険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その4。安濃ダムから長徳寺、河内渓谷、石山観音公園へ。

2024-09-26 16:26:48 | つれづれ思うまま
 地図再掲。

「安濃ダム」から危険ではない「県道42号線」(起点は三重会館前交差点、終点は上阿波字箕谷)を東へ、
安濃川沿いに約5分。地図を見ながら走り、このお寺を見つけたわけです。

曹洞宗 長徳寺
※「長徳寺の四季
  
お寺の駐車場と山門
中に入って、これが有名な『龍王桜』と。
  
説明を読んでいて、「普賢桜」(フゲンザクラ)という名前は・・・確か聞いたことがある。
普賢、ふげん、フゲンと探していたらありました!

ちょっと逸れます💦
花垣予野の八重桜」の項?です。
なんとまさに今放映中の大河「光る君へ」の中の一条天皇、(道長の娘/ドラマの中では)中宮彰子さまが絡んでいました。
三重県伊賀市予野・花垣神社にあり、奈良県の八重桜に類似しています。≫
また、逸話として
≪奈良の興福寺にある八重桜を、一条天皇の后であった中宮彰子が京都に移そうとした。
これを知った奈良の僧徒は腹を立てて止めさせた。
彰子は奈良の僧徒が風情を解するものだと知り、花の時期には花の守を置くことにされた。
この花守には原産地の予野の村人を当て、庄を賜った。
以来この地を「花垣の庄」と呼ぶようになった。≫とな。

ドラマの中ではこんなシーンは出てこないですが、
花垣の八重桜」の歴史はこんな古い時代の話だったのね、ということ。
今更ですが理解できたわけです。
(そんな話知ってるわ、という方々には笑われそうで恥ずかしいですが💦💦)
あまりこの時代のことって知るチャンスがなかったので、凄く興味を持って見ていました。
そしてなんと「桜」が絡んで「花垣の八重桜」、「普賢(象)桜」とつながったわけです。
まさかの芸濃町で、由緒書きを読んで、ドラマとつながり、花垣へ飛んでった…(笑)。

※ドラマでは、一条天皇(=塩野瑛久)、中宮彰子(=見上 愛)
※参考「伊賀の歴史/上下巻/郷土出版社」より
 

話題を戻しまして、長久寺の普賢桜はその季節にまた訪れたいものです。
その先をほんの少し進むと、今度は「河内渓谷」の看板!
 
確かに「青もみじ」が綺麗だし、秋になればきっと「紅葉は素晴らしい」と想像できます。
「忍田橋」(オシダ)と読みますが、古いアーチ橋があるはずなんですが、
木々が生い茂りその隙間から辛うじて見えるかな??
  

近くには「雲林院城跡」(ウジイと読む)。


※「令和元年の河内渓谷界隈紅葉の様子
ライトアップ時期は11月中旬から12月上旬を予定しています(令和6年情報)、だそうですよ。
行ってみたいですね

河内渓谷で16時15分になりましたので、ぼちぼち帰路に着かねばなりません。
帰り道はさすがにあの険道を再び通る気にはならず「名阪国道」経由を選択。
関ドライブインの手前に確か「石山観音公園」という大きな看板がある、
通るたび気になる場所で、今回は下見を兼ねて少しだけ寄り道します。

地図では「横山池」というのがあってその横を通ると意外と近道、
伊勢別街道に出ればもう慣れた道、「石山観音公園」までは行けそうな気がする…
はい、ほんの15分ほどで到着。
  

  

またのチャンスを狙います。

では、これで今回のドライブは「完」。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その3。錫杖湖、安濃ダム、長徳寺、河内渓谷へ

2024-09-23 23:04:40 | つれづれ思うまま
伊勢平氏伝説の地の一つ、落合。
正しくは「芸濃町河内」ゲイノウチョウコウチと読む。

ここで、お断り…
ワタシはどうしても泉南地方の「河内」カワチをイメージしてしまうので、
読み方が混乱してしまいます💦💦
例えばね、今年のコレ!元気な河内弁で統制とって頑張ってますよ。
※映像「岸和田だんじり祭 試し曳き」①
※映像「見るのは危険かも、『試し曳き』② 落ちても大丈夫なんだね
脱線してしまいました、ごめん

