「人生の終点」の話
人生の終点は、全ての人間みな同じ「死亡」である。
誰かが言っていた!
「どうせ…死ぬなら毎日楽しく生きよう!」
「どうせ…いつか死ぬなら、今死んでも同じ!」
「人間、大金を稼いで大金持ちになっても…あの世には持って行けない!」
「人間、貧乏人も億万長者のゴールはみな同じ死だね!
人は何故お金を欲しがるのか?
それは、金があれば欲しいモノを変える豊かな生活が出来るから~?!
欲しいモノが、手に入る事で生活が豊かになる?!
欲しいのモノが手に入らない生活は豊かではない?!
原始人の生活は、豊かではなかった?!
人は何故に「豊かに生きる」事を求めるの?
そもそも…「豊かな生活」とは、どんな生活・どんな日々の過ごし方?
確かに「日々の生活」=空気を吸って、食糧を食べ、運動・休息して生きて行く事は生活事実。
では、「豊かな生活」とは、どんなモノ?
美味しい空気を吸って、美味しい食糧を食べ、楽しい運動をして、いつでもどこでも疲れたら休息して…そんな事実かな?
「美味しい」から豊か?
「楽しい」から、豊か?
「好きな時に休息できる」から豊か?
好きな事・食べたい物・やりたい事をして・やりたくない事をしない生活を求めて…
人は「お金」を求めい稼ぐのだろうか?
確かに「お金の為に働く」人々もいる…
しかし「お金は、働いた結果で、働く事に意味がある!」という人もいる。
野球選手の大谷は、金に為・金を稼ぐに野球選手をしているのだろうか?
否!彼は、彼の人生目標の達成為に野球選手を続けている…
彼は、普通の人々が、普通の生活では、一生かかっても使い切れない程「大金」稼いだ…ようである。
そんな大金持でも…
何回も身体的な怪我・故障…で手術を繰り返しても…
それでも~彼は「野球選手」を続けているのは…何故?
自分の思い達成を望んで、その為にお金を欲する者。
自分の思い描いたの実現の結果、「お金」が入って来る者。
お金なんか…どうでもいいし、持っていないのに…
自分の望んだ豊かな生活が出来ている者。
人は言う~
「お金があれば幸せ!」
「お金が無いけど幸せ!」
「お金があれば幸せが買える!」
「幸せは金が買うモノではなく、自分で創るモノ!」
では…「幸せ」って何?
その人が「幸せ」と感じた時が、その人の「幸せ」。
その「幸せ」に~
「自分の思い通りにできる」・「思い通りの結果が得られる」がある、
と私は思っている。
辞書によると~自由とは「他から制限されたり、邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできる事。」
そう~この「思い通りにできる事」が、自由だと辞書に書かれている。
ただ…
「自分の思い通りにできた!」から、と言って、
「自分の思い描いていた結果」が、得られるとは限らない。
そう~「~する・できた自由」に満足できても、
その「自由の成果」に満足できるとは限らない。
自分の思い通りにできる事が「幸せ」でも…
その自由の成果が「不幸」と言う事も起これ得る…だろう。
ここから始まる・始める自由びとの「自由な物語」かな?
その方向性は、以下を一読してね♪♪♪
http://satoritaihito.seesaa.net/
2024年12月: (旧)悟りを求めて…
2024年12月27日
ここから・今日からの始まり!
この自由びとブログ「悟りを求めて…」の始まりは以下~
開設の挨拶
2011-09-08 22:33:26
開設の挨拶
本「悟りを求めて」は、9月7日に開始予定であった。 そう、「善は急げ」と立ち上げたはいいが…論説が…まだであった。 そう、私は「悟りを求めて」、本ブログを開設する事にした、のである。 何故なら、新たな行動による体験は、今までに無かっただろう感情を呼び起こし、 その感情は今までになかった、新鮮な行動を誘発する!?かもしれない!からである。 そう、その感情、その行動から悟りへの道が拓かれるかも?!であるから…。 さあ~みなさんも、新たな一歩を踏み出..
そして…その思いは以下~
窮屈いっぱいの現代社会で。
自由に生きて行く為の悟りを求めて…
今この瞬間を共に生きてみませんか!?…
であったが…
そもそも「自由とは?」「悟りとは?」…
そして「自由と悟りり関係は?」…
それらの考察が足りないように今!感じ始めている…
自由について思考する為には「自由を識る事」
言語表現としての「自由」を識る為には、この言語の意味を知る・分かる・理解する事。
このように言語表現としての「自由」を知って分かって理解して…
初めて次に進める~それは現実の自由を考察して、そこから自由を識る事。
自由を求めているのに…その始まりが~
「自由を識る」事から!とは~如何に人間が不自由な存在かの証明であろう…
では「自由・じゆう」の意味とは、
例解新国語辞典[第四版]によると~
「他から制限されたり、邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできる事。」
この「自由」とは、「モノ」ではなく「コト」と言えよう。
その「現実の自由」には、初めに「自分の思い」があり、
次に、その思い通りに「出来る・する言動・行為」がある。
ただ…問題はこの辞書に書かれている「自由の意味」から考察を始める時点で…
既に自分の思いではない「自由の意味確認がある事」=不自由という事になる。
辞書に書かれているような「自由の意味・思い」は私にはなかった。
なのに…自由を求めてのブログ開設とは…
自己の強い思いなき自由は、自由とは言えない
自分に「自由という認識なき」行為・言動を「自由とは言えない」。
この事は、
自由についての自由な思考は不可能!という事。
自由とは、社会的に「自由」と思われる「コト」
自分自身の「思う・思っている自由」は、(辞書に書かれている)社会的な自由とは限らない。
人生の終点は、全ての人間みな同じ「死亡」である。
誰かが言っていた!
