「パワー 西のはての年代記Ⅲ」 アーシュラ・K=ル・グウィン 河出書房新社
THE CHRONICLES OF THE WESTEERN SHORE “Powers” 谷垣暁美・訳
〈西のはて〉の都市国家群のひとつエトラ。
11歳のガヴィアは、小さい頃に姉のサロと共にさらわれてアルカ家の館の奴隷になっていた。
ガヴィアはこれから起こることを「思い出し」する力があったが、それは出身が水郷人だからだろうと姉は言い、
それを他の人には言わないように言う。
ガヴィアはもうひとつ、一度見たことは忘れない力もあり、本に書いてあることを語ることが出来た。
アルカは奴隷の待遇がよく、奴隷の子も館の子どもも一緒に奴隷の教師エヴェラからエトラの法律や道徳を学んでいた。
ガヴィアは学ぶことが好きで、将来はエヴェラの後を継いで教師になるように指導されていた。
しかし、14歳の時に姉のサロに悲劇が訪れ、それに気持ちが耐えられなかったガヴィアは館を離れ放浪を始める。
逃亡奴隷として追われることは頭になかった。
やがてガヴィアはエトラ意外の世界を知っていく。
〈西のはて〉3部作の第3巻。
奴隷をいう立場でも、その立場しか知らなければ自由について考えることはない。
奴隷は贈り物として人に送られたりするので、親子が一緒に暮らすこともない。
しかし、いかに待遇がいいと言っても主人の言うことが絶対で、たとえ殺されることがあっても何も出来ない。
それが奴隷なのだと言われたら、そうせざるをえない。
そんな状態でも、心に中に芽生えるものがある。
それが、聞きかじった詩からだったり、堪えられない感情からだったりする。
色々な体制の社会があるが、人間として本質的に求めるものはやはりあるのだろうと思う。
これはガヴィアの冒険と成長の物語。
「思い出し」と「忘れない」という力があるが、その他は弱い存在に過ぎないガヴィア。
自由をひたすら求めた訳ではない。
自分の1番したいこと、自分が1番自然にいられることを望んだだけ。
人を信じすぎることが自分を追い詰めると悩むが、結局は信じたからこそ未来が開けた気もする。
まだまだ〈西のはて〉の物語が読みたい。
THE CHRONICLES OF THE WESTEERN SHORE “Powers” 谷垣暁美・訳
〈西のはて〉の都市国家群のひとつエトラ。
11歳のガヴィアは、小さい頃に姉のサロと共にさらわれてアルカ家の館の奴隷になっていた。
ガヴィアはこれから起こることを「思い出し」する力があったが、それは出身が水郷人だからだろうと姉は言い、
それを他の人には言わないように言う。
ガヴィアはもうひとつ、一度見たことは忘れない力もあり、本に書いてあることを語ることが出来た。
アルカは奴隷の待遇がよく、奴隷の子も館の子どもも一緒に奴隷の教師エヴェラからエトラの法律や道徳を学んでいた。
ガヴィアは学ぶことが好きで、将来はエヴェラの後を継いで教師になるように指導されていた。
しかし、14歳の時に姉のサロに悲劇が訪れ、それに気持ちが耐えられなかったガヴィアは館を離れ放浪を始める。
逃亡奴隷として追われることは頭になかった。
やがてガヴィアはエトラ意外の世界を知っていく。
〈西のはて〉3部作の第3巻。
奴隷をいう立場でも、その立場しか知らなければ自由について考えることはない。
奴隷は贈り物として人に送られたりするので、親子が一緒に暮らすこともない。
しかし、いかに待遇がいいと言っても主人の言うことが絶対で、たとえ殺されることがあっても何も出来ない。
それが奴隷なのだと言われたら、そうせざるをえない。
そんな状態でも、心に中に芽生えるものがある。
それが、聞きかじった詩からだったり、堪えられない感情からだったりする。
色々な体制の社会があるが、人間として本質的に求めるものはやはりあるのだろうと思う。
これはガヴィアの冒険と成長の物語。
「思い出し」と「忘れない」という力があるが、その他は弱い存在に過ぎないガヴィア。
自由をひたすら求めた訳ではない。
自分の1番したいこと、自分が1番自然にいられることを望んだだけ。
人を信じすぎることが自分を追い詰めると悩むが、結局は信じたからこそ未来が開けた気もする。
まだまだ〈西のはて〉の物語が読みたい。
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