美旗のひまわりと、「美波多神社」そして「新田水路」探検へ。その2

2024-07-18 16:19:28 | つれづれ思うまま
青山出合辺りの「前深瀬川」からの水がここを流れていると教えられ、
えぇっ、そんなんけっこう遠いじゃないですか、
江戸時代にそんな一大工事をしてたんですか?
重機などのない時代、果てのない工事であったことはわかりますが、
正直想像不可能に近い。ともかく一部でも見てみたい…
 
水路から西側、東側。

ここ「みはたメイハンランド」のある場所、実は『毘沙門塚古墳』(リンクは「美旗古墳群」)のあるところ。
多分上空から見たらそれなりによくわかるのでしょうが、
目の前の古墳を見て、まわりには「堀」があるんだなと…ということはわかりました。
解説を読めば
≪5世紀中頃築造、前方後円墳(造りだしあり)、竪穴式石室≫と。
 

同じくこの場所には
美波多神社』があります。中には「加納神社」もあるとか…
さて加納さんてだれ?
   
※≪加納直盛(ナオタダ)公
​慶長十五年(1610) 伊賀上野生まれ
藤堂藩に仕え、伊賀加判奉行職
当時、水の便悪く荒野原であった新田地区の開発に尽力し、用水家としても名を残す。
延寶元年(1673) 六十三歳で病死
現・伊賀市上野寺町の大超寺に墓所がある。≫
(お参りに行かねば…
また上野城下町絵図にもちゃんとお屋敷がございました。そして、
加納藤左ヱ門直盛)さま、なんと加判奉行として「伊賀者」の創設者だったとは…

   
中)これは『かけひ(樋)』というもの。詳しくは美波多神社/御案内ページで。
※新田水路と川が交差するところに使われたものだそう。

お参りも終わって、もう一度
「美旗古墳群ハイキングマップ」を眺め、
 
青山方面を見るも、曇天の中で「尼ヶ岳・大洞山」を探すのは難しいなぁ💦
 
と思っていたら、15時16分まさかのアーバンライナー通過、見えるかな?
撮り鉄ウーマンではないのでまったく上手く撮れませんが、
ここに一日いたらきっとたまにはいい写真が撮れるのではないかと思ったり(笑)。
電車が目的で来たわけではない、
たまたまの副産物が電車 だったというオマケみたいなものです。

一旦、ここで中休みを、というのも、
加納藤左ヱ門直盛・直堅父子を調べていたら、
いろいろ知らないことがたくさん出てきたので、ちょっと整理する必要があるなと…
中途半端でごめんなさいですが、
各種資料で誤魔化すワタシ・・・
※「美濃波多新田開発のあゆみ」(名張市史より)

※「広報なばり/2013/8月号」転記↓
 

※「美旗の新田開発」(みのりみのるプロジェクトより)

※「名張の沃野(よくや)をうるおす新田水路」(あおやま風土記より)

※「美旗地区の初瀬街道と新田水路」(なばり四季のブログより/教えてガイドさん)

ではつづく、暑さで頭が混乱してきたので中休みです💦

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 美旗(名張市ミハタ)でひまわり、... | トップ | 美旗で「新田水路」探検。その3 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
水路の全経路 (moni5187)
2024-07-19 18:30:18
高尾出合の取水口から、新田水路の全経路が描かれた地図を探したのですが、
Kunioの世界の切手紹介と海外写真集(切手・旅行写真集と雑多なコレクション)様のサイト
>海外・国内写真集>日本>国内写真トップ>三重>名張トップ>美旗・桔梗が丘地区>美旗 美旗市民センター
https://kunio.raindrop.jp/nabari70.htm
によりますと、センター内の「新田水路」の展示説明の地図に赤で描かれているようです。
>オーナーを拝見させていただきますと、名張の情報が多いのが分かりました。
返信する
とても勉強になります (kuro&hana)
2024-07-19 21:28:37
>moni5187 さんへ
>水路の全経路... への返信
ご紹介ありがとうございます。
ワタシはもう写真だけでいいかな、むしろ写真もいらないくらい、詳しい情報で有難いです。

でもまぁせっかく行ったことだし、藤堂藩の加納藤左ヱ門さんのことも気になるし…
各種情報をお借りしながら続々編を書きますね✋

moni5187様、いつも大切な情報を教えていただき感謝いたします。
返信する

コメントを投稿

つれづれ思うまま」カテゴリの最新記事