お盆も終わって、さて何を書こうとしていたんだっけ、と思い出していました。
そうそう、8月の月初めの3日・土曜日、阿波地区市民センターにて
「大山田の古墳~服部川水系(旧山田郡)の古墳~」のお話を聞いてきました。
そのことを書き出して、あれやこれやのイベントなどが入り今頃になってしまいました。
8/3当日、用意された50席の椅子が足りないほどの盛況で、古墳大好きな人が多いのか、
講師の「三重県埋蔵文化財センター」の穂積裕昌(ホヅミヒロマサ)さんのファンが多いのか、
とても聞きやすく、分かりやすい解説で1時間半があっという間のお話しでした。
彼は島ヶ原出身でもあり、ご両親もやっぱり息子の楽しい話に興味があるらしく、
会場に来ておられました。こういう親子の在り方もいいなぁと思ったり(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/cd/6be6c09cc2e09572a830fc13abdb9649_s.jpg)
ワタシが詳しく語れるほど古墳に詳しいわけではなく、
伊賀(名張も含めて)には古代といわれる時代から「古墳」の宝庫であった、
人がそこに住んでいたからこそ「古墳」が存在する、と。
川があって、そこに人が住み、やがて集落ができ、それをまとめる人が出現し、
その人が亡くなればそこには古墳ができ、やがて一族が弔われるようになり・・・
「水のある所」=「川」がやっぱり『ミソ』ってことやな、というお話に納得していました。
ホントに簡単な書き方で申し訳ないのだけれど、そういうことなんです。
その古墳が実に「大山田」には多いと。
講演のことはここまでで、実は・・・
せっかくいいお話を伺うことが出来たので、仲間と
「では、古墳の復習を兼ねて、あちこち行ってみるか!」ということに相成り、
先ず、近くなら「辻堂古墳」かということで、過去に尋ねているのでここでは田園風景だけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/b1/ce36304af1e0e0be491545f4a6b64277_s.jpg)
そして、ほかに「どこ行く?」
「ワタシ、国丁跡(外山地区)近くの『勘定塚古墳』って行ったことないなぁ」。
では、連れて行ってあげよう!ということで、なんて優しい仲間なんだ(笑)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レッツゴー🚙 佐那具地区は外山
「史蹟伊賀国丁跡」説明PDF
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/07/236bf309e3b77acb6e0d2c4e95ced2e1_s.jpg)
最近、少し整備され「柱」が建っています。
振り返れば、
お茶の京都トレイン通過
※お断り、この国丁跡写真とお茶の京都トレインは2024/7/27に撮影したもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「国丁跡」から近くの「佐那具駅」裏手の方に【勘定塚古墳】があるとか…
過去に行ったことのある友人たちとは言え、なかなか探し辛いところにありまして、
それでもなんとか、行きついたところが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/e3/deefb6a4094fd7780b267639f5dee469_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/7b/e805bad65cec2e10ffc8713ece418c4b_s.jpg)
山の裾の方にあって、なかなか入口が見つからなかったのですが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/9c/c49dacd584b26fcdc9c185f44979f724_s.jpg)
知人撮影の入口はココ。
しかしね、「7世紀の築造。1964(昭和39)年に当時の上野市指定史跡」ですよ、
何の案内版もなく、迷いつつ探さなければ行きつかないなんて、とても残念な気になります💦
もっと(静かに)注目されてもいいのになと…
ここでも振り返れば
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/f7/351a32c51de63862e2b60ddd9a57ff77_s.jpg)
遠くに「お茶の京都トレイン」でした、
なんだかオマケ付きの嬉しい古墳探索にこーふんしちゃいますね(笑)。
それでは次に、ここからさほど遠くないところに、
阿山地区馬場【御旅所古墳】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/cc/2dc25ab71936bce2dd2accfd8159d8a1_s.jpg)
※参考「伊賀上野観光協会/古代・古墳」
伊賀の古墳時代が垣間見えた復習訪問でした、
たまにはこういう体験もいいかも…
ザっとした紹介になりましたが、今回短時間の間に行っただけでも3ヶ所、
県内最大の【御墓山古墳】だってすぐそこだったりします。
※今回行ったところ以外にも、
「東条古墳群」
「沖打越古墳」
「浅子谷古墳群」 などもあります。
伊賀って古墳の宝庫だなってあらためて感動しております。
ではまた
2024/8/19追記
2024/8/5付毎日新聞より
2024/8/26追記
情報Youより「整備進む伊賀国丁跡 30年前に位置確定」
2024/9/09追記
大山田歴史資料館で開催の「大山田の古墳」の展示を見てきました(2024/8/24のこと)
その資料から自分の覚書として
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/1e/d77cdf0c71fc3d00c80aa12fd772830b_s.jpg)
「伊賀の古墳について」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/0f/d4268b13a1d5429df2baec031d1b59f6_s.jpg)
左) 車塚古墳について、右) 荒木車塚古墳について