「どうせ…死ぬなら毎日楽しく生きよう!」
「どうせ…いつか死ぬなら、今死んでも同じ!」
「人間、大金を稼いで大金持ちになっても…あの世には持って行けない!」
「人間、貧乏人も億万長者のゴールはみな同じ死だね!
人は何故お金を欲しがるのか?
それは、金があれば欲しいモノを変える豊かな生活が出来るから~?!
欲しいモノが、手に入る事で生活が豊かになる?!
欲しいのモノが手に入らない生活は豊かではない?!
原始人の生活は、豊かではなかった?!
人は何故に「豊かに生きる」事を求めるの?
そもそも…「豊かな生活」とは、どんな生活・どんな日々の過ごし方?
確かに「日々の生活」=空気を吸って、食糧を食べ、運動・休息して生きて行く事は生活事実。
では、「豊かな生活」とは、どんなモノ?
美味しい空気を吸って、美味しい食糧を食べ、楽しい運動をして、いつでもどこでも疲れたら休息して…そんな事実かな?
「美味しい」から豊か?
「楽しい」から、豊か?
「好きな時に休息できる」から豊か?
好きな事・食べたい物・やりたい事をして・やりたくない事をしない生活を求めて…
人は「お金」を求めい稼ぐのだろうか?
確かに「お金の為に働く」人々もいる…
しかし「お金は、働いた結果で、働く事に意味がある!」という人もいる。
野球選手の大谷は、金に為・金を稼ぐに野球選手をしているのだろうか?
否!彼は、彼の人生目標の達成為に野球選手を続けている…
彼は、普通の人々が、普通の生活では、一生かかっても使い切れない程「大金」稼いだ…ようである。
そんな大金持でも…
何回も身体的な怪我・故障…で手術を繰り返しても…
それでも~彼は「野球選手」を続けているのは…何故?
自分の思い達成を望んで、その為にお金を欲する者。
自分の思い描いたの実現の結果、「お金」が入って来る者。
お金なんか…どうでもいいし、持っていないのに…
自分の望んだ豊かな生活が出来ている者。
人は言う~
「お金があれば幸せ!」
「お金が無いけど幸せ!」
「お金があれば幸せが買える!」
「幸せは金が買うモノではなく、自分で創るモノ!」
では…「幸せ」って何?
その人が「幸せ」と感じた時が、その人の「幸せ」。
その「幸せ」に~
「自分の思い通りにできる」・「思い通りの結果が得られる」がある、
と私は思っている。
辞書によると~自由とは「他から制限されたり、邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできる事。」
そう~この「思い通りにできる事」が、自由だと辞書に書かれている。
ただ…
「自分の思い通りにできた!」から、と言って、
「自分の思い描いていた結果」が、得られるとは限らない。
そう~「~する・できた自由」に満足できても、
その「自由の成果」に満足できるとは限らない。
自分の思い通りにできる事が「幸せ」でも…
その自由の成果が「不幸」と言う事も起これ得る…だろう。
ここから始まる・始める自由びとの「自由な物語」かな?
その方向性は、以下を一読してね♪♪♪
http://satoritaihito.seesaa.net/
2024年12月: (旧)悟りを求めて…
2024年12月27日
ここから・今日からの始まり!
この自由びとブログ「悟りを求めて…」の始まりは以下~
開設の挨拶
2011-09-08 22:33:26
開設の挨拶
本「悟りを求めて」は、9月7日に開始予定であった。 そう、「善は急げ」と立ち上げたはいいが…論説が…まだであった。 そう、私は「悟りを求めて」、本ブログを開設する事にした、のである。 何故なら、新たな行動による体験は、今までに無かっただろう感情を呼び起こし、 その感情は今までになかった、新鮮な行動を誘発する!?かもしれない!からである。 そう、その感情、その行動から悟りへの道が拓かれるかも?!であるから…。 さあ~みなさんも、新たな一歩を踏み出..
