あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
年末は12月25日に仕事納めをして、26日からロシア旅行をしてきた。添乗員つきのツアーだから、ビザなどの渡航手続きは旅行会社がしてくれるし、必要なものを持って集合時間までに成田空港に行くだけ。お手軽極楽な7日間を過ごしてきた。
「両替はされましたか?」
「まだです」
「では、左手の両替所でなさってください。ルーブルを扱っているのはそこだけです」
添乗員さんが、親切にお金の面倒までみてくれる。米ドルやユーロと違って、ロシアルーブルへの両替は面倒だ。日本でも両替できるところは限られているうえ、ロシアでは日本円からルーブルに替えられる場所がない。1ルーブルは約2.5円で換算すればいいそうだが、余ったルーブルを日本円に替えると、半値以下になってしまうのだとか。ロシア国内で使い切るのがベストらしい。
「細かいお札も入れてください」
両替所でこう頼んだら、1000ルーブル札だけでなく、100ルーブル札や500ルーブル札も入れてくれた。2日目にレストランでビール代を払ったときに、おつりに200ルーブル札をもらい財布の中が賑やかになった。

「まあ、200?」
別の日に、200ルーブル札で支払いをしていたら、現地のガイドさんが驚いていた。
「珍しいわね。あまり見ないんですよ」
ガイドさんはロシア人女性だった。流暢な日本語を話しながら、金髪を揺らして、私の手元をのぞき込む。日本でいえば、さしずめ2000円札のような存在だろうか。実は、2000円札も私は持っている。
旅行の友は、このガイドブックである。

ロシアといっても広い。今回のツアーでは、サンクトペテルブルクとモスクワのみに滞在するので、2都市に特化したものを買ってみた。結論からいうと当たりだったらしい。
「あら、これは見たことないです。ちょっと拝見してもいいですか」
添乗員さんが興味を示し、ガイドブックの発行日や内容をじっくりチェックしていた。
「いいですよ、これ。2018年発行だから情報が新しいし、中身も面白いです。日本に帰ったら私も買います」
やったぁ~!
この本に限らず、どのガイドブックにもロシア語の日常会話が載っている。
はい 「ダー」
いいえ 「ニエット」
おはよう 「ドーブラェ ウートラ」
ありがとう 「スパスィーバ」
どうぞ、どういたしまして 「パジャールスタ」
おいしい 「フクースナ」
これが言えれば十分だ。めったに笑わないロシア人も、外国人が一生懸命自分の国の言葉を話そうとしていると、温かく接してくれる。英語はほとんど通じないというから、ぜひどうぞ。
「フクースナがおぼえられない」
大学4年の娘がブツブツぼやいていた。すかさず、添乗員さんが助け舟を出す。
「ミキちゃん、服に砂っておぼえて」
「なるほど、服ぅ砂か、あはは」
語呂合わせも大事、大事。
クリスマスを過ぎたのに、ロシア国内ではツリーやサンタをいくつも見かけた。
空港でのツリーには、ロシアらしくバレエのオーナメントか飾られていた。

こちらはホテルのツリー。

ロシアでは、ロシア正教に基づくユリウス暦を採用しているため、クリスマスが1月7日となるようだ。わが国や欧米では、カトリックに基づいたグレゴリオ暦だから12月25日。もう一度クリスマスを楽しめるようでうれしい。イルミネーションも実に華やかだ。
最後に、ロシアの有名人について話したい。私は大学1年のとき、「ロシア文学史」なる講座を履修していた。学んだことすら忘れていたのに、現地のガイドさんから、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイなどの説明を受け、偉人たちについて思い出した。
サンクトペテルブルクにあるプーシキンの像。

雪のいたずらで顔が……。
十月革命を成功させたレーニンはさらに知名度が高い。モスクワで滞在したホテル・ナショナルには、レーニンの泊まった部屋があった。

107号室の入口には金色のプレートが輝いている。

さて、冒頭の200ルーブル札だが、4日目あたりで使ってしまった。最後に空港で買い物をしたとき、お釣りにまたまた200ルーブル札が入っていたものだからビックリした。
これは、持ち帰りましょうかね……。
レアなお札が、再び私をロシアに連れて行ってくれるかも、との期待を込めて大事に保管することにした。
次回は、サンクトペテルブルク観光をお届けします。

