これは したり ~笹木 砂希~

ユニークであることが、ワタシのステイタス

「都電もなか」の罪?

2009年01月29日 22時18分36秒 | エッセイ
 30代半ばの美女、悠子嬢には苦手なものがある。
「悠子さん、さっき山村さんが探していたよ」
「えっ!」
 私がそう言うと、彼女は端正な顔をサッと曇らせた。山村さんは、もうじき50代に突入しようという男性で、決して悪い人ではないのだが、必要以上に顔を近づけて話をするという悪癖を持っている。相手が女性だろうと男性だろうと、美しくても十人並みでも、わけへだてなく、30cmほどの至近距離から話しかけてくる。同僚だけでなく、生徒からも至極不評だ。
「何の用でしょうね……」
 彼の大きな顔と、押しの強い話し方を思い出したのか、悠子嬢は低い声になった。
 すると、噂をすれば影ということわざ通り、山村氏が大きな足音を立ててやってきた。
「ああ悠子さん、いたいた。去年の学校説明会の資料を持ってるって聞いたんだけど、今すぐくんねーかなぁ?」
 キスするのかと思う距離まで、彼の顔が悠子嬢に迫ってきた。メタボの腹も、セットで押し寄せる。
「今すぐですか? 次、授業なんですけれど……」
 悠子嬢は決して彼の目を見ようとせず、さりげなく後退して答えた。これで山村氏との距離は1mに開いた。が、次の瞬間、山村さんが一歩前に出て間合いを詰めたため、また恋人同士の距離に戻ってしまった。

 今、ここで山村さんを押したら、ブチューとなっちゃうだろうな……。

 私は、氏を後ろから突き飛ばしたい衝動に駆られたが、グッとこらえた。
「じゃあ、10時まで。10時までにください! よろしく!!」
 山村さんは再びサンダルの音をとどろかせて立ち去った。悠子嬢は憮然とした表情を浮かべ、返事もしない。ただでさえ生理的に受け付けないタイプなのに、とても人にものを頼んでいるとは思えない態度に憤ったのだろう。  
 そう、悠子嬢は、デリカシーのかけらもないこのオジ様が大嫌いなのだ。
 
 しかし、はたから見ていると、悠子嬢のリアクションは楽しい。
 嫌われていることに気づかない山村氏が、打ち合わせのため、悠子嬢の椅子を借りていたことがあった。席に戻ってきて、山村氏の姿を認めたときの彼女は気絶しそうになっていた。よく悲鳴を上げずにすんだと思う。彼が去ったあと、必死で座布団を手でパタパタと叩いていた。
 氏が資料を配布して回っていたときもあった。悠子嬢がそれを手に取りじっくり読んでいたので、ついいらぬことを教えてしまった。
「山村さんたら、指をなめて配っていたわよ」
 悠子嬢は目を見開いて息を呑み、あわてて資料を放り出した。

「笹木さ~ん、これあげるよ~」
 珍しく、山村さんが都電もなかをくれたことがあり、私は素直に手を出した。
「わぁ、かわいい。ごちそうさまです」
「だろ、だろ? これ、いいよな」
 すっかり得意になっている山村氏にお礼を言い、早速いただいた。美味しいものを食べて幸せな気分に浸っていたら、浮かない顔をしている悠子嬢が目に入った。
「どうしたの? 何か元気ないね」
「あの……さっき、山村さんがこれを……」
 見ると、彼女の机の上にも都電もなかがあるではないか!
「アハハ、せっかくだから、食べればいいじゃない」
「いえ、食べられませんっっ!!」
 悠子さんは、大きな瞳をうるうるさせて、泣きそうな顔で訴えた。
「捨てるのも悪いし、どうしようかと悩んでいました」
「もなかに罪はないよ。別に、山村さんの味がするわけじゃないし」
 私の説得にもかかわらず、悠子さんはますますイヤな顔をして、結局食べなかった。
 なんて不憫な都電もなか……。

