新・悟りを求めて~

自由が故に退屈化し得る現代社会での日々へ、
新たな刺激を与えるべく、新たにブログ開設を…

「人生」について…

2019-12-07 12:00:25 | 想い思い考える


「人生」とは、人間が生きる事。

動物(哺乳類)である人間が生きるとは、
動物として生きつつ、人間として生きる事。

動物の生まれた意味・目的は、
種族の維持・繁栄であり
未来永劫種の存続であろう。

当然に、
動物はその事の自覚・意識なく、
動物の本能で、
そのように生き続けさせられている、のだろう。

その動物の本能は、
その個体とての生が、
その種族の存続に貢献するよう働いている、
のだろう。

時には、個体自身を犠牲にして、
種族の存続・維持を優先する、らしい…


子供が学校に通い勉強させられている、のは、
俯瞰するなら、
その勉強・学びが人類全体の繁栄・維持・存続に
繋がるだろう願望から、だろう。

もっとも…
現実的・近視眼的には、
まともな国民・社会人として成長させる為であろうが…


ならば…学校に通っている子供には、
そのような自覚・意識がある、のだろうか?





禅の公案には、以下のようなモノがある。

狗子仏性(趙州無字)

趙州和尚、因みに僧問う、「狗子(くし)に環(かえ)って仏性有りや也(ま)た無しや。」州云く、「無。」
( ある僧が趙州和尚に「犬にも仏性がありますか?」と問うたところ、趙州は「無」と答えた。)





禅では、「生けるモノ全てに仏性がある」と言われているのに、
しかし、ここでは、「犬に仏性はない」と言い切っている。

これは矛盾である。
これが矛盾となる理由は、
「生けるモノ全てに仏性はある」と
「犬には仏性はない」 
 の双方を正しいとして考えるからである。

この解答は、
「犬にも仏性はある」、
しかし、
「犬は、その仏性を自覚できていない」、
だから、
自覚ない犬には、
仏性は「無い」と同じ、という事。


その人間の生き方が、人間として、人間的なモノにする為には、
その人間が、己が人間である、と自覚・意識する事。

ここでの「人間とは?」の自覚・意識は、
感覚的・感情的なのモノでなく、
学問的・歴史的なモノである必要があろう。


兵法に曰く~
「彼を知り己を知れば百戦殆からず」と…

人類にとって、「彼」とは?
人間以外の全て、宇宙・自然・社会…の全であろう。

「己」とは?
歴史的人類・人間であり、
文化・文明・人造物…の全てであろう。


それを知る事で、人間としての自覚・意識が芽生え、
それが、人生=人間としての生き方の始まり、であろう…

果たして…このような事が私に出来ているのか?
そもそも…私はこのように生きて来たのだろうか?



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