おととい、出身大学の入試説明会に行ってきた。私の母校は名門ではないが、中堅レベルということもあり、進学校の落ちこぼれから底辺校のトップクラスまで、幅ひろい生徒が入学する。
この大学には大変お世話になった。大幅に変わった入試制度の話を聞きながら、私の心は学生時代にタイムスリップした。
私が入学したのは商学部である。経済系の学部は、たいがい女子が少ない。教室のドアを開けると、ほとんどが男子だったので、最初は中に入るのがイヤだった。あとから知ったことだが、男女比は8対2だったらしい。
しかし、すぐに、少数派の女子には、いいことがたくさんあるとわかった。
なんといっても、教授陣がやさしい。女子学生は真面目だし、あれこれ話しかけてくるから、オジさんばかりの教授にウケがいいのだろう。特に、仲良しの英子は、疑問があると即質問に行った。隣でやりとりを聞いていたら、私まで名前をおぼえてもらえたことがある。学部長が教える統計学では、友人数人と、休み時間が終わるまで話し込んだものだ。
3月に郵送された成績表を見て、こちらのほうが驚いた。母校では100点満点で評価をすることになっており、80点以上がいわゆる「優」となる。1科目だけ「79」点というふざけた評価があったものの、残りの科目はすべて80点以上であった。女友達に電話をしてみると、みんな同じような成績だという。でも、男子学生は50点や60点ばかりだったらしい。
成績表と一緒に、「第二種奨学生募集のご案内」という手紙が入っていた。この奨学金は、「学業・人物ともにすぐれた学生を対象に、授業料および施設料の免除と、年額15万円を給付します」というものである。私学ならではの気前のよさで、返還の義務はない。
1年次の成績がよかった者にだけ、受験の機会が与えられる。仲間の女子も、軒並みこの手紙をもらっており、みんなで奨学金試験を受験することにした。定員は6名だが、受験生は20名ほどいたと記憶している。ダメもとで小論文を書き、面接に臨んだ。
集団面接だから、受験生は5人である。対する面接官は3人で、中央には統計学を教わった学部長がいた。
「やあ、君たち、また会ったね」
学部長は、私たちの顔を見るなり、弾けたように笑った。両脇の面接官には、「教え子なんですよ、ははは」などと照れながら説明する。その成果があったのか、私と英子、それから加奈子という仲間が合格し、奨学金をもらうことになった。
「6人中、3人がこのメンバーって変だよ。商学部には1000人以上の学生がいるのに、できすぎだ」
はき捨てるように言う男子学生もいたが、運も実力のうちである。授業料と施設料が免除されると、2年次からの納入額は、年額1万3千円程度となる。1年次では100万円以上払っているから、天と地ほどの違いがある。親孝行ができて何よりだ。
そんなことの繰り返しで4年に進み、卒業を控える時期となる。ある日、私はゼミの教授に呼ばれ、研究室に向かった。
「実は、笹木さんが、学術賞の候補に上がっているんですよ」
4年間の成績がよかった学生は、卒業式で学術賞なるものをもらえる。だいたい、学部で4人くらいだ。毎年、大学新聞に受賞者のプロフィールが紹介されているから、賞の存在は私も知っていた。
「だから、私も今回は基準を甘くして、いい点をつけようと思います。あなただけでは不公平だから、全員に甘くするつもりです」
やたらと恩着せがましかったが、自分のゼミから受賞者を出したいという気持ちが見え見えだった。教授と学生の利害関係が一致した結果、私はゼミナールで「100」点という最高の評価をもらい、学術賞の残り1枠にすべり込みセーフとなったようだ。
ゼミの卒業コンパでは、男子学生が評価を話題にしていた。
「オレ、ゼミで100点もらったよ」
「オレもだよ。去年は80点だったのに、どうしたんだろう」
「なんか、みんな100点だったらしいよ」
もはや、苦笑するしかない……。
入試説明会が終わると、回想をやめて個別面談に移る。私は、指定校推薦枠の拡大をお願いし、自分の教え子が1人でも多く入学できればと主張した。可愛い生徒にしてやれることであり、愛する母校への恩返しでもある。