 悠子さんはこの4月に異動する予定だ。私は歓送迎会の幹事なので、悠子さんに花を手渡すプレゼンターを誰にするか、決めなければならない。異動者が男性ならば女性に頼み、女性ならば男性に頼むというように、異性を選ぶのが普通だ。
「ねえ悠子さん、誰からお花をもらいたい?」
「そうですね、こちらから指名するものでもないし、特には……」
「あっ!!」
 うってつけの人が浮かんできた。思わずニヤリとすると、意図するところが悠子嬢にも伝わったようだ。
「笹木さん、まさか……」
「そう、そのまさか」
「そしたら、私、帰りますからね!!」

 私が食べたもなかは、山村さんの味がしなかったけどな……。



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シェフになれない主夫

2009年01月25日 20時28分54秒 | エッセイ
 仕事のあと、友人と美味しいものを食べに行くことがある。
 主婦が家を空けるには、夫の協力が必要だ。夕食の支度や子供の世話を頼み、オーケーが出ないと夜遊びはできない。
 夫はやけに強気だった。
「どうせいつも簡単なおかずだろ。それくらいならオレにもできるから、行ってきていいよ」
 ……たしかに、私の料理は簡単にできるものばかりだが、ちゃんと栄養バランスも考えているのだ。もっと他に言い方があるだろうと、私は気を悪くした。
 腹いせに、お出かけの日はフレンチのフルコースをいただき、ついでに映画を観て、日付が替わるころに帰還してやった。

 翌日、小学生の娘に聞いてみた。
「昨日の夕食は何だった?」
「うんとね、サケの塩焼きと刺身だったよ」

 何だ、その組み合わせは!! あり得ないっ!

「野菜はあった?」
「トマトだったかな……。でも、ちょっとしかなかった」
 私はガッカリした。もともと料理は苦手な人だから、期待していなかったけれども、娘のために努力しようという気持ちが欲しい。
「お母さん、夜出かけないでよ。お父さんが作ると美味しくないから」

 たしかに、今までの夫の料理を思い出すと、やけに油っこかったり、意味もなく強い火力で焼きすぎたりと、失敗ばかりだ。娘に不評なのもうなずける。
 それだけでなく、ガスレンジには食材が飛び散り、床はこぼれた調味料や油でベタベタしているから、私にとっても頭が痛い。

 しかし、お出かけはしたい。そこで、もうひと手間かけることにした。
「煮物を作っておいたから、食べる前に温めてくれる? 真鯛は塩ふって焼いてね。ブロッコリーも茹でてあるよ。それから……」
 献立を考え、あとは焼くだけ、温めるだけ、盛り付けるだけですむように、あらかじめお膳立てしておけばよいのだ。ここまですれば、いくらなんでも大丈夫だろう。
 私は安心して家を出た。今日は楽しくイタリアン♪
 いとしの赤ワインを飲みながら、前菜を食べていたら、夫からメールが来た。
「煮物を温めていたら、焦がしてしまいました。せっかく作ってくれたのに、スミマセン」

 何ですって?! 

 私はひたすら、携帯の液晶画面をにらみつけるばかりだった。どうせまた、無駄な強火で加熱したに違いない……。

 こみ上げてくる怒りで、私の顔もワインと同じ色になりそうだった。



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火種キティちゃん

2009年01月22日 19時51分30秒 | エッセイ
 ついつい、出窓の張り出しに物を重ねる癖がある。通販のカタログ、本、郵便物などを片づけていると、小さな袋が見つかった。
 中には「木更津限定 あさりキティ」と書かれたボールペンが入っていた。
 私はため息をついた。またミキの仕業だ。

 小6の娘は、ご当地キティが大好きで、どこか出掛けるたびに「買って買って」とねだる。
 下田・金目鯛キティ、宇都宮・ギョーザキティ、日光・眠り猫キティ、箱根・寄木細工キティなどなど、数え上げたら切りがない。
 それなのに、手に入れた時点で満足してしまうようで、家に着いたら無頓着に放り出し、袋から出しもせずに知らん顔……。
 私は、床に転がったままの土産袋を見て、ずいぶん叱ったものだ。
「大事にしないのなら、もう買ってあげないよ!」
 しかし敵もさるもの。
「じゃあ、自分で買うからいいよ。お金あるし」
 生意気なことに、口ごたえで応戦する。
「まったく、可愛くない子になっちゃって。誰に似たんだろう」
 私がブツブツ文句を言うと、夫がこちらをチラリと見た。