平維盛開基といわれる「岩間山 成覚寺」(広報津:H24/6/16号)を後にして「落合橋」を渡り、安濃川に沿います。
ココは、
 
「錫杖湖周辺マップ」と「海抜172.7m地点」だそうな。
湖面を見ると、なんと
 
おっ、水がない??
錫杖湖水荘 レストラン湖水」のスタッフの方にお聞きしました。
「夏場は、いつもこんなんですよ、水はないんです」と…あれま、そうなんですか、残念…

「日本野鳥の会/三重/安濃ダム/錫杖湖」のページに詳細が載っています、ご参考に。

また、Wikipedia情報では
<安濃川に沿って三重県道42号津芸濃大山田線が北東から南西に通過する。
集落はこの県道に沿って形成され、南ノ垣内(ミナミノカイト)・六呂屋(ロクロヤ)・覚ヶ野(ガクガノ)・下ノ垣内(シモノカイト)・落合・北畑(キタバタ)・杖立(ツエタテ)・梅ヶ畑(ウメガハタ)・宝並(ホウナミ)の9つからなっていたが、
杖立は安濃ダム建設のため、錫杖湖に沈んだ。
このうち、南ノ垣内・六呂屋・覚ヶ野を「上の垣内」
下ノ垣内・落合・北畑・杖立を「中の垣内」
梅ヶ畑・宝並を「下の垣内」という>そうです。

これも余談ですが、高校生時代の後輩に青山方面から通うブラスバンド所属の「大垣内」くんが居て、
オオガイトと読むんだ、ということは知っていたので、ワタシにとっては難読ではなくふつうに垣内=ガ(カ)イトと読めます(笑)。
こちらは→過去記事です。(今回は脱線が多い💦)

そのまま、ダム湖沿いに進みます、初めての「安濃ダム」。
景色のみ…
  

 堤体を渡って
真ん中辺りで
   

  

伊賀越をして安濃川上流の様子を見て心配になりましたが、
この湖水(錫杖湖)をみて夏場はどうしてもこれくらいになっちゃうのかな、と。
灌漑用ダムなので、過去には雨乞いの神事もあったり、大雨で簡易な堰が壊されたりとか、
いろいろ苦労があったことと思われます。
ダムのおかげで安定供給がされれば安心して過ごせますね、
今年は津側のダム二つ行くことが出来て良かったです。(も一つは「君ケ野ダム」でした)

では安濃川沿いにそのまま少し下流へ


つづく。
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険道42号線伊賀越道を下りたらそこは伊勢國、その2。「落合の郷」「成覚寺」維盛伝説地。

2024-09-21 00:50:23 | つれづれ思うまま
前知識もなく、なんの勉強もせずに伊賀の西端から峠道(「伊賀越」というらしい)を下りた先は…

帰ってから調べたところ、旧「三重県安濃郡河内村」だそうな。
布引山地を横断?するように進んだわけで、当然川の流れは「伊勢湾へ」。
伊賀と津の境の峠道を下る途中、山の中腹部にお家が2・3軒ありました。
流石にここは空き家でしょ…と思いましたが、なんと自動車が停まっておりました。(失礼しました)
なにせ、ここまで杉や雑木の林を抜ける一本道だったもので、急に家があると です。
まさに「ポツンと一軒家」に出ても不思議ではないような…(と、運転手が申しておりました(笑))
川沿いに下りてきたのですが、さて地図で見ても川の名前はわかりません…
この山から流れる川筋は何本もあって、丁度合流した辺りで「安濃川」となるようです。