↑
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
今年もよろしくお願いいたします。
年末は12月25日に仕事納めをして、26日からロシア旅行をしてきた。添乗員つきのツアーだから、ビザなどの渡航手続きは旅行会社がしてくれるし、必要なものを持って集合時間までに成田空港に行くだけ。お手軽極楽な7日間を過ごしてきた。
「両替はされましたか?」
「まだです」
「では、左手の両替所でなさってください。ルーブルを扱っているのはそこだけです」
添乗員さんが、親切にお金の面倒までみてくれる。米ドルやユーロと違って、ロシアルーブルへの両替は面倒だ。日本でも両替できるところは限られているうえ、ロシアでは日本円からルーブルに替えられる場所がない。1ルーブルは約2.5円で換算すればいいそうだが、余ったルーブルを日本円に替えると、半値以下になってしまうのだとか。ロシア国内で使い切るのがベストらしい。
「細かいお札も入れてください」
両替所でこう頼んだら、1000ルーブル札だけでなく、100ルーブル札や500ルーブル札も入れてくれた。2日目にレストランでビール代を払ったときに、おつりに200ルーブル札をもらい財布の中が賑やかになった。

「まあ、200?」
別の日に、200ルーブル札で支払いをしていたら、現地のガイドさんが驚いていた。
「珍しいわね。あまり見ないんですよ」
ガイドさんはロシア人女性だった。流暢な日本語を話しながら、金髪を揺らして、私の手元をのぞき込む。日本でいえば、さしずめ2000円札のような存在だろうか。実は、2000円札も私は持っている。
旅行の友は、このガイドブックである。

ロシアといっても広い。今回のツアーでは、サンクトペテルブルクとモスクワのみに滞在するので、2都市に特化したものを買ってみた。結論からいうと当たりだったらしい。
「あら、これは見たことないです。ちょっと拝見してもいいですか」
添乗員さんが興味を示し、ガイドブックの発行日や内容をじっくりチェックしていた。
「いいですよ、これ。2018年発行だから情報が新しいし、中身も面白いです。日本に帰ったら私も買います」
やったぁ~!
この本に限らず、どのガイドブックにもロシア語の日常会話が載っている。
はい 「ダー」
いいえ 「ニエット」
おはよう 「ドーブラェ ウートラ」
ありがとう 「スパスィーバ」
どうぞ、どういたしまして 「パジャールスタ」
おいしい 「フクースナ」
これが言えれば十分だ。めったに笑わないロシア人も、外国人が一生懸命自分の国の言葉を話そうとしていると、温かく接してくれる。英語はほとんど通じないというから、ぜひどうぞ。
「フクースナがおぼえられない」
大学4年の娘がブツブツぼやいていた。すかさず、添乗員さんが助け舟を出す。
「ミキちゃん、服に砂っておぼえて」
「なるほど、服ぅ砂か、あはは」
語呂合わせも大事、大事。
クリスマスを過ぎたのに、ロシア国内ではツリーやサンタをいくつも見かけた。
空港でのツリーには、ロシアらしくバレエのオーナメントか飾られていた。

こちらはホテルのツリー。

ロシアでは、ロシア正教に基づくユリウス暦を採用しているため、クリスマスが1月7日となるようだ。わが国や欧米では、カトリックに基づいたグレゴリオ暦だから12月25日。もう一度クリスマスを楽しめるようでうれしい。イルミネーションも実に華やかだ。
最後に、ロシアの有名人について話したい。私は大学1年のとき、「ロシア文学史」なる講座を履修していた。学んだことすら忘れていたのに、現地のガイドさんから、プーシキン、ドストエフスキー、トルストイなどの説明を受け、偉人たちについて思い出した。
サンクトペテルブルクにあるプーシキンの像。