 そんなやりとりが繰り返されてきたものだから、今日こそは厳しく言わなければと思ったわけだ。義母の部屋へ遊びに行ったミキが戻ってくると、私は早速ボールペンの入った土産袋を突きつけ言った。
「ほら、これ見てみなさい。またほっぽらかしてあったんだからね」
 ミキは一瞬「しまった」という顔をしたが、中を確認したとたん、大きな声で反論しはじめた。
「これ、ミキが移動教室のときに、お母さんにお土産で買ってあげたんじゃない!」
「え?」
「ひどいよ! 忘れたの?」
「……もらったっけ?」
「あげたよ!! 忘れたの? 何よ、こんなにホコリだらけにしちゃって。どうせまた、ブログ書くのに夢中になって、上の空で聞いてたんでしょ!」
 あああ、耳が痛い~。
「せっかく、ミキのお金で買ってあげたのに。もうあげないからね!」
 そっそれは、私が言うはずだったのに……。
 こてんぱんにやられて、私はすごすごと引き上げた。汚れた袋を開けて、あさりキティのボールペンを取り出してみる。キティとミミィの姉妹が、ピンクのあさりにちょこんと納まり、穏やかな顔でこちらを見ていた。

 メモ用紙に試し書きをしてみると、思いのほか書きづらい。わざわざミキの近くまで行き、余計なことをささやいた。
「これ、あさりが重くて書きにくい」
「あっそ。文句あるなら、使わなくていいよ」
 第二ラウンド開始である。
 また夫がこちらをチラリと見た。



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職場の怖~い話

2009年01月18日 20時30分26秒 | エッセイ
 私の職場では、ときどき怪奇現象が起きる。
 生徒に提出させた問題集がごっそり行方不明になるとか、得点や成績を記入した教務手帳が見当たらないなどである。なくなったら困るものだけに、持ち主は血眼になって探すが、なかなか見つからない。
 しかし、しばらくすると、持ち主とは何らかかわりのない場所から、唐突に姿を現すことがある。見つかるだけマシだが、どうにも解せない。
 紛失するのはモノだけではない。
「先生、聞いてください。共用パソコンからフロッピーを抜き忘れたばっかりに……」
 過日、若手の香代先生が、泣きそうな顔で話しかけてきた。教材や成績などを入力しておいたフロッピーを、生徒立入禁止のパソコン室にうっかり忘れたら、見つけたときには初期化されていて、データがひとつも残っていなかったのだという。どう考えても、職場の同僚が故意にイニシャライズしたとしか思えない。
「誰……? そんなことするのは……」
 悪意の塊のような人と一緒に働いているなんて……。私はゾッとした。

 ところが、それは他人事ではなかった。何日かして私も、あるべきはずのものが消えていることに気づいたのだ。それは、教材費の請求書だった。一括処理するため、何枚かの請求書をまとめておいたのだが、確かに受け取った記憶のあるものが見当たらない。

 私も、やられた?!

 わけがわからず、とにかく机を徹底的に探すしかないと決心した。
 実のところ、請求書は再発行してもらえるから、なくても取り返しのつかない事態には発展しない。しかし、自分の不注意でどこかに紛れているのか、誰かに持ち去られたのかをはっきりさせたい。
 翌日、夕食の支度を夫に頼み、私は机の捜索に取りかかった。書類の山を分類し、引き出しを整理して、2時間ほど格闘したのだが……。
 いくら探しても、請求書は出てこなかった。
 やはり、誰かの嫌がらせとしか思えない。

 悔しくて、学年主任にことの次第を愚痴った。
「貴重品以外でも、大事なものは、鍵のかかるところにしまったほうがいいね」
 主任も顔を曇らせ、自衛策を考えていた。
 片袖机の引き出しは唯一鍵がかかるので、以来、なくなって困るものはそこに入れることにした。

 しかし、これが裏目に出るときもある。
 ある朝、出勤し、「さあ仕事だ!」と元気にバッグを開けて気がついた。

 やべー、机の鍵忘れたっ!!