公的?建物としては、下の二つの神社とお寺があります。
  
春晃山澄源寺】(チョウゲンジ)/真宗高田派
小川内神社】(オカワチジンジャ/読み方は平凡社・三重県の地名より)
<奥芸濃町河内南之垣内/コウチミナミノカイト
河内の南之垣内集落の下流、安濃川左岸にある。
旧村社。祭神は天穂日命と八所御霊神をはじめ多数の神を合祀する。
古来河内明神とよび、(中略)安濃川水源の神であるが、
古くより祭礼に騎射の神事があった(三国地志)>とのこと。
※騎射=流鏑馬のことと思われます。

伊賀越峠道図

 googleではここを下りてきた

その先、さらに川沿いに進んで道の分岐に差し掛かる。
この辺りの地区は「芸濃町河内村」(Wikipediaより)というらしい。
以外や、キャンプ場などの看板などが見えたのですが、それよりまさかのこの案内版、
 
「(徳川家康の側室)於奈津」生誕地、「平維盛」、「平家伝承地」とか・・・
『落合の里に清雲院於奈津誕生
伊勢の清流、安濃川の水源、落合の里は源平合戦の昔、西海長門の壇之浦て敗れた平家の一族が隠棲した所。
近くの成覚寺は小松三位中将平維盛の開基と伝えられ、尊像や墓碑が祀られている。
また南郊には天下泰平に尽くした徳川家康の側室, 清雲院於奈津の出生地がある。
於奈津は天正九年(1581)、当地に生まれ、翌年の本能寺の変のあと、
伊賀越えをした家康と出会ったとも伝わるが、京都・二条城で家康を刺客から救った功績で
側室に召された。江戸城三の丸に屋敷と中野村五百石を賜り、関ヶ原合戦や
大坂冬夏の陣にも従軍。安濃津城主藤堂和泉守高虎ら 六人衆と共に幕政を助け、
のち秀忠・家光にも仕え、 伊勢商人の江戸進出を援助した。』
於奈津(Wikipediaより)

ここがいつの頃からか気になっていた、平家落人伝説の残る「落合」なのか、と。
これは気になる、この「岩間山 成覚寺(ジョウカクジ)」是非伺わねば。
ということでキャンプ場の見学よりこちら優先で、
路駐できそうな道幅だったので、車を停め、スゴイ激坂を上った先には…
  



本堂前で女性ご住職の方にお目にかかり、ぜひお上がりくださいと本堂に参らせていただき、
 
「ここは伊勢平氏伝説の残る地で、屋島の戦いで敗れた平維盛公は、
那智沖で入水したように見せかけてこの地に31人の家来と共に隠れ住みました。
31人の家来たちは皆『落合姓』を名乗り、この地で生き抜いてきた。
(清盛の孫)維盛のお墓もあります。また維盛は大層なイケメンだったとか…」
そんな伝説が残る地なんですとのお話を伺い、またお堂の格天井にはなんと
  
「桓武平氏の家紋/丸に揚羽蝶」「落合家の家紋/扇に日の丸」が。
お堂の裏手に回ると「平維盛の墓」「梛(ナギ)の木」など。
  
」は、以前「清盛のお父さんの忠盛の産湯地」を訪ねた折にも見たので、
これも何かのご縁かと驚いた次第。

また「天水受」にも『扇に日の丸』、
その中にはなんと「モリアオガエル」のオタマジャクシがいっぱい!
これもなかなか希少なカエルちゃん、初めてお目にかかったのでこれまた何かのご縁。
目が合って、嬉しかったです、可愛い💗(※ちなみに卵はコレ
  

お寺を後にする時、教えてもらったのがココ、

ここは「神君伊賀越え、もう一つの道だった」かも、とのこと。
それでこの険道は「伊賀越」という別名が付いているのか?とは勝手な想像です、あしからず。

そして、てんこ盛りの話のついでに…
※全国至る所に、平家の落人伝説』(Wikipediaより)はあるそうで、ここもその一つ。
 山深いところです。

平忠盛(小倉山荘より)