雪のいたずらで顔が……。
十月革命を成功させたレーニンはさらに知名度が高い。モスクワで滞在したホテル・ナショナルには、レーニンの泊まった部屋があった。

107号室の入口には金色のプレートが輝いている。

さて、冒頭の200ルーブル札だが、4日目あたりで使ってしまった。最後に空港で買い物をしたとき、お釣りにまたまた200ルーブル札が入っていたものだからビックリした。
これは、持ち帰りましょうかね……。
レアなお札が、再び私をロシアに連れて行ってくれるかも、との期待を込めて大事に保管することにした。
次回は、サンクトペテルブルク観光をお届けします。

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※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
かなりお寒いことだったでしょうね?でも御家族と一緒で温かそうな旅だったと推察いたします
へー、フィリピンでそんな経験が?
タクシー代や飲食代はあと払いですから、「これは使えない」なんて言われたら焦りますよね。
ピンチを切り抜けられてよかったです。
ロシアグルメについては、別のところで書かないと、ものすごい字数になっちゃいそう。
ピロシキは食べました。
ボルシチ、ペリメニ、ビーフストロガノフなどに加えて、キエフ風カツレツにも舌鼓を打ちました。
料理はどれも美味しかったわぁ。
日本にあるロシア料理はどこまで本物なのか、疑問に感じる場面もあったりして。
ウォッカが一番温まるかもしれませんね。
実はベルリンに行ったことがありません。
最初にフランクフルトやハイデルベルクなどの西側の都市になはい景色があるようです。
プラハの人気も高いですね。
ツアーで一緒だった方の中に、プラハがとても気に入って3回も行ったご夫婦がいました。
しかし、ロシアは大国でありながら、サービス精神に欠けた部分がありますので、リピーターは少ないんじゃないかなぁ……。
街並みはすごく美しくて感動的でした。
両替所が1か所・・・やはり、旅行者は多くないのでしょうか。
砂希さんのロシア愛は、大学時の履修からでしょうか。
レアなお札、きっとまた連れて行ってくれそうですね。
私がロシアに執着する原点は『エロイカより愛をこめて』でしょうね。
当時はまだソ連でしたが、青池保子さんの類いまれなる画力で、ロシアに行きたい気持ちが芽生えました。
旅行者は多くないと思います。
でも、他にも日本人ツアーは来ていました。
赤の広場には、欧米人やアジア人もたくさん集まっていましたよ。
ロシア文学史は、時間的に都合がよかったため履修した科目です。
退屈だった半面、なぜかサボれない気持ちにさせられる強制力がありました。
夏のワシリー寺院が見たいです。
ロシアといえばシベリアか北欧を連想してしまいますが、寒気は日本のほうに吹いてくるのでモスクワはそんなに寒く無いんでしょうね。
土崎の町でロシアの船員から両替する場所を聞かれたことがあります、銀行を教えたけど果たして正解だったのかな~?
お疲れさまでした。
いえ、毎年ではなく5年ぶりですよ。
パスポートが切れないうちに、もう一度行けたらいいな~。
モスクワは寒かったです。
でも、中国や韓国の方が寒いかも。
あちらの方が気温も低いし。
東京の暖かいことといったらありません。
ルーブルは人気ないみたいですね。
銀行ならありそうな気がします。
両替所では敬遠されているようでした。
明日から仕事に復帰します。
夢のような7日間でした。
なぜロシアへ?と思っていましたが納得。
私にとっては、砂希さんと同じあの漫画のお陰で「スパイの国」です。
少佐との駆け引きが大好きだったなあ。
何百回読んだことやら。
クレムリンではなくネギ坊主。
少佐に憧れてベルリンには行きましたが、ロシアは考えたこともありませんでした。
ピロシキとボルシチしか知らないので、続きが楽しみです。
僕もその位休みがありましたが、ほぼ自宅で過ごしました。
ロシアなんて全然縁がないと思ってましたが、そういえば大学時代にソ連の近代史だったか何かの講義を受けていたようなことを思い出しました。ペレストロイカとかゴルバチョフ書記長とか・・・。もう言葉の意味も忘れましたが。
今はロシアというとフィギュアスケートしか浮かびませんわ。あっ。北方領土問題もあるか・・・。