 結局、その日は引き出しを開けることができず、一日棒に振る結果となった。
 ……もう知らん。



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第一発見者のゆううつ

2009年01月15日 19時51分22秒 | エッセイ
 授業が終わり、職員室に戻ろうとして廊下を歩いていたら、女子が数人で追いかけっこをしていた。高校生にもなって幼いことだ。
 一人が教室の中に逃げ込み、ドアを閉めた。追う側は、夢中になってドアにはめ込まれたガラスを叩き、開けろと騒ぎ立てている。
 これはまずい。私はとっさに大声を出した。

「ちょっと! やめなさい!!」

 学校現場では、ガラスや蛍光灯が割れることがある。故意であれ偶然であれ、破損したものの代金は生徒に弁償してもらう。
 生徒はお金を払いたくないから、割ったら逃げる。これまた追いかけっこだ。
 私は、なぜか破損現場の近くにいることが多い。「ガシャーン」「パリン」という乾いた音を何度聞いたことか。
 音が聞こえたら、すぐに駆けつける。早ければ早いほどいいので走る。
 たいていは、現場に生徒が残っていて、自分が割ったということを素直に認めるものだ。
 こうして、よく私は第一発見者になっていた。

 しかし、第一発見者には何ひとついいことがない。
 刑事ドラマでも、事件を発見し通報までした第一発見者が、感謝されるどころか真っ先に疑われるではないか。
 日頃の運動不足がたたって、ゼーゼー息を切らして現場に到着したあとは、まずガラスの後かたづけをしなければならない。当事者がケガをしている場合は、先に保健室に連れて行くから、周りの生徒に掃除を頼む。
「なんで、オレがー!!」と文句を言いながらも、生徒は割と協力してくれる。
 そのあとは、破損事故の報告をする。生活指導部や事務室に同じ話を繰り返すと、「忙しいんだ、クソッ!」とイライラしてくる。
 8人の男子が、ふざけているうちにガラスを割ったときには、1人320円として全員から代金を徴収した。「笹木さんが見つけたんだから」と、成り行きで取り立てる羽目になり、「なんで、ワタシがー!!」と口を尖らせた。
 たまたま近くにいただけなのに、とんだ災難だ。
 
「ちょっと! やめなさい!!」
 そんな経緯もあり、大声で注意したのだった。もう、第一発見者になるのは真っ平だ。
「そのガラスは、すぐ割れちゃうの。割ったら、3000円払うことになるんだからね」
 思いがけない言葉に、女子たちも動きを止めた。
「へえ、3000円もするんだ。けっこう高いんだね」
 ガラスから手を離し、どの子も急に真面目な顔になった。
 効き目バッチリ、と気をよくしたとき、横から口を出した生徒がいた。

「でも先生、普通はケガすると危ないからやめなさいって言うよね~」
 とたんに、甲高い笑い声が炸裂した。
 
 ……そ、そうでした……。



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安眠の友

2009年01月11日 20時50分18秒 | エッセイ
 朝、自分のイビキで目が覚めた。
 隣で寝ている娘から「うるさくて目が覚める」とは言われていたが、自分で聞くのは初めてだ。こんな音がするのかとショックを受けた。
 これまで、うつぶせ寝枕やスノアストッパーなど、あれこれイビキ対策を講じてきたが、どれもこれも効き目がない。これは私のひそかな悩みだった。
 
 何とかしたいっ!