家族連れにおススメは、
※『落合の郷』:大きな駐車場もあって、支流の川岸に親水公園もあって、 バーべキューなども楽しめるみたい、ですよ。
この「落合の郷」へ来るには、もう一つ極道があるらしい、
moni5187様に教えられた道は、こんな道「柚之木峠越」もあるそうですよ。
 
加太駅で見た「錫杖岳への地図」にもありました。

さぁ、これから安濃川沿いに進みます。
ではまた

「梛」について追記(2024/9/21 10:30)、
成覚寺を訪問した際に「梛」の説明を受け、雌雄一枚ずついただいてきました。
雌雄が揃っていないと実がつきません、銀杏や冬青(ソヨゴ)も同じですね。(ほかにもあると思いますがワタシの知る限り…)
 葉脈を見て!
見るだけではそんなに変わりはないけれど「葉脈」がミソで、
樹木の中で葉脈が「縦」に入っているのはなかなか珍しい、とのこと。
調べていて見つけたblogに詳しい説明がありましたので、リンクさせていただきます。
『「縁結びと厄除け」の梛の葉(奈良佐保大学教職員blogより)
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伊賀→津市の三重県険道42号線を越えたら…

2024-09-15 00:59:14 | つれづれ思うまま
どこに行くのでしょうか?
地図ではね、よく見てたんですけど、はてさて?
「安濃ダム」を目指すそれまでに、何処へ出るのか…

そんな走るだけなら1時間弱のドライブですが、それがなかなかどっこい、
途中寄るところ多々あって、書くには長くなりそうなので「その1」にしようかな…と。

「大山田歴史資料館」へ寄って「大山田の古墳」の展示物を見て、
さぁ初挑戦の冒険道を行ってみましょうか🚙

その道中「平松宿」辺りで「女郎花」が満開、
出後の水車横の花壇の綺麗な花に見惚れ、一路「猿蓑塚」へ。
  

どんな道なのかは知人に聞いたことがあって、軽自動車で必死になって走ったとか、
峠を越えたら「安濃ダム」に出たけれど・・・という話でした。
昔、地図を眺めていて「落合」とか「河内」という地名にビビッときた記憶あって、
いよいよその「ビビッと」感じたその場所に行けるかもという期待感半分、
険しいとは聞いた不安感半分、ともかく進もう!

峠道には違いないし、杉林続くその縁辺りには「マツカゼソウ」。
しばらくマツカゼソウ道は続きます、白い花はまだ咲きかけの頃でした。

1車線の道、片側にはガードレールあったりなかったりの林道、
写真を撮る余裕はなく、ここが「市境」という証拠だけ撮った!
 
でもね、比較的森深くという感じではなく、間伐も適宜行われている風で、
明るい林道!という印象、雨の日に走る道ではないけれど、
お天気さえ良くて、対向車が無ければgoodです(笑)。

通称「津芸濃大山田線」という県道(険道で良いと思う💦)

まぁ、今日はここまで、
ドライブ日は2024/8/24のこと。
 こんなルートで…

ではまた
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「お墓に連れてって…」騒動と百日紅。そして「サギソウ」やっと満開かな…

2024-08-22 09:50:30 | つれづれ思うまま
ハハに「友人のお墓参りに行きたい」と言われ、
もうこれ以上延ばすわけにはいかないなと思った先日(8/16)の話。

94歳のハハのいう事を「分かったわかった、そのうちにね連れて行くよ…」と言っていてはいけない気がしてきたので。
いや元気なんですよ、足元はずい分おぼつかなくなってきたけれどまだまだ元気なんですよ。
でもね、連れていかないことにはいつまでも
「あそこに行きたい、ここも行きたい、あれも食べたい、これ買ってきて」と…
ともかく忘れないんですね、自分の要望が叶うまでは。
そういうわけで、「川東の阿弥陀寺にお墓があると聞いている」とか、
そこになかったら「川西のなんとかというお寺やったかも」とか、
未確認情報を頼りに行くわけですから大変なんですよ💦
たまたまお盆過ぎの曇り空の日だったので「ほな、行こか」と、
(ワタシが)その気になったタイミングで墓探しのドライブでした🚙。

