ときおり、大学時代は手品のサークルに入っていたと白状する記事を書いたことがある。(関連記事「ブラジャーのひも」はこちらから)
卒業して30年近く経つのに、いまだにサークルの仲間から「学園祭のステージを見に行こう」との連絡が来る。今年は予定がなかったので、思い切って出かけることにした。
駅から歩いて20分。上り坂が続くので、結構きついが、教員は立派な肉体労働者である。学生時代より体力がつき、わずか15分で到着した。
「ははは、どうよ。こんな坂、ちょろいちょろい」
いい気分でいたのに、先に来ていた仲間からは冷ややかな視線が飛んできた。
「坂って……砂希ちゃん、歩いてきたの?」
「うんそう。学生のときみたいに」
「何だ、知らなかったの? エスカレーターができたから、今は歩かなくていいんだよ」
「ひいいぃ」
くだらないところで体力を使ってしまったようだ、クソッ!
くっちゃべっていたら、後輩たちのステージが始まった。時代の流れか、伝統的なマジックに軽妙なトークやジャグリングなどを取り入れ、エンタメ度アップという気がする。楽しめてなかなかよい。
ステージのあとは飲み会だ。17時までの空白タイムは自由時間となり、キャンパス内の散策にあてた。
正門は音楽がうるさいし、新校舎に変わってよそよそしい。中庭を歩くと、懐かしい景色が見えてきた。

授業の合間には、日当たりのよいベンチに腰かけて、友達とのおしゃべりに夢中になったものだ。
当時は新しかった1号館。クーラーがついていてありがたかった。

図書館と、2号館から5号館までの校舎をぐるりと回り、当時を回想する。
思い出に浸る時間は10分ほどだったろうか。すぐに飽きて、「さあ、お茶でも飲みに行こう」と坂を下り始めた。私は淡白なのか、薄情なのか。それとも、みんな、こんなもの?
駅前のファミレスでパフェを食べ、日経ビジネスを読んで時間をつぶす。あっという間に夜の部の集合時間になった。駅前に向かうと、中年と初老の集団が見えたので、ニンマリして駆け寄った。
「あ、砂希ちゃんだ」
私に気づいてくれたのは、1つ上のヤベさん。50過ぎのオバさんに「ちゃんづけ」もないものだが、自然と学生当時の呼び方になってしまう。今さら改まって「ササキさんだ」なんて言いやしない。
「おはようございまーす」
そうそう、この団体は、夜でも最初に会ったときには「おはよう」の挨拶が普通なのだ。道行く人が、変なものを見るような視線を一瞬こちらに向けて、目が合わないうちに、すばやく逸らした。最年長の先輩は、おそらく還暦目前と思われる。ほとんどが50代のOB・OGの集まりに、20代後半から30代の若い世代が加わるのだから、怪しくないはずがない。
10分ほど待つと、集団は30名ほどに膨れ上がった。ほぼ集まり、やっと宴会が始まる。
「じゃあ、こちらに移動しまーす」
個室にはカラオケがついていたが、歌うわけではない。気の利く後輩が、昔のステージの映像を用意していて、画面に映すのだ。
「うわっ、ホソダさんだ、若~い」
「うまいね、すごく不思議」
いくつもの和傘が出てきたり、手元の白い玉が増えたり消えたりと、タネがわかっていても面白い。そのうち、料理をよけてコインを取り出し、手品を始める先輩も現れた。この人たちは、本当に手品が好きなのだ。
結局、宴会は23時まで続いた。
「また来年」
「元気でね」
そして、本当に、一年後にまた集まってしまうのだ。この人たちは。
これこそがマジック? いや、奇跡なんじゃないだろうか。

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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
卒業して30年近く経つのに、いまだにサークルの仲間から「学園祭のステージを見に行こう」との連絡が来る。今年は予定がなかったので、思い切って出かけることにした。
駅から歩いて20分。上り坂が続くので、結構きついが、教員は立派な肉体労働者である。学生時代より体力がつき、わずか15分で到着した。
「ははは、どうよ。こんな坂、ちょろいちょろい」
いい気分でいたのに、先に来ていた仲間からは冷ややかな視線が飛んできた。
「坂って……砂希ちゃん、歩いてきたの?」
「うんそう。学生のときみたいに」
「何だ、知らなかったの? エスカレーターができたから、今は歩かなくていいんだよ」
「ひいいぃ」
くだらないところで体力を使ってしまったようだ、クソッ!
くっちゃべっていたら、後輩たちのステージが始まった。時代の流れか、伝統的なマジックに軽妙なトークやジャグリングなどを取り入れ、エンタメ度アップという気がする。楽しめてなかなかよい。
ステージのあとは飲み会だ。17時までの空白タイムは自由時間となり、キャンパス内の散策にあてた。
正門は音楽がうるさいし、新校舎に変わってよそよそしい。中庭を歩くと、懐かしい景色が見えてきた。

授業の合間には、日当たりのよいベンチに腰かけて、友達とのおしゃべりに夢中になったものだ。
当時は新しかった1号館。クーラーがついていてありがたかった。

図書館と、2号館から5号館までの校舎をぐるりと回り、当時を回想する。
思い出に浸る時間は10分ほどだったろうか。すぐに飽きて、「さあ、お茶でも飲みに行こう」と坂を下り始めた。私は淡白なのか、薄情なのか。それとも、みんな、こんなもの?
駅前のファミレスでパフェを食べ、日経ビジネスを読んで時間をつぶす。あっという間に夜の部の集合時間になった。駅前に向かうと、中年と初老の集団が見えたので、ニンマリして駆け寄った。
「あ、砂希ちゃんだ」
私に気づいてくれたのは、1つ上のヤベさん。50過ぎのオバさんに「ちゃんづけ」もないものだが、自然と学生当時の呼び方になってしまう。今さら改まって「ササキさんだ」なんて言いやしない。
「おはようございまーす」
そうそう、この団体は、夜でも最初に会ったときには「おはよう」の挨拶が普通なのだ。道行く人が、変なものを見るような視線を一瞬こちらに向けて、目が合わないうちに、すばやく逸らした。最年長の先輩は、おそらく還暦目前と思われる。ほとんどが50代のOB・OGの集まりに、20代後半から30代の若い世代が加わるのだから、怪しくないはずがない。
10分ほど待つと、集団は30名ほどに膨れ上がった。ほぼ集まり、やっと宴会が始まる。
「じゃあ、こちらに移動しまーす」
個室にはカラオケがついていたが、歌うわけではない。気の利く後輩が、昔のステージの映像を用意していて、画面に映すのだ。
「うわっ、ホソダさんだ、若~い」
「うまいね、すごく不思議」
いくつもの和傘が出てきたり、手元の白い玉が増えたり消えたりと、タネがわかっていても面白い。そのうち、料理をよけてコインを取り出し、手品を始める先輩も現れた。この人たちは、本当に手品が好きなのだ。
結局、宴会は23時まで続いた。
「また来年」
「元気でね」
そして、本当に、一年後にまた集まってしまうのだ。この人たちは。
これこそがマジック? いや、奇跡なんじゃないだろうか。

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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)