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/dd/d0b744ec69b900e91b9eb93bd59011fc_s.jpg)
左) 字音寺古墳について、右) 鳴塚古墳と鳳凰寺古墳群について
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/d5/6168b3f1dd8618e5fda37de1ebb1bab5_s.jpg)
左) 大山田支盆地南縁群集墳、右) 辻堂古墳と中村古墳群
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/d8/1b4644c1e761d1709571af9b86d54988_s.jpg)
古墳から出土した「須恵器」の変遷、時代により形など変わっていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0c/27/b13662d0187b99c8468853c8f96f828a_s.jpg)
350万年前の大山田村の風景
そうそう、8月の月初めの3日・土曜日、阿波地区市民センターにて
「大山田の古墳~服部川水系(旧山田郡)の古墳~」のお話を聞いてきました。
そのことを書き出して、あれやこれやのイベントなどが入り今頃になってしまいました。
8/3当日、用意された50席の椅子が足りないほどの盛況で、古墳大好きな人が多いのか、
講師の「三重県埋蔵文化財センター」の穂積裕昌(ホヅミヒロマサ)さんのファンが多いのか、
とても聞きやすく、分かりやすい解説で1時間半があっという間のお話しでした。
彼は島ヶ原出身でもあり、ご両親もやっぱり息子の楽しい話に興味があるらしく、
会場に来ておられました。こういう親子の在り方もいいなぁと思ったり(笑)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/77/d9/0fe47def966c3f47ea5fcdcb216f6c3f_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2d/53/ab33e907416f23f43dcd537d048668d0_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1d/cd/6be6c09cc2e09572a830fc13abdb9649_s.jpg)
ワタシが詳しく語れるほど古墳に詳しいわけではなく、
伊賀(名張も含めて)には古代といわれる時代から「古墳」の宝庫であった、
人がそこに住んでいたからこそ「古墳」が存在する、と。
川があって、そこに人が住み、やがて集落ができ、それをまとめる人が出現し、
その人が亡くなればそこには古墳ができ、やがて一族が弔われるようになり・・・
「水のある所」=「川」がやっぱり『ミソ』ってことやな、というお話に納得していました。
ホントに簡単な書き方で申し訳ないのだけれど、そういうことなんです。
その古墳が実に「大山田」には多いと。
講演のことはここまでで、実は・・・
せっかくいいお話を伺うことが出来たので、仲間と
「では、古墳の復習を兼ねて、あちこち行ってみるか!」ということに相成り、
先ず、近くなら「辻堂古墳」かということで、過去に尋ねているのでここでは田園風景だけです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/b1/ce36304af1e0e0be491545f4a6b64277_s.jpg)
そして、ほかに「どこ行く?」
「ワタシ、国丁跡(外山地区)近くの『勘定塚古墳』って行ったことないなぁ」。
では、連れて行ってあげよう!ということで、なんて優しい仲間なんだ(笑)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
レッツゴー🚙 佐那具地区は外山
「史蹟伊賀国丁跡」説明PDF
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/75/8b9eefce6051286c490d126b864647fa_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/13/b5/8298ec8dca4076bd1c1057afb37f478c_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0a/07/236bf309e3b77acb6e0d2c4e95ced2e1_s.jpg)
最近、少し整備され「柱」が建っています。
振り返れば、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/76/5c/87155d3d94de5c4b73d1d168ca8cff98_s.jpg)
※お断り、この国丁跡写真とお茶の京都トレインは2024/7/27に撮影したもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この「国丁跡」から近くの「佐那具駅」裏手の方に【勘定塚古墳】があるとか…
過去に行ったことのある友人たちとは言え、なかなか探し辛いところにありまして、
それでもなんとか、行きついたところが…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0f/d3/a1588e5258c32805a09a7dcacf80269a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/23/b9/7d150c988db4ec8eb89623b927f3824e_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/59/e3/deefb6a4094fd7780b267639f5dee469_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/97/d2e8d2fc88c33e1ccb7efcf54f8e37b8_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/96/797bcf771134dbcb1a93ad7a2b5aa699_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/64/7b/e805bad65cec2e10ffc8713ece418c4b_s.jpg)
