先月、那須に住む両親の顔を見てきたが、父の老化が急激に進み心配している。その後、様子はどうかと母にメールしたら、芳しくない返事が返ってきた。
「お昼はたまに食べるぐらいで、ほとんど食べなくなってきたよ」
えっ!
「尿漏れしても大丈夫なパンツを買ったけど、トイレで排便に失敗することもあるの」
ひっ。
いよいよ本格的な介護に突入するのだろうか。母一人では困るだろうと思い、昨日も那須を目指して家を出た。
大雪の影響で、北に向かう新幹線はことごとく遅れていたが、動いているだけでもマシだ。30分遅れで那須塩原駅に到着した。
ここからタクシーで20分ほど走れば両親の家に着く。車を下りたところで母が玄関から出迎えてくれた。中に入ると、父も近寄って来て声を掛けてくる。
「こんにちは」
一応、身内であることは理解しているようで、表情がやわらかい。でも、離れたところからこちらをジッと凝視している様子を見ると、「誰だっけ?」と頭のアルバムをめくっている気がする。警戒されない点では安心なのだが。
手土産はバウムクーヘン。桃のゼリーも調達したので、母に手渡した。時計はもうすぐ午前11時を差す。そろそろお昼の支度をしなくては。母にはあらかじめ、おでんとおにぎりを持っていくと伝えてあった。
「お母さん、おでんを温める鍋を借りたいんだけど、どこにあったっけ?」
「ここの下に入っているよ」
「あ、これか」
「アタシはシチューを作ったからね」
「え」
聞いた瞬間、力が抜けた。
母はいつもピントがずれている。おでんにおにぎり、味噌汁、焼きナス、デザートにラ・フランスという具合いに、こちらはトータルでメニューを考え持参するのに、シチューなんぞを作っていたとは。自分も何かしないといけないと思ったようだが、組み合わせとしておかしいという視点がないのだ。そういえば、数年前のクリスマス会のときにも、チキンやローストビーフが並ぶ食卓に、野菜の煮しめを持ち寄っていたっけ……。
「お母さん、今日はゆっくりしてもらいたくて来たんだから、何も準備しないでって言ったじゃない」
「うん」
「お父さんの世話で毎日忙しいでしょ。私が来たことでやることが増えるのなら、もう来られなくなるよ」
「わかった」
本当に理解したかどうかはともかくとして、このシチューを無視するわけにいかない。味噌汁を引っ込めて食卓に並べた。
「ごはんだよ」
果たして父が食べるかな? と半信半疑だったが、意外と素直にやってきた。料理に目を走らせ、ボソッとつぶやく。
「おにぎりだ」
しかし、最初に箸をつけたのは焼きナスであった。母が父に料理の説明をして、あれこれと話しかける。
「このはんぺん、丸いよ。食べてごらん」
「本当だ。丸いな」
父ははんぺんを4つに割り、パクリと口に入れた。ゴボウ巻きの話になると「ゴボウは美味いじゃないか」とも言い、以前のように会話ができている。さつまあげ、ちくわも平らげて、「ほとんど食べない人」ではなかった。総入れ歯の父にとって、やわらかくて飲み込みやすい練り物は最適なのかもしれない。おでんを6割ほど食べたところで、アルミホイルに包まれたおにぎりに手を伸ばした。この日は食欲があるようだった。
父ばかりを観察していないで、私も食べなくては。母の作ったシチューをすくって口にすると、ブロッコリーが固かった。水の分量を間違えたのか、クリーム煮のようになっている。母もまた、年をとって調理の勘が鈍ってきたのだろう。お世辞にも美味しいとはいえない料理が食卓に並び、父が拒否して食べない図式が浮かんできた。作りもしないのに、イヤイヤするとは困ったものだ。
私がラ・フランスを食べ始めたら、父もつられたように自分のフルーツを口に入れた。
「ダメダメ、果物は全部食べ終わってからだよ」
母に叱られ、父は「しまった」という表情になった。二人の会話はさらに続く。
「このフルーツ、なんだかわかる?」
「リンゴだろうよ」
「違うよ、洋梨だよ」
「洋梨か」
両親のやり取りを見ていると、先月よりも元気になったようだ。
「誰かが来ると、お父さんの機嫌がいいの。やっぱり刺激だねぇ」
その日は、これが最後になるかもしれないと覚悟して来たのだが、笑う父を見て緊張が解けた。
食後は恒例の坊主めくりである。またかという気もするが、他にネタがないのだ。先月、父は仲間に入らなかったが、この日は一緒に札をめくった。
「坊主だぁ」
「あっはっは」
「姫、来いっ」
「来たぁ~」
「取られたぁ」
和やかに遊んだあとは片づけをする。箱に入っていた解説書に目をやると、「任天堂」の3文字が見えた。
札の箱にもあった。
「えっ、任天堂が百人一首を?」
このかるたは、母が購入したという。昭和40年代のことだから、だいぶ年季が入っているが、その頃から任天堂は活動していたわけだ。居間の端には父が何十年も前に夢中になってプレイしたスーパーファミコンもあった。
「任天堂ってゲームだけじゃないんだね」
あらためて、母も驚いていた。
調べてみたら、任天堂はトランプや花札、将棋に囲碁なども製造しているらしい。
そこで閃いた。この次は、父や母と「回り将棋」をしようかと。
すっかり老いてしまったけれど、刺激を与えて、少しでも若さを取り戻してほしい。
任天堂さん、お世話になります。
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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
「お昼はたまに食べるぐらいで、ほとんど食べなくなってきたよ」
えっ!