そして…その思いは以下~
窮屈いっぱいの現代社会で。
自由に生きて行く為の悟りを求めて…
今この瞬間を共に生きてみませんか!?…
であったが…
そもそも「自由とは?」「悟りとは?」…
そして「自由と悟りり関係は?」…
それらの考察が足りないように今!感じ始めている…
自由について思考する為には「自由を識る事」
言語表現としての「自由」を識る為には、この言語の意味を知る・分かる・理解する事。
このように言語表現としての「自由」を知って分かって理解して…
初めて次に進める~それは現実の自由を考察して、そこから自由を識る事。
自由を求めているのに…その始まりが~
「自由を識る」事から!とは~如何に人間が不自由な存在かの証明であろう…
では「自由・じゆう」の意味とは、
例解新国語辞典[第四版]によると~
「他から制限されたり、邪魔されたりしないで、自分の思い通りにできる事。」
この「自由」とは、「モノ」ではなく「コト」と言えよう。
その「現実の自由」には、初めに「自分の思い」があり、
次に、その思い通りに「出来る・する言動・行為」がある。
ただ…問題はこの辞書に書かれている「自由の意味」から考察を始める時点で…
既に自分の思いではない「自由の意味確認がある事」=不自由という事になる。
辞書に書かれているような「自由の意味・思い」は私にはなかった。
なのに…自由を求めてのブログ開設とは…
自己の強い思いなき自由は、自由とは言えない
自分に「自由という認識なき」行為・言動を「自由とは言えない」。
この事は、
自由についての自由な思考は不可能!という事。
自由とは、社会的に「自由」と思われる「コト」
自分自身の「思う・思っている自由」は、(辞書に書かれている)社会的な自由とは限らない。
ですが自由びとさんは大谷翔平さんがやった事実は知っているが一流だとは思わないという。
ならば自由びとさんが考える「一流の人物」とは具体的に「誰」なのですか?
それを答えずに自分(自由びと)の中だけで「私とは違うな」と得心して、唐突?に「一流の仕事」とは別に「一流の努力」があると述べる。
これが私に何かを伝えようとする一人前の人間の記載でしょうか?
お宅、何歳だ?
>Sueki
>コメント
>私が一流だと思う人物は「例えば」という形で「大谷翔平選手」だと答えました。
>ですが自由びとさんは大谷翔平さんがやった事実は知っているが一流だとは思わないという。
↑
え?!ビックリマークですね~
私が、「どこに?」
⇒>大谷翔平さんがやった事実は知っているが一流だとは思わないという。<と書いていますか?
たぶん…書いていないと…思いますよ!
そもそも…私にとって、彼が一流か否か?なんてどうでもいい事。
私の興味・関心があるのは、
彼が自分の高い目的の為になした努力・取り組み・実践…の元にある「彼の認識・精神」なのです。
>ならば自由びとさんが考える「一流の人物」とは具体的に「誰」なのですか?
え?!ビックリマーク何で「一流の<人物>」と尋ねるのですか?
私の興味関心は「一流の努力・実践・取り組み」をなした(人物)「精神」ですよ!
まあ~例えれば~
誰もが信じていなかった「トロイ古代遺跡」の存在を信じて発掘・発見した「精神」。
誰もが信じられない方法で真に役立つ「弁証法・認識論・論理学」…を構築した「精神」。
言うなれば~
そのような「精神」を創り上げた者の「認識・実践」が一流(の努力・取り組み・実践)だと思います。
>それを答えずに自分(自由びと)の中だけで「私とは違うな」と得心して、唐突?に「一流の仕事」とは別に「一流の努力」があると述べる。
人物の特定は無意味です。
それは、「人間は認識的実在」である人間にとっての一流とは、
その「認識・精神」の一流というなのですから…。
だから「一流の仕事」ではなく、
自己にとって至難な(合社会的な)夢・目的の実現の為の努力・取り組み続ける「精神が一流」。
「社会な一流の仕事」の「一流」は、私に興味ありません。
その結果に到達する為に努力可能な「精神・精神的な努力」が一流。
>これが私に何かを伝えようとする一人前の人間の記載でしょうか?
え?!
いつ「私がお宅に何か伝えよう」としましたか?
「私がお宅に伝えよう」…とうより…
私が、お宅に聞かれた事に答えているだけ、ですね。
そして、それを誤解し続けているお宅に、
そのお宅の誤解を否定し続けているだけ…です
>お宅、何歳だ?
え?
「何歳だ?」とは!「ビックリマーク」ですよ。
私の年齢は無関係です。
ここは、私の個人的な自由ブログ。
なので、社会的・ネット的ルールを順守している限りの自由びと記述に問題はありません。
それこそ自由の個人ブログ内で、
お宅の自身個人的見解を、恰も社会的見解のように思い込み、
それを持って自由びと記述に異論・反論を書き続けている「お宅って何歳だ!」
そもそも…
人間の「一流」の<思い精神>」に興味関心ある私に対して、
人間の感情的な「一流を求める<欲求>」から思考しているお宅…
これじゃ~
私には、お宅を理解可能でも…
お宅には、自由びとを分かる事は至難でしょうね。