先ず「阿弥陀寺」(川東地区)にて
  
ふむ?お寺に紅白の百日紅って、珍しいのかふつうにあるものなのか?
ちょっと不思議な気持ちになりました。(※)

境内では、三重県指定文化財でもある「五輪塔」はなかなか有名。
 

お墓を探しましたが見当たりません💦
ハハ「そういえば、川西にある(ハハの友人の)自宅の傍にもお寺があったような…」
ワタシ、「多分そっちの方が正しい記憶ではないかい?」
たどたどしい記憶を聞きながら進みます。
笑い話のようなお話ですが、彼女は壬生野ICからの道しか記憶になさそうで、

この日は川東方面から来ているので、同じ道なんだけど景色が真逆でわからないらしい。
彼女の記憶の回路が狂ってしまって、ココじゃない、こんな道じゃなかったと、のたまう。
「右手に水路があったはず…?」
「逆に進んでるからわからないんだね?
だったら、壬生野ICまで行って仕切り直しで探しましょうか?」となります。
すると「そうそう、ここに水が流れてて、(さっきと同じ道を通ってるんだけどね💦)
確か、あの旗の立っている辺りを左へ曲がったような…」
「はいはい、じゃぁ曲がりますね、(少し北に進むと)ここは公民館だねぇ??」
ふと目をやると、その奥に墓地が見えましたね、
よく確かめると、はい、入口には「福泉寺」と。(やれやれ、とは心の声)
  
川東からココ川西にかけて、かれこれ30分はウロウロしましたけど、その間彼女もよく頑張りましたね。
杖を突きつつ、足元ふらつくなか「お友達のお墓」必死になって探してましたから。
これでいいんです、これできっともう「お墓に連れてって」とは言わないでしょうから…

※「百日紅がお寺にあるのは…」
其1:原産国の中国では、天子の政治を助ける省庁であった中書省
後の紫微省に百日紅の樹が多く植えられていたことに因んで、
以来中国では紫微の微に草冠かんむりを付けて、
この樹を紫薇(シビ)と称するようになったそうで、
名付けの背景の高級感も伝わったのか、
日本に伝わった江戸初期頃の幕政下の各藩は屋敷に競って植えたとのことから、
格式を重んじる神社や仏閣にも、炎天下に長期間咲き続けることも手伝ってか、
同じように植え広まっていったのではないでしょうか。(yahooの質問コーナーから抜粋)

其2:お寺植物図鑑」でお寺に植物が多いわけ、教えてもらいました。


お墓探しも一段落した翌日(8/17)、久しぶりの上野森林公園へ。(ココは単独で(笑))
ずい分ご無沙汰している間にFBでは「サギソウ満開近し」みたいなことで、
これは見に行かねばと、蒸し暑さにも負けず行って参りました。
 
サギソウ園から見える「松ケ谷池」ですが、
ここまで水位が低いのは初めてかも💦
  
やはり楚々と咲く純白の「サギソウ」、
いいですねぇ、心穏やかになれます。
しばし見惚れておりました


ではまた
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懐かしい絵が出てきた…

2024-08-20 10:05:12 | つれづれ思うまま
片づけをするとたまに手が止まる、そんな思い出。
もう1週間前のことになりました。
手伝ってくれた子どもたちもそれぞれの家庭に戻り、日常を過ごしていると思われる。
いろいろ思い出す間もなく次々と軽トラックに積みこまれて行きましたが、
この絵を見た時、そこに書かれている風景を見て、
これは上野の町の歴史や!と思ったので残しておこうと決めました。
別に額に入れて飾るわけでもないのですが、子育て賑やかなりし頃、
彼(長男)が高学年の時に西小学校のあの三階建ての鉄筋の校舎から市内を見て描いたもの。

