10年前、住み慣れた浦和から、義母が住む練馬へ引っ越すことになった。
「おはようございます。本日はよろしくお願いいたします」
時間通りにやってきた引越し業者のリーダーは二十歳そこそこの若者で、ジャニーズ事務所から派遣されたかのような容姿をしていた。滝沢秀明ことタッキーをゴツくしたような顔、185cmを超す長身、やや茶色がかったサラサラの髪、そして白い歯を覗かせる爽やかな笑顔に目が吸い寄せられる。
こんなイケメンが引っ越しを?
芸能人になれそうなのに、チャンスに恵まれなかったのだろうか。もっとも、そのおかげで七面倒くさい引っ越し作業を、まれに見る美青年にしてもらえるのだから、こちらはツイている。
私は心の中で、小さくガッツポーズをした。
このタッキー君、顔がイイばかりでなく、子供好きなところがさらにイイ。当時1歳だった娘に、話しかけたり抱っこしたり、仕事の合間にもたくさん相手をしてくれるではないか。娘も赤ちゃんのくせに、相手がカッコいいとわかっているようで、妙になついて嬉しそうに甘えている。
きっと、いい父親になるよ、と私は確信した。
ところが、作業場所が台所に移ったとき、彼の別の面が見えてきた。
「奥さん、細々とした調理用具は紙で梱包して、この箱の中に入れておきますね」
タッキー君はそう言うと、厚手の白い紙を取り出し、包丁を真剣に包み始めた。続いてマジックをポケットから取り出す。どうやら、外側に何を包んだかを書こうとしているらしい。
だが、マジックは包装紙の上で動かない。ちょっと考えてから、彼は黒い文字を書いた。
『ほうちょう』
それを見た瞬間、私は金縛りにあったような衝撃を受けた。ひらがなだったこともショックだが、文句のつけようのないルックスからは想像できない、稚拙で汚い字であることにビックリした。字の中心はことごとくズレて、てんでにバラバラの方向を向いている。どの字もしょんぼりとしており、自信がなさそうだ。きっと小学1年生のほうが、堂々とした、立派なひらがなを書くだろう。
凍りついている私に気づかないまま、彼は他のものを梱包しマジックを走らせる。
『サラダアブラ』
この男、もしや平仮名とカタカナしか知らないのでは……?
美女のわき毛や美男の鼻毛といった、見てはならないものを見てしまったような気がした。
私がどれほど衝撃を受けていようが、作業は順調に進行していく。
練馬に到着したとき、家具の梱包を解いていたタッキー君が、血相を変えて私に近づいてきた。
「お、奥さん……、このタンス、カ、カビが生えてますよ!!!」
彼は、まるでネズミの死骸を見つけてしまったかのように取り乱していた。そうそう、通気性の悪い場所で加湿器を四六時中つけていたら、タンスに青カビが発生し、房総半島のような形に広がったのだっけ。アルコールで拭いたのに、汚らしい色が取れなかったのだ。
でも、細かいことを気にしない私は、消毒したから大丈夫だ~と平気で使っていた。
今度は、タッキー君が唖然とする番だった。一見、人畜無害に見える若奥さんが、身の毛のよだつ不潔なタンスを使っているのだから。
私は苦笑いを浮かべながら、一刻も早くこの場から逃げ出したいと思った。
これでおあいこ。いい勝負だった。
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時間通りにやってきた引越し業者のリーダーは二十歳そこそこの若者で、ジャニーズ事務所から派遣されたかのような容姿をしていた。滝沢秀明ことタッキーをゴツくしたような顔、185cmを超す長身、やや茶色がかったサラサラの髪、そして白い歯を覗かせる爽やかな笑顔に目が吸い寄せられる。
こんなイケメンが引っ越しを?
芸能人になれそうなのに、チャンスに恵まれなかったのだろうか。もっとも、そのおかげで七面倒くさい引っ越し作業を、まれに見る美青年にしてもらえるのだから、こちらはツイている。
私は心の中で、小さくガッツポーズをした。
このタッキー君、顔がイイばかりでなく、子供好きなところがさらにイイ。当時1歳だった娘に、話しかけたり抱っこしたり、仕事の合間にもたくさん相手をしてくれるではないか。娘も赤ちゃんのくせに、相手がカッコいいとわかっているようで、妙になついて嬉しそうに甘えている。
きっと、いい父親になるよ、と私は確信した。
ところが、作業場所が台所に移ったとき、彼の別の面が見えてきた。
「奥さん、細々とした調理用具は紙で梱包して、この箱の中に入れておきますね」
タッキー君はそう言うと、厚手の白い紙を取り出し、包丁を真剣に包み始めた。続いてマジックをポケットから取り出す。どうやら、外側に何を包んだかを書こうとしているらしい。
だが、マジックは包装紙の上で動かない。ちょっと考えてから、彼は黒い文字を書いた。
『ほうちょう』
それを見た瞬間、私は金縛りにあったような衝撃を受けた。ひらがなだったこともショックだが、文句のつけようのないルックスからは想像できない、稚拙で汚い字であることにビックリした。字の中心はことごとくズレて、てんでにバラバラの方向を向いている。どの字もしょんぼりとしており、自信がなさそうだ。きっと小学1年生のほうが、堂々とした、立派なひらがなを書くだろう。
凍りついている私に気づかないまま、彼は他のものを梱包しマジックを走らせる。
『サラダアブラ』
この男、もしや平仮名とカタカナしか知らないのでは……?
美女のわき毛や美男の鼻毛といった、見てはならないものを見てしまったような気がした。
私がどれほど衝撃を受けていようが、作業は順調に進行していく。
練馬に到着したとき、家具の梱包を解いていたタッキー君が、血相を変えて私に近づいてきた。
「お、奥さん……、このタンス、カ、カビが生えてますよ!!!」
彼は、まるでネズミの死骸を見つけてしまったかのように取り乱していた。そうそう、通気性の悪い場所で加湿器を四六時中つけていたら、タンスに青カビが発生し、房総半島のような形に広がったのだっけ。アルコールで拭いたのに、汚らしい色が取れなかったのだ。
でも、細かいことを気にしない私は、消毒したから大丈夫だ~と平気で使っていた。
今度は、タッキー君が唖然とする番だった。一見、人畜無害に見える若奥さんが、身の毛のよだつ不潔なタンスを使っているのだから。
私は苦笑いを浮かべながら、一刻も早くこの場から逃げ出したいと思った。
これでおあいこ。いい勝負だった。
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