 いっそのこと、耳鼻科で相談してみようと思っていた矢先だった。
「お母さん、今日からこれをつけて寝てみなよ」
 娘のミキが差し出したもの、それはブリーズライトだった。これは、鼻孔を拡げて呼吸を楽にするという、鼻孔拡張テープである。鼻炎がちのミキは鼻づまりを起こしやすいので、寝るときだけ毎日これを着ける。
「ほら、ここに、いびきを軽減って書いてあるよ」
 今まで見過ごしていたようだが、何気なく外箱を見たとき、ハッと気づいたのだという。
 ものは試しで、早速鼻に貼り付けてみた。
 
 なるほど、呼吸が楽だ。

 すっかり感心して布団に潜り込んだ。
 私は大変寝つきがよくて、枕に頭がつくかつかないかのうちに爆睡してしまう。
 その夜は自分のイビキで起きることもなく、いつもより熟睡できた気がした。しかも翌朝は、いつも以上にスムーズに起きられた。
「ミキ、昨日はお母さん、静かだった?」
「うん、静かだったよ。途中で目が覚めなかったもん」
 娘に確認し、安眠の手ごたえを感じた。
 以来、イビキをかかずに寝るようになったらしい。私自身の体調もいいし、娘からの苦情もない。
 長年抱えていた問題が、いとも簡単に解決するとは予想外である。
 念のため、手首につけるスノアストッパーは続けているが、ブリーズライトにはひたすら感謝感謝だ。

 新訳聖書「マタイによる福音書」には「求めよ、さらば与えられん」という名言がある。
 私はクリスチャンではないけれども共感をおぼえた。
 
 故マリリン・モンローは眠るとき、シャネルの5番という香水だけを身に着けていたらしい。
 つまり、他には何も着なかったという意味だが、バストの崩れを防ぐためにブラジャーを着けていたという説もある。
 私は冷え性だから、おやすみハイソックスをはいて腹巻をし、パジャマを着て、歯ぎしり防止のマウスピースをはめ、腕にはスノアストッパー、そしてマスクをする。

 おおっと、マスクをする前に、忘れちゃならないブリーズライト!

 モンローとは対照的な、あれもこれもの重装備。これで熟睡できること間違いなしだ。
 それでは、おやすみなさい。



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うれし恥ずかし缶コーヒー

2009年01月08日 19時44分21秒 | エッセイ
 冬は缶コーヒーの美味しい季節。
「僕は出勤前に、公園で温かい缶コーヒーを飲むのが楽しみなんです」
 同僚の山本さんの、ささやかな喜びだそうだ。男性は女性よりも、缶コーヒーを好む傾向があると感じる。
 私は缶コーヒーをほとんど飲まない。あれには砂糖がたくさん入っているし、微糖や無糖は美味しくない。やはり、きちんと豆からいれたブラックでないと。

 そういえば、やたらと缶コーヒーが好きな人がいたな……。

 ちょうど今くらいの季節だった。まだ子供もいなかった20代の半ば、私は前の前の勤務校で、女子バレーボール部の顧問をしていた。
 実は、バレーボールは全然得意でない。生徒に教えるのはOBである建設会社勤務のコーチで、私はもっぱら球ひろいをしていた。
 このコーチは、もうじき40歳を迎える2児の父だった。高田さんという名前で、いつも缶コーヒーを何本も持ってやってくる。練習前にゴクゴク、休憩中にガブガブ、練習後にグビグビといった具合だ。
 せっかくの日曜日でも、試合があれば会場に駆けつけて、ベンチ入りしてくれる熱心な指導者だったけれども、缶コーヒーばかり飲んでいては体に悪い。たまには別の飲み物にすればいいのにと思っていた。
 ある日曜日、たまたま試合が2時頃に終わった。
「乗っていきませんか? 今日は寒いし、この時間なら道路が空いていますよ」
 高田さんは車で来ていたので、同じ方向の私に乗っていくよう促した。お言葉に甘えて、同乗させてもらうことにした。
 見ると、フロントガラス内側のドリンクホルダーにも、飲みかけの缶コーヒーが置いてある。
 私は内心、「ここにまである」とあきれた。
 ところが、この缶コーヒー、意外なことに相当な暴れん坊だった。
 彼が赤信号でブレーキをかけたら、飲み残しのコーヒーが勢いよく飲み口から噴き出して、フロントガラスにかかったのだ。

 バシャッ!

 まるで泥水のような液体がフロントガラスを流れ落ち、ダッシュボードにたまる様は実に汚らしい。私はビックリ仰天した。
 一回ならまだしも、高田さんがブレーキを踏むたびに、それは何度も繰り返された。

 キキッ、バシャッ、キキッ、バシャッ。

 しかし、高田さんは一向に気にする様子もなく平然としている。

 信じられない、きったなーい!!