そうそう、こんな風景だったなぁ


その校舎はワタシも小学校2年生から卒業まで過ごしたところ。
(一年生の時は木造の昔の建物を使っていたので…)
本町通りのあの場所に(元ふれあいプラザがニチイで、一軒置いて隣にジャスコでしたね)
あまりにも懐かしくて、つい…

ではまた
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伊賀国丁跡の近くの勘定塚古墳へ行ってみた…ちょっとマイナーな冒険

2024-08-18 01:26:04 | つれづれ思うまま
お盆も終わって、さて何を書こうとしていたんだっけ、と思い出していました。
そうそう、8月の月初めの3日・土曜日、阿波地区市民センターにて
大山田の古墳~服部川水系(旧山田郡)の古墳~」のお話を聞いてきました。
そのことを書き出して、あれやこれやのイベントなどが入り今頃になってしまいました。

8/3当日、用意された50席の椅子が足りないほどの盛況で、古墳大好きな人が多いのか、
講師の「三重県埋蔵文化財センター」の穂積裕昌(ホヅミヒロマサ)さんのファンが多いのか、
とても聞きやすく、分かりやすい解説で1時間半があっという間のお話しでした。
彼は島ヶ原出身でもあり、ご両親もやっぱり息子の楽しい話に興味があるらしく、
会場に来ておられました。こういう親子の在り方もいいなぁと思ったり(笑)。
  
ワタシが詳しく語れるほど古墳に詳しいわけではなく、
伊賀(名張も含めて)には古代といわれる時代から「古墳」の宝庫であった、
人がそこに住んでいたからこそ「古墳」が存在する、と。
川があって、そこに人が住み、やがて集落ができ、それをまとめる人が出現し、
その人が亡くなればそこには古墳ができ、やがて一族が弔われるようになり・・・
「水のある所」=「川」がやっぱり『ミソ』ってことやな、というお話に納得していました。
ホントに簡単な書き方で申し訳ないのだけれど、そういうことなんです。
その古墳が実に「大山田」には多いと。
講演のことはここまでで、実は・・・

せっかくいいお話を伺うことが出来たので、仲間と
「では、古墳の復習を兼ねて、あちこち行ってみるか!」ということに相成り、
先ず、近くなら「辻堂古墳」かということで、過去に尋ねているのでここでは田園風景だけです。


そして、ほかに「どこ行く?」
「ワタシ、国丁跡(外山地区)近くの『勘定塚古墳』って行ったことないなぁ」。
では、連れて行ってあげよう!ということで、なんて優しい仲間なんだ(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レッツゴー🚙 佐那具地区は外山
史蹟伊賀国丁跡」説明PDF
  
最近、少し整備され「柱」が建っています。
振り返れば、
 お茶の京都トレイン通過
※お断り、この国丁跡写真とお茶の京都トレインは2024/7/27に撮影したもの。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この「国丁跡」から近くの「佐那具駅」裏手の方に【勘定塚古墳】があるとか…
過去に行ったことのある友人たちとは言え、なかなか探し辛いところにありまして、
それでもなんとか、行きついたところが…
  

  

山の裾の方にあって、なかなか入口が見つからなかったのですが、

知人撮影の入口はココ。
しかしね、「7世紀の築造。1964(昭和39)年に当時の上野市指定史跡」ですよ、
何の案内版もなく、迷いつつ探さなければ行きつかないなんて、とても残念な気になります💦
もっと(静かに)注目されてもいいのになと…

ここでも振り返れば
  
遠くに「お茶の京都トレイン」でした、
なんだかオマケ付きの嬉しい古墳探索にこーふんしちゃいますね(笑)。

それでは次に、ここからさほど遠くないところに、
阿山地区馬場【御旅所古墳


※参考「伊賀上野観光協会/古代・古墳

伊賀の古墳時代が垣間見えた復習訪問でした、
たまにはこういう体験もいいかも…
ザっとした紹介になりましたが、今回短時間の間に行っただけでも3ヶ所、
県内最大の【御墓山古墳】だってすぐそこだったりします。