山の裾の方にあって、なかなか入口が見つからなかったのですが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/9c/c49dacd584b26fcdc9c185f44979f724_s.jpg)
知人撮影の入口はココ。
しかしね、「7世紀の築造。1964(昭和39)年に当時の上野市指定史跡」ですよ、
何の案内版もなく、迷いつつ探さなければ行きつかないなんて、とても残念な気になります💦
もっと(静かに)注目されてもいいのになと…
ここでも振り返れば
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7f/2f/29c28622e45fffdf48c035894596e389_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3e/2b/cc36e86a736ee03de54835ee08d8aa07_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/f7/351a32c51de63862e2b60ddd9a57ff77_s.jpg)
遠くに「お茶の京都トレイン」でした、
なんだかオマケ付きの嬉しい古墳探索にこーふんしちゃいますね(笑)。
それでは次に、ここからさほど遠くないところに、
阿山地区馬場【御旅所古墳】
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/cc/2dc25ab71936bce2dd2accfd8159d8a1_s.jpg)
※参考「伊賀上野観光協会/古代・古墳」
伊賀の古墳時代が垣間見えた復習訪問でした、
たまにはこういう体験もいいかも…
ザっとした紹介になりましたが、今回短時間の間に行っただけでも3ヶ所、
県内最大の【御墓山古墳】だってすぐそこだったりします。
※今回行ったところ以外にも、
「東条古墳群」
「沖打越古墳」
「浅子谷古墳群」 などもあります。
伊賀って古墳の宝庫だなってあらためて感動しております。
ではまた
2024/8/19追記
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2e/a8/a86e3987489ed13031f72aed97f709aa_s.jpg)
2024/8/26追記
情報Youより「整備進む伊賀国丁跡 30年前に位置確定」
2024/9/09追記
大山田歴史資料館で開催の「大山田の古墳」の展示を見てきました(2024/8/24のこと)
その資料から自分の覚書として
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6d/e7/a43a4424118d2f269183d0b30b638b49_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/34/1e/d77cdf0c71fc3d00c80aa12fd772830b_s.jpg)
「伊賀の古墳について」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/7e/4d2246975d1c5a3b046512c85ccb2b85_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/08/0f/d4268b13a1d5429df2baec031d1b59f6_s.jpg)
左) 車塚古墳について、右) 荒木車塚古墳について
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1b/75/79e7444f7826a134f242f8f56fc2d267_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/39/dd/d0b744ec69b900e91b9eb93bd59011fc_s.jpg)
左) 字音寺古墳について、右) 鳴塚古墳と鳳凰寺古墳群について
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/73/d1/7cdccd5d65b2bb130b63ffb0bed111f4_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/06/d5/6168b3f1dd8618e5fda37de1ebb1bab5_s.jpg)
左) 大山田支盆地南縁群集墳、右) 辻堂古墳と中村古墳群
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/72/d8/1b4644c1e761d1709571af9b86d54988_s.jpg)
古墳から出土した「須恵器」の変遷、時代により形など変わっていきます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/0c/27/b13662d0187b99c8468853c8f96f828a_s.jpg)
350万年前の大山田村の風景
https://www.instagram.com/p/BoL4K9pH3FS/
>灯台下暗しな古墳... への返信
古き良き時代の思い出。
こうやって子どもたちの集う場所があったんですよね。
文房具屋さんも通学路にはたくさんありました。
それが今では一軒も残っていない残念な西小校区になりました。(大きなお店は別です)
そうそう、古墳の話でしたが、穂積先生の話ってほんとに楽しい、いつかチャンスがあったら是非。
moni5187様、子どもの頃の楽しいお話いつも感心して読ませてもらってます。
楽しい思い出だから覚えているのか、感性で覚えているのか、どちらにせよいつも羨ましく思っています。
ワタシの子ども時代って何だったんだろう…