってるよ」
 思いがけない言葉に、私のほうが驚いた。
「でも、いつ終わるかわからないよ。あと1時間かかるかもしれないし」
「でもいい。待ってる」
 夫は再び座席に腰を下ろし、コートを脱ぎ始めた。
 結局、それから30分ほどかかったが、夫が空腹を訴えることはなかった。
 やはり、不妊治療は夫婦の共同作業なのだ。
 ちょっぴり、大人になったような夫を見て、心が温かくなった。



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