 私がぼう然とダッシュボードの水たまりを凝視していたら、高田さんに気づかれた。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、別に……」
 乗せてもらってケチをつけるわけにもいかない。私は言葉を濁して目を逸らした。
 少し走ったところで、信号が赤になった。高田さんは車を止めると、運転席のドアを開け、急いで外に走っていった。

 何? 何が起きたの??

 見ると、彼は自動販売機の前にいた。何かを買って信号が変わる前に、走って運転席に戻ってきた。
「はい、どうぞ」
 彼は温かい缶コーヒーを私に手渡した。
 いつまでも握っていたい温かさなのに、私の心は凍りついた。

 ちがーう!! 欲しくて見ていたわけじゃないっっ!!



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鉄男で山男がブルガリを

2009年01月04日 15時12分25秒 | エッセイ
 鉄道マニアの男性を「鉄男」と呼ぶらしい。
 姉の夫はまさに「鉄男」で、大手鉄道会社に勤めるエンジニアだ。
 ときどきは登山を楽しむ「山男」でもあるが、日焼けを嫌う姉は、日傘を差して山登りするわけにもいかず、決して一緒に行かないと聞く。
 その鉄男で山男の義兄が、新年会でおしゃれな焼き菓子をくれた。
「ハイ、これ……」
 手の平サイズの小さなお菓子を差し出され、私はお礼を言って受け取った。よく見ると、包装されたリボンには「BVLGARI」という文字が書かれていた。



 私はビックリして義兄に聞いた。
「え~、これブルガリじゃないですか!! すごーい! 珍しー!」
 義兄は少しだけ笑い、何もコメントせずに帰っていった。このあと、彼の実家の新年会に出るため、急いでいたのだ。
 姉と義兄がいなくなり、疑問ばかりが残された。

 何しろ、義兄はすこぶる地味な人だから、ブランド物に興味があるとは思えない。その義兄が、よりによってブルガリだ。プロ野球選手がユニフォーム姿で、ローファーを履いているような違和感を覚えた。
 よく見ると妹や母の分はなく、私だけがブルガリをもらったらしい。やや気まずくなり、娘にあげようと思って向きを変えたら、底に貼ってあるラベルが見えた。
「品名 パネトーネ   賞味期限 2009年1月2日」

 なんだよ、今日じゃないか!!

 ますます謎は深まるばかり。義兄は一体どうして、賞味期限の迫ったブルガリのパネトーネを私だけにくれたのだろう??
 いくら考えてもわからないので、我慢できずに姉にメールを送ってみた。

 さっきもらったブルガリのパネトーネは、どこで買ったのかな? お義兄さんに聞いてみてくれる?

 ほどなく姉から返信がきた。

 あれはね、この間、ブルガリ銀座タワーの「イルバール」ってバーで一緒に飲んだとき、お土産にもらったの。私はすぐに食べちゃったけど、あっちは食べてなかったみたい。
 でも、みんなが集まる場所に1つだけ持ってくるのはやめてほしいわね。

 最後の一文にふき出した。
 接待される側の仕事をしている姉は、やけに銀座に詳しい。子供のいない夫婦だから、たまには二人で豪勢にと、地味な義兄を連れ出したというわけか。それなら納得できる。
 そういえば、クリスマスにウチでパーティーをしたとき、姉夫婦も呼んだから、義兄はお礼のつもりで持ってきたのかもしれない。
 勉強ができてエリート街道を歩いてきた義兄だけれども、人づき合いのセンスに関しては平均点以下という気がした。

 ま、大事なのは気持ちだけどね!

