伊賀忍者特殊軍団阿修羅くノ一未央、これが最後…

2024-12-02 20:45:58 | つれづれ思うまま
昨日、動画で見ていただいたのですが、写真も撮りましたので、
これが最後のご報告ということで…
仲間たちと「忍者伝承館」前に集合して青い軍団で見納めしてました(笑)。
その時未央さんと一緒に


「忍者ショー」受付には長蛇の列、しかも最終公演は無料とのことでした。
 

いつもなら気を静め、精神力を高める時に印を結ぶ「九字法」から入りますが、
本日(11/30)は、流石に浮田頭領のご挨拶から。
「ホントに最後の公演です、思いっきり写真も動画も撮ってください。
一番修行の厳しいことで有名な我が『阿修羅チーム』で15年間よく耐えた。
鍛錬のおかげと本人の努力で『世界のくノ一』に育ちました。
しかし、事故の怪我などでボチボチ限界だったのは私(浮田頭領)がイチバン良く分かっていた。
だからこちらから『引退勧告』を伝えようと思ったその矢先に『寿退社』ということに💗
あたたかく送ってやりたいと、安堵の気持ちもある、もうこうなったら『親心』です」と。
 
超満員のお客さま、
会場の周りは未央さんの栄光の伝言板だらけ。
ショーも始まり、メンバーともども迫真の演技が続きます。
阿修羅のショーは「本物の武器」を使うので迫力が違うし、
練習中には怪我もある、それを乗り越えての技ばかりです。

  
ショーも始まったその途中、新市長と観光協会会長登場(もうちょっと早く…来ないと💦)

「傘回し」
  

「吹き矢」(動画配信済)
  

「鉤縄術」、説明と演技
  

約25分間のショーは終わった…


さぁ、お別れパフォーマンスです。
頭領からは未央さんの写真入りケーキ
 
戻って来るなよ…と。

   

未央さんに挨拶をと、涙々でお世話になりました…


最後に「おめでとう!三唱」で締めくくり
 

涙あり、笑いあり、技あり、素敵なお別れ会になりました。
ありがとう~~

2024/12/03 追記
 毎日記事より
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2 コメント

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未央さんお疲れさま (moni5187)
2024-12-04 20:22:20
「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢うまでの遠い約束」と薬師丸ひろ子が歌ったように、未央さんには、落ち着かれましたら、現役復帰は叶わないまでも、親戚縁者友人知人おおぜいで伊賀上野(まち)に観光に来られてはと思います。
さよならの中国語は「再見」で、アン・ルイスの Good Bye My Love の「この街角で」の部分を「我的愛人再見」に意訳してテレサ・テンにカバーしてもらったのが、なかにし礼。生まれ故郷で見た赤い月を思い起こして作詞したらしいのです。

額縁の伊賀号ですが、当方は「さよなら伊賀号」を壁に貼っていました。かつて駅周辺には関係者も多く住まわれ半ば常識ではと思います。一昨日の試運転は15:35折返しでもう一回走って秘密の場所で撮ってあります。名古屋からの実証運行の当日の伊賀上野(駅)は、水たたえたる小学校の同窓会になるのは見え見えで、恥ずかしいので大きめのアレをして行くかもです(^^;)。

とうわけで、当方のブログ久しぶりに現在のその話題で更新しました。
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はい、おっしゃる通り (kuro&hana)
2024-12-05 00:03:24
>moni5187 さんへ
>未央さんお疲れさま... への返信
向こうで「忍者塾」でも開いてもらって、伊賀と恵那との交流を待つことにしましょうかね(笑)。

年が明ければ「かすが」の話題で盛り上がるんでしょうね、楽しみに待つことにします。
列車のことはあまり詳しくないのですが、幼き頃はほど鈍行ばかり乗っていた記憶。(伊賀上野⇔亀山ばかりだったので)
「かすが」の記憶はあまりなく、やっぱり寝台列車「大和」で東京までという記憶の方が強烈かな💦

時代は変わり復活するその「かすが」とやらに乗って、名古屋まで何分で行けるのか…
知人と相談して「名古屋往復」の楽しい旅に挑戦してみようかな。うん、誘ってみよう。

moni5187さま、また教えてくださいね✋
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