家康が堺から三河迄逃げ帰るといういわゆる「神君、伊賀甲賀越え」の折、
立ち寄ったとされる山城です。
詳しい内容はコチラで→「小川城跡」(滋賀県文化財保護課/福西貴彦さんの説明です)
ワタシがこういう山に登るのは、やっぱり頂上の景色を優先してしまいます。
(多くの情報があって、概ね何を見ても山上からの眺めは良きものらしいので)
本当に家康さんが来たかどうかなんてその時代に生きていないので、深く追及はしません。
でも説明を読めば、確かにその時代のロマンみたいなものを感じるし、
本当なら家康さんもここで少しはホッとしたのではないかしらと…
同じような思いを感じたくて登りかけましたが、うんまぁ今ほど管理されていない時代だったら、
ほんとに「どうする?家康」気分でしょうね(笑)。
では、その山上までの道程を~~出発は11時54分。
(再掲)

ほぼヘアピンカーブ!

山からの源流に沿って上る…
案内版はとても親切、ここで上方を見ると、明るく開けて見えるが、
まだまだどうも、ココから先は激坂か!?
万が一🚙で上ってきても、ココら辺りの広場が限界と思われる…

倒木横たわる風景に戦国時代の幻を見たような…
激坂頑張ること数分、あとは尾根道の整った杉林を両脇に見て、

少し先に、明るく樹木のトンネルのような景色、

山城の入口辺り到着、12時15分ころ、頑張ること約20分強、休憩なし。
モクモクと登ればなんとかなる!
いよいよ「小川城跡」潜入開始は…次回に。
心はワクワク、止まりません。ではまた
立ち寄ったとされる山城です。
詳しい内容はコチラで→「小川城跡」(滋賀県文化財保護課/福西貴彦さんの説明です)
ワタシがこういう山に登るのは、やっぱり頂上の景色を優先してしまいます。
(多くの情報があって、概ね何を見ても山上からの眺めは良きものらしいので)
本当に家康さんが来たかどうかなんてその時代に生きていないので、深く追及はしません。
でも説明を読めば、確かにその時代のロマンみたいなものを感じるし、
本当なら家康さんもここで少しはホッとしたのではないかしらと…
同じような思いを感じたくて登りかけましたが、うんまぁ今ほど管理されていない時代だったら、
ほんとに「どうする?家康」気分でしょうね(笑)。
では、その山上までの道程を~~出発は11時54分。




ほぼヘアピンカーブ!



山からの源流に沿って上る…
案内版はとても親切、ここで上方を見ると、明るく開けて見えるが、
まだまだどうも、ココから先は激坂か!?
万が一🚙で上ってきても、ココら辺りの広場が限界と思われる…




倒木横たわる風景に戦国時代の幻を見たような…
激坂頑張ること数分、あとは尾根道の整った杉林を両脇に見て、


少し先に、明るく樹木のトンネルのような景色、


山城の入口辺り到着、12時15分ころ、頑張ること約20分強、休憩なし。
モクモクと登ればなんとかなる!
いよいよ「小川城跡」潜入開始は…次回に。
心はワクワク、止まりません。ではまた
所詮バーチャルなので、実際に登られたとは羨ましい限りです。興味深い記事をありがとうございます。
四條畷から三河に向かったとされる家康公ですが、当方は、その昔、寝屋川から360の軽で、四條畷、清滝越え、加茂、和束、朝宮、小川、多羅尾、御斎峠で帰った事があります。大阪から御斎峠経由での伊賀入りは、引き返すのとは異なる感激がありました。ひたすら163号を走れば良いのに、信楽に寄り道したのは曽祖母が小川の生まれだと聞いていたからです。
さらに昭和の晩年になって、朝宮茶の栽培に失敗して伊賀上野(駅)前に出てきたと聞きました。当方が甲伊賀友好と伊甲賀親善にこだわるのは、その為だったりします。信楽方面から上野方面に新天地を求めた方って、他にも結構いるような気がします。伊賀上野(まち)の友人のところも、そうとのことでしたし。
>小川城跡... への返信
寝屋川から山を越え何を越え、最終御斎峠越え💦
今ほどの道ではなく獣道が舗装されたような道ではなかったかと、お察しいたします。
神君の頃を思うとまだ、マシだったのでしょうね(笑)。
茶畑巡りが出来そうなコースですね。
親善友好民間大使としてまだまだこだわってくださいね。
さて、冬の山城って形がよくわかって良き眺めでした、また続き報告しますね。
moni5187さま、貴重な体験談コメントありがとうございます。