 真相がわかって気分がスッキリした。せっかくのブルガリだから、賞味期限が切れないうちに娘と半分こして食べてみた。
 さて、そのお味は……。
 スポンジケーキをスケートリンクにして、レーズンとオレンジピールが仲良くアイスダンスをしているようなハーモニーだった。これは、なかなか。

 ごちそうさまでした。



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年はじめ 姫と坊主が かくれんぼ

2009年01月01日 07時12分33秒 | エッセイ
「坊主めくり」という遊びをご存じだろうか。
 小倉百人一首の読み札だけを使うゲームである。
 すべての札をふせ、積み重ねた山から順番に1枚ずつめくっていく。このとき、札は全員に見えるように公開するのだ。参加人数に制限はない。
 読み札には絵が描かれている。絵が男性ならばそのまま持っていられるが、坊主の札を取ったら持ち札すべてを捨てなければならない。
 姫の札だったら、捨て札をすべてもらうことができる。
 めくる札がなくなったらゲームセット。持ち札の多い者が勝ちだ。
 男性札は66枚、姫札は21枚、そして坊主は13枚。恐怖の坊主は確率13%とはいえ、結構ひいてしまったりする。
 ルールは地方によって多少の違いがあるけれども、私の実家では最も簡単なこのルールで遊んでいた。
 
 私たち子供が家庭を持ち独立してからも、元旦には実家で新年会を行っている。姉や妹も夫と子供を連れて大集合だ。
 ひとしきり飲んで食べたあとは、恒例の坊主めくりがはじまる。夫と父は入らないが、私と姉、妹、母、義兄、義弟が参加し、童心に返って遊ぶのだ。

 去年の一戦はこんな感じだった。
 最初の一巡は、姫が出ても坊主が現れることがなく、ホッと胸をなで下ろすことが続いた。やや緊張感がゆるみ、義兄が札を表にしたときだ。
「うわっ、出た~!!」

 素性法師  今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな

 義兄は渋い顔で持ち札すべてを捨て、すっからかんになった。
 不思議なことに、1枚坊主が出ると連鎖反応が起こる。恵慶法師、蝉丸が続いて現れた。
「キャー」
「わぁ~」
 姉に義弟が一文無しになり、捨て札の山ができた。
 ここで私の順番が来たが、現れたのは山部赤人だった。

 田子の浦にうち出でて見れば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ

 姫じゃなかった…と私はがっかりした。
「ほほほ、いただきー」
 ゲームに強い妹が姫・右近の札をひいた。捨て札全部が妹のものになった。
 続いて姉がひいた札も姫・小野小町だったが、すでに捨て札はない。
「遅かった……」
 こういう場合、もう1枚ひいてよいというローカルルールもあるらしい。しかし、わが家では「今頃~」と笑い飛ばされておしまいだ。
 男性札が無難に続くと、次は姫が連続で出現した。伊勢、右大将道綱母、和泉式部……。

 こんなところで無駄に出ると、あとが困るんだけど……。

 そんな不安が胸をよぎった。
 札の山はすでに半分以下となっている。順番が来て札をめくると……。

 僧正遍照  天つ風雲の通ひ路ふきとぢよ をとめの姿しばしとどめむ

 出た~!! 坊主だぁ~!
「やったー、ついに出たわ!」
 姉は私の持ち札がゼロになったことを喜んでいる。ムカッ。
 しかし、次の回で私は珍しく姫・相模をひき、捨て札すべてを取り返すことができた。
「面白くないわね」
 姉が舌打ちした。捨てたり拾ったりもあったが、ゲームは終盤にさしかかっていた。
 残り少ない札を順番にひくと、どうやら私が最後の一枚をもらうことになるらしい。
 妹の持ち札が一番多いが、姫が来てくれないので捨て札もたまっている。最後の一枚が姫だったら一発逆転もあるかもしれない。

 私もドキドキしたが、他のメンバーも最後の札に神経を集中させている。
 さて、勝負の行方はいかに。
 札に手をかけひっくり返すと、誰もが大声で笑った。
「あははははははー!!!」

 西行法師  なげげとて月やは物を思はする かこち顔なるわが涙かな

 最後の最後に坊主とは……。
 西行さん、泣きたいのはこっちだよ!

 あけましておめでとうございます。
 本年もたくさんエッセイを書きたいと思います。
 よろしくお願いいたします。

 さて、去年の屈辱を果たすべく、今年もこれから実家に行ってまいりま~す!



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