とりわけ、女子に入学してもらいたい。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
この大学には大変お世話になった。大幅に変わった入試制度の話を聞きながら、私の心は学生時代にタイムスリップした。
私が入学したのは商学部である。経済系の学部は、たいがい女子が少ない。教室のドアを開けると、ほとんどが男子だったので、最初は中に入るのがイヤだった。あとから知ったことだが、男女比は8対2だったらしい。
しかし、すぐに、少数派の女子には、いいことがたくさんあるとわかった。
なんといっても、教授陣がやさしい。女子学生は真面目だし、あれこれ話しかけてくるから、オジさんばかりの教授にウケがいいのだろう。特に、仲良しの英子は、疑問があると即質問に行った。隣でやりとりを聞いていたら、私まで名前をおぼえてもらえたことがある。学部長が教える統計学では、友人数人と、休み時間が終わるまで話し込んだものだ。
3月に郵送された成績表を見て、こちらのほうが驚いた。母校では100点満点で評価をすることになっており、80点以上がいわゆる「優」となる。1科目だけ「79」点というふざけた評価があったものの、残りの科目はすべて80点以上であった。女友達に電話をしてみると、みんな同じような成績だという。でも、男子学生は50点や60点ばかりだったらしい。
成績表と一緒に、「第二種奨学生募集のご案内」という手紙が入っていた。この奨学金は、「学業・人物ともにすぐれた学生を対象に、授業料および施設料の免除と、年額15万円を給付します」というものである。私学ならではの気前のよさで、返還の義務はない。
1年次の成績がよかった者にだけ、受験の機会が与えられる。仲間の女子も、軒並みこの手紙をもらっており、みんなで奨学金試験を受験することにした。定員は6名だが、受験生は20名ほどいたと記憶している。ダメもとで小論文を書き、面接に臨んだ。
集団面接だから、受験生は5人である。対する面接官は3人で、中央には統計学を教わった学部長がいた。
「やあ、君たち、また会ったね」
学部長は、私たちの顔を見るなり、弾けたように笑った。両脇の面接官には、「教え子なんですよ、ははは」などと照れながら説明する。その成果があったのか、私と英子、それから加奈子という仲間が合格し、奨学金をもらうことになった。
「6人中、3人がこのメンバーって変だよ。商学部には1000人以上の学生がいるのに、できすぎだ」
はき捨てるように言う男子学生もいたが、運も実力のうちである。授業料と施設料が免除されると、2年次からの納入額は、年額1万3千円程度となる。1年次では100万円以上払っているから、天と地ほどの違いがある。親孝行ができて何よりだ。
そんなことの繰り返しで4年に進み、卒業を控える時期となる。ある日、私はゼミの教授に呼ばれ、研究室に向かった。
「実は、笹木さんが、学術賞の候補に上がっているんですよ」
4年間の成績がよかった学生は、卒業式で学術賞なるものをもらえる。だいたい、学部で4人くらいだ。毎年、大学新聞に受賞者のプロフィールが紹介されているから、賞の存在は私も知っていた。
「だから、私も今回は基準を甘くして、いい点をつけようと思います。あなただけでは不公平だから、全員に甘くするつもりです」
やたらと恩着せがましかったが、自分のゼミから受賞者を出したいという気持ちが見え見えだった。教授と学生の利害関係が一致した結果、私はゼミナールで「100」点という最高の評価をもらい、学術賞の残り1枠にすべり込みセーフとなったようだ。
ゼミの卒業コンパでは、男子学生が評価を話題にしていた。
「オレ、ゼミで100点もらったよ」
「オレもだよ。去年は80点だったのに、どうしたんだろう」
「なんか、みんな100点だったらしいよ」
もはや、苦笑するしかない……。
入試説明会が終わると、回想をやめて個別面談に移る。私は、指定校推薦枠の拡大をお願いし、自分の教え子が1人でも多く入学できればと主張した。可愛い生徒にしてやれることであり、愛する母校への恩返しでもある。
とりわけ、女子に入学してもらいたい。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)