※今回行ったところ以外にも、
東条古墳群
沖打越古墳
浅子谷古墳群 などもあります。

伊賀って古墳の宝庫だなってあらためて感動しております。
ではまた

2024/8/19追記
 2024/8/5付毎日新聞より

2024/8/26追記
情報Youより「整備進む伊賀国丁跡 30年前に位置確定

2024/9/09追記
大山田歴史資料館で開催の「大山田の古墳」の展示を見てきました(2024/8/24のこと)
その資料から自分の覚書として
 
「伊賀の古墳について」

 
左) 車塚古墳について、右) 荒木車塚古墳について

 
左) 字音寺古墳について、右) 鳴塚古墳と鳳凰寺古墳群について

 
左) 大山田支盆地南縁群集墳、右) 辻堂古墳と中村古墳群


古墳から出土した「須恵器」の変遷、時代により形など変わっていきます。


350万年前の大山田村の風景




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お盆に帰省組の大片付け、墓参り、帰り道の遊水地にて

2024-08-15 00:20:45 | つれづれ思うまま
必ず一度は親元を離れるようにと言い聞かせ、
おかげでみんな一人暮らしを経験し、そのまま巣立ってくれました。
そのせいかどうかはわからないけれど、
三人✖18年分の生活雑貨諸々がずっと我が家に残っています。
かれこれ10数年、親はそれらのモノにまみれて生活しているわけで💦
我々のモノだって当然捨てられずに増える一方で💦

ここらでボチボチきょうだい揃ってやっつけようじゃないの!
と、やる気になってくれたおかげで、ワタシもなんだか振り回されておりました(笑)。

   
8/11・12日と本気モードで大汗かきつつフル稼働。
(ワタシは水分とアイスの補給係り)
本類は軽トラびっちり一台分、ユーカリへ。
翌日、あれもいらん、これも捨てるよ、で
結局軽トラで「さくらリサイクルセンター」5往復。
正味持ち込み総重量、占めて600㎏。
ビフォーアフターを撮っておけば良かったと思ったものの、
あまりにも恥ずかし過ぎてレポートなどできやしません💦💦

次回は冬にでも来てくれるのでしょうか、
開かずの押し入れやら、足も踏み入れられない屋根裏収納やらにたっぷり残ってます。
ここまでモノがなくなると2階の踊り場など共鳴するんですよ、ビックリです。
この間、猫ちゃんたちはあっちこっちウロウロしており、
私や僕はどこへ行けばいいの??状態でしたけどね…

怒涛の二日間を終え、やっと実家のお墓参りに西蓮寺。
やっぱりココに来ると、この景色。


そして夏は百日紅、服部土芳墓所や薬師堂の傍に
 
自由奔放に伸びる枝から「お城」を見るのも好き、


正面では仁王さん、蓮も散りぬる…
 

帰り道に「木興遊水地」を通り、
旧桶子神社碑が緑のモザイク模様の中にくっきり浮かぶ様を久々に…
   
桶子碑と遠くのお城のツーショット、見えるかなぁ…

北側に回れば、ここでは「大豆」


 
たわわに実りゆく稲、
さていつ頃収穫されるのだろうか、また美味しいお米ができますよきっと。


さぁ、モノが減って広くなったのは、ワタシが普段居るスペースではないので、
自分のまわりは結局自分でしなければならず、これがなかなか至難の業。
今でもモノが増える一方のスペースを見て、
これは当分ムリやね!と。
ワタシの居場所を造っておくれ~~と、心で叫んでおりました。

あれやこれやと工夫して「売る」方法もあるのでしょうが、
何せ3人が寄って一日作業するという事が奇跡に近い。
神奈川は川崎から、大阪は貝塚から、それぞれの家族に快く協力してもらえるおかげの大片付けです。
普段からちまちまとすればいいのでしょうが、
いや、やっぱりあなた達のモノは貴方たちで…これが「道」というものです。
出費を思うよりまず行動あるのみ!
仲良ききょうだいで良かったです