「尿漏れしても大丈夫なパンツを買ったけど、トイレで排便に失敗することもあるの」
ひっ。
いよいよ本格的な介護に突入するのだろうか。母一人では困るだろうと思い、昨日も那須を目指して家を出た。
大雪の影響で、北に向かう新幹線はことごとく遅れていたが、動いているだけでもマシだ。30分遅れで那須塩原駅に到着した。
ここからタクシーで20分ほど走れば両親の家に着く。車を下りたところで母が玄関から出迎えてくれた。中に入ると、父も近寄って来て声を掛けてくる。
「こんにちは」
一応、身内であることは理解しているようで、表情がやわらかい。でも、離れたところからこちらをジッと凝視している様子を見ると、「誰だっけ?」と頭のアルバムをめくっている気がする。警戒されない点では安心なのだが。
手土産はバウムクーヘン。桃のゼリーも調達したので、母に手渡した。時計はもうすぐ午前11時を差す。そろそろお昼の支度をしなくては。母にはあらかじめ、おでんとおにぎりを持っていくと伝えてあった。
「お母さん、おでんを温める鍋を借りたいんだけど、どこにあったっけ?」
「ここの下に入っているよ」
「あ、これか」
「アタシはシチューを作ったからね」
「え」
聞いた瞬間、力が抜けた。
母はいつもピントがずれている。おでんにおにぎり、味噌汁、焼きナス、デザートにラ・フランスという具合いに、こちらはトータルでメニューを考え持参するのに、シチューなんぞを作っていたとは。自分も何かしないといけないと思ったようだが、組み合わせとしておかしいという視点がないのだ。そういえば、数年前のクリスマス会のときにも、チキンやローストビーフが並ぶ食卓に、野菜の煮しめを持ち寄っていたっけ……。
「お母さん、今日はゆっくりしてもらいたくて来たんだから、何も準備しないでって言ったじゃない」
「うん」
「お父さんの世話で毎日忙しいでしょ。私が来たことでやることが増えるのなら、もう来られなくなるよ」
「わかった」
本当に理解したかどうかはともかくとして、このシチューを無視するわけにいかない。味噌汁を引っ込めて食卓に並べた。
「ごはんだよ」
果たして父が食べるかな? と半信半疑だったが、意外と素直にやってきた。料理に目を走らせ、ボソッとつぶやく。
「おにぎりだ」
しかし、最初に箸をつけたのは焼きナスであった。母が父に料理の説明をして、あれこれと話しかける。
「このはんぺん、丸いよ。食べてごらん」
「本当だ。丸いな」
父ははんぺんを4つに割り、パクリと口に入れた。ゴボウ巻きの話になると「ゴボウは美味いじゃないか」とも言い、以前のように会話ができている。さつまあげ、ちくわも平らげて、「ほとんど食べない人」ではなかった。総入れ歯の父にとって、やわらかくて飲み込みやすい練り物は最適なのかもしれない。おでんを6割ほど食べたところで、アルミホイルに包まれたおにぎりに手を伸ばした。この日は食欲があるようだった。
父ばかりを観察していないで、私も食べなくては。母の作ったシチューをすくって口にすると、ブロッコリーが固かった。水の分量を間違えたのか、クリーム煮のようになっている。母もまた、年をとって調理の勘が鈍ってきたのだろう。お世辞にも美味しいとはいえない料理が食卓に並び、父が拒否して食べない図式が浮かんできた。作りもしないのに、イヤイヤするとは困ったものだ。
私がラ・フランスを食べ始めたら、父もつられたように自分のフルーツを口に入れた。
「ダメダメ、果物は全部食べ終わってからだよ」
母に叱られ、父は「しまった」という表情になった。二人の会話はさらに続く。
「このフルーツ、なんだかわかる?」
「リンゴだろうよ」
「違うよ、洋梨だよ」
「洋梨か」
両親のやり取りを見ていると、先月よりも元気になったようだ。
