伊賀国丁跡の近くの勘定塚古墳へ行ってみた…ちょっとマイナーな冒険

2024-08-18 01:26:04 | つれづれ思うまま
お盆も終わって、さて何を書こうとしていたんだっけ、と思い出していました。
そうそう、8月の月初めの3日・土曜日、阿波地区市民センターにて
大山田の古墳~服部川水系(旧山田郡)の古墳~」のお話を聞いてきました。
そのことを書き出して、あれやこれやのイベントなどが入り今頃になってしまいました。

8/3当日、用意された50席の椅子が足りないほどの盛況で、古墳大好きな人が多いのか、
講師の「三重県埋蔵文化財センター」の穂積裕昌(ホヅミヒロマサ)さんのファンが多いのか、
とても聞きやすく、分かりやすい解説で1時間半があっという間のお話しでした。
彼は島ヶ原出身でもあり、ご両親もやっぱり息子の楽しい話に興味があるらしく、
会場に来ておられました。こういう親子の在り方もいいなぁと思ったり(笑)。
  
ワタシが詳しく語れるほど古墳に詳しいわけではなく、
伊賀(名張も含めて)には古代といわれる時代から「古墳」の宝庫であった、
人がそこに住んでいたからこそ「古墳」が存在する、と。
川があって、そこに人が住み、やがて集落ができ、それをまとめる人が出現し、
その人が亡くなればそこには古墳ができ、やがて一族が弔われるようになり・・・
「水のある所」=「川」がやっぱり『ミソ』ってことやな、というお話に納得していました。
ホントに簡単な書き方で申し訳ないのだけれど、そういうことなんです。
その古墳が実に「大山田」には多いと。
講演のことはここまでで、実は・・・

せっかくいいお話を伺うことが出来たので、仲間と
「では、古墳の復習を兼ねて、あちこち行ってみるか!」ということに相成り、
先ず、近くなら「辻堂古墳」かということで、過去に尋ねているのでここでは田園風景だけです。


そして、ほかに「どこ行く?」
「ワタシ、国丁跡(外山地区)近くの『勘定塚古墳』って行ったことないなぁ」。
では、連れて行ってあげよう!ということで、なんて優しい仲間なんだ(笑)。

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レッツゴー🚙 佐那具地区は外山
史蹟伊賀国丁跡」説明PDF
  
最近、少し整備され「柱」が建っています。
振り返れば、
 お茶の京都トレイン通過
※お断り、この国丁跡写真とお茶の京都トレインは2024/7/27に撮影したもの。

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この「国丁跡」から近くの「佐那具駅」裏手の方に【勘定塚古墳】があるとか…
過去に行ったことのある友人たちとは言え、なかなか探し辛いところにありまして、
それでもなんとか、行きついたところが…
  

  

山の裾の方にあって、なかなか入口が見つからなかったのですが、

知人撮影の入口はココ。
しかしね、「7世紀の築造。1964(昭和39)年に当時の上野市指定史跡」ですよ、
何の案内版もなく、迷いつつ探さなければ行きつかないなんて、とても残念な気になります💦
もっと(静かに)注目されてもいいのになと…

ここでも振り返れば
  
遠くに「お茶の京都トレイン」でした、
なんだかオマケ付きの嬉しい古墳探索にこーふんしちゃいますね(笑)。

それでは次に、ここからさほど遠くないところに、
阿山地区馬場【御旅所古墳


※参考「伊賀上野観光協会/古代・古墳

伊賀の古墳時代が垣間見えた復習訪問でした、
たまにはこういう体験もいいかも…
ザっとした紹介になりましたが、今回短時間の間に行っただけでも3ヶ所、
県内最大の【御墓山古墳】だってすぐそこだったりします。

※今回行ったところ以外にも、
東条古墳群
沖打越古墳
浅子谷古墳群 などもあります。

伊賀って古墳の宝庫だなってあらためて感動しております。
ではまた

2024/8/19追記
 2024/8/5付毎日新聞より

2024/8/26追記
情報Youより「整備進む伊賀国丁跡 30年前に位置確定

2024/9/09追記
大山田歴史資料館で開催の「大山田の古墳」の展示を見てきました(2024/8/24のこと)
その資料から自分の覚書として
 
「伊賀の古墳について」

 
左) 車塚古墳について、右) 荒木車塚古墳について

 
左) 字音寺古墳について、右) 鳴塚古墳と鳳凰寺古墳群について

 
左) 大山田支盆地南縁群集墳、右) 辻堂古墳と中村古墳群


古墳から出土した「須恵器」の変遷、時代により形など変わっていきます。


350万年前の大山田村の風景





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2 コメント

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灯台下暗しな古墳 (moni5187)
2024-08-19 20:17:50
の話題をありがとうございます。御墓山古墳には小学校の校外学習か遠足で行きました。浅子谷古墳群の下流の浅子川の「浅子」の由来を聞いたのは、その時の担任の先生だったと思います。小学校から伊奈製陶の裏に向かう道と、諏訪街道の交差にバス停があって、北東の角に〇〇と呼ばれる、お団子頭で眼鏡に着物姿のおばあさんがやってる駄菓子屋がありました。帰り道に、くじ引をしたり、ラムネを飲んだり、ベビーラーメンを食べたり、メンコを買ったりしたのを覚えています。その一つ南の交差の東向きの路地に「浅子井戸跡」が現存していて、インスタグラムに上がっていました。ストリートビュウでも見れると思います。
https://www.instagram.com/p/BoL4K9pH3FS/
返信する
駄菓子屋風景も (kuro&hana)
2024-08-19 22:50:26
>moni5187 さんへ
>灯台下暗しな古墳... への返信
古き良き時代の思い出。
こうやって子どもたちの集う場所があったんですよね。
文房具屋さんも通学路にはたくさんありました。
それが今では一軒も残っていない残念な西小校区になりました。(大きなお店は別です)

そうそう、古墳の話でしたが、穂積先生の話ってほんとに楽しい、いつかチャンスがあったら是非。

moni5187様、子どもの頃の楽しいお話いつも感心して読ませてもらってます。
楽しい思い出だから覚えているのか、感性で覚えているのか、どちらにせよいつも羨ましく思っています。
ワタシの子ども時代って何だったんだろう…
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