ではまた
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水遊び場を求めて…バーベキュー鈴鹿峠・高間みずべ公園など

2024-08-09 15:56:02 | つれづれ思うまま
思えば、ずい分と古い話になってしまって💦
2024/6/22と7/15と8/3のミックス報告です。

夏休み前に「水遊び場スポット」探しという名目と
「バーベキュー鈴鹿峠」へ所用があったのでその下見と本番。
なんやらかんやらと他のことをしてる間に、もうすぐ「お盆」になっちゃいます。
でもまぁ、お子さんたちは夏休みだし、酷暑続きだし、
海に行くには伊賀からはちょっと遠いし…
じゃ近場の水遊び場などいかがですか?みたいなことです(笑)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その前に近況、昨晩知人から届いた「お城のライトアップ」写真!


我が家のニャンも身の置き所がなく💦
麦酒の箱を枕にするハナ、夕方やっと外を眺める気になったクロ
 
なんだか「出てい行ったらヤケドするからね」と声をかけたくなります…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、ワタシ運転で、仲間を連れて「バーベキュー鈴鹿峠」へ行く用事ができました。
地図で調べれば場所はすぐにわかりましたが、ここへちょっと難所っぽく、
口コミなど読んでいると上下2車線ずつに分かれてるその上り線側から入るようで、
しかもなかなか分かり辛かった💦という声が多かったのです。
初めてのところなのでやっぱり不安が先に立つ。
これは下見は絶体欠かせないなと、安全に仲間を連れて行くには「下見」です。

どんなところだったかというと、
  
おっと、1回目、通り過ぎてしまいました💦
行き過ぎるという事はどういうことか、ご想像にお任せです。

なんとか駐車場に車を停めて施設内を見学。
 

 
なるほど、大きないけすがあって、
釣った鮎をその場で調理してもらって、その場で食べられるそんな感じですね。
ここまでは6/22の下見、帰りは「加太越え」ですね。
 
「加太駅」で街道図を見て、「神君加太越えなど」を思い出してました。

そして、本番の日、7/15三連休の最終日。
当然、家族連れが多く「いけすで釣り」、大いに楽しんでましたね🎣
  

屋内バーベキュー会場なので気にすることはなかったのですが、
丁度この日は東方面で発生した線状降水帯がこちらに迫ってきたようで、
  

 
楽しいバーベキューのひと時でしたが、一旦降り込んでこない真ん中まで待機。
「鮎」ちゃん、雷に驚いてジャンプしてましたよ
まっ、これも今となれば楽しい思い出。
釣りたての「鮎」料理、「塩焼き」「フライ」「から揚げ」「刺身」の鮎三昧。
もう一度食べに行きた~い
家族連れ、グループなどでぜひおススメの楽しい場所でしたよ。


今日の最後のご案内場所は、
甲賀市油日「高間みずべ公園」。
遠~~い昔、我が子を水遊びに連れて行った場所、
未だに健在で、幼子たちいっぱい来てたので嬉しかったです、
就学前までのお子さんたち大喜びだと思います。
  

遊歩道を歩いて「砂防ダム」堤体辺りから公園を見渡す、
「砂防ダム」は1995年に出来ているようです。
  

油日の森の遊歩道に夾竹桃か、研修棟もあります。
  

高間みずべ公園」情報です。

 
あぶらひの森造ってます。琵琶湖の源流域ですからね…

さて、ぼちぼち「古墳のおはなし」に行こうかな…
ではまた
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「お城のまわり」ライトアップ、8/10(土) & 8/11(日)です。

2024-08-02 00:11:26 | つれづれ思うまま
観光三重さんのHPで、素敵な記事になっていますのでご一読を…

ライトアップイベント「お城のまわりです。

今年で9年目らしいのですが、正直ワタシは去年が初めてだった💦
知人撮影、ワタシもこんなに綺麗に撮ってみたいなぁ。
リベンジに行こうかな…誰か帰省組はいるんだろうか?

過去ログより/「お城のまわり」で灯り三昧
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