「誰かが来ると、お父さんの機嫌がいいの。やっぱり刺激だねぇ」
その日は、これが最後になるかもしれないと覚悟して来たのだが、笑う父を見て緊張が解けた。
食後は恒例の坊主めくりである。またかという気もするが、他にネタがないのだ。先月、父は仲間に入らなかったが、この日は一緒に札をめくった。
「坊主だぁ」
「あっはっは」
「姫、来いっ」
「来たぁ~」
「取られたぁ」
和やかに遊んだあとは片づけをする。箱に入っていた解説書に目をやると、「任天堂」の3文字が見えた。
札の箱にもあった。
「えっ、任天堂が百人一首を?」
このかるたは、母が購入したという。昭和40年代のことだから、だいぶ年季が入っているが、その頃から任天堂は活動していたわけだ。居間の端には父が何十年も前に夢中になってプレイしたスーパーファミコンもあった。
「任天堂ってゲームだけじゃないんだね」
あらためて、母も驚いていた。
調べてみたら、任天堂はトランプや花札、将棋に囲碁なども製造しているらしい。
そこで閃いた。この次は、父や母と「回り将棋」をしようかと。
すっかり老いてしまったけれど、刺激を与えて、少しでも若さを取り戻してほしい。
任天堂さん、お世話になります。
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
他の方もコメントされているように、介護に対しては準備をしておいても想像以上の困惑や疲労が家族を襲います。でも準備をしていることにより、幾分軽減されるのも間違いありません(去年の私の1年でご存知かと)
そう特に介護認定は、認定が下りても“認定を申請した日”が基準となります。そこから期間を指定されて更新と言った具合いに。私ほどではないにしても、砂希さんもご両親の住まいが離れていますから、とにかく下調べをどんどん始めた方がよろしいかと(既に始めていたら、余計なアドバイスはお許しを)
とにかく初めは頭が一杯になります。そしてお元気だと思われているお母様にも変化がやって来ます
富士山の噴火や来たるべき大地震よりも、先ずはご両親のことを中心に考えましょうね
追記:大山阿夫利神社に行きたくて、久々に砂希さんの過去ブログを覗いてみましたよ
楽しませてくれますね。
かるたや将棋で、お父様が喜んでくださると
いいですね。
包括支援センターに早めに介護認定の相談をされて、サービスを受けられますように。
介護認定……そういう段階なのね。
正直言って私も何をすればいいかわからないので、少しずつ勉強しておぼえなくては。
母が大変そうです。
なのに、おでんに合わないシチューなんか作って、余計に忙しくしている理由がわかりません(笑)
2週間後には妹一家が訪問します。
刺激は誰にでも必要でしょうね。
ほおお、任天堂の認知度は高いのですね。
ゲーム系が中心というイメージは思い込みだったようです。
たしかに介護のダメージは大きいでしょう。
何も始めていないので、アドバイスをいただいたことに感謝ですよ! ありがとうございます。
母も結構マズいです。
食器の汚れが残ったまま棚にしまうし、急須の中の茶葉を捨てずに発酵していました。
この前、ずいぶん不味いお茶が出てきたと思ったのですが、もしや……。
過去ブログを見ていただいたようで嬉しいですね♪
コメントをいただいたお三方から介護認定を薦められては、そうすることが自然なのだとわかりました。
包括支援センターですか、ふむふむ。
母も疲れてきたようで、家の中が散らかっていました。
自分ひとりで何もかもやろうとする性格が不安です。
白玉さんも任天堂の商品を意識されていたのですね。
見ているようで頭に入っていないのは私だけだったりして~。