一昨日、調べものに慌てて伊賀上野城へ行きましたが、
その道中「堀の道」を通りました。
そこで、出会ったコ
アゲハ蝶、カラタチの上を飛ぶ。
(東側と西側のカラタチは辛うじて残っています)
「堀の水」は湧き水なので、なくなることはないのですが、
それでも雨が少ないとやっぱり「堀の水」まで少なくなります。
ちょっと比較のために今年の冬2月の堀の水位…
3枚目は上野高校の裏に藤堂藩時代の「武器庫」が見えますが…
そして~~今(2024/07/04)、なんだか久しぶりに並々としてる。
水際に下りてみたら(良い子はマネをしてはいけない)…なんと
「白い鯉」さん、見えるかな?
もう少し東側に行くと堀の水を調整するための排水口があるのですが、
そこにも何やら赤く見えるものが…
この堀には「紅白の鯉」という主がいたのですね、びっくり。
さて、その先今度は「空堀」ですが、そこに不規則な石段がある。
そこでふと「空堀」側に目をやると、なんと爽やかな色をした紫陽花が見えました。
北の不規則石段を上がるとココに出る、
少し前まで汚れていた解説版ですが、やっとちゃんと読めるように整えられ、
なるほどこういうことだったのね…と納得。
さぁ登城しましょうか、
この「白鳳城(正式名は伊賀文化産業城)」、昭和10年に建てられたお城で、
藤堂高虎が造った石垣の上に木造で建てられていますが、
もし高虎の時代に五層の天守閣が建っていたとして…(完成目前に暴風で倒壊したので)
昔はこの石段など設計図?にはなかったのですが、
お城が建っていたとして、さてどうやって登城するのか?
じっくり考えていただくとして…
これは入口の「扁額」
では三層目に上って、周りを見渡すことにします。
西北側を見ていたら、遠くでガッタンゴットンと
見えるでしょうか?「伊賀鉄」」です、
お城から電車を撮れるとは思っていなかったので、一人悦に入っておりました(笑)。
北側
西南方面
南側の城下町
東方面
どこをどう見ても山・山・山、
どこをどう越えようとしても険しい山越えであることに違いはないなぁと、
「越えて 溢れて 外に出ん」って歌っていたなぁと、
改めて思うわけです。
最近、伊賀國は元気があるのかないのかわからなくなってきました、
お~い、戻って来いよ~~と心で叫ぶ。
久しぶりに四方(よも)を見渡してみました。
ではまた
その道中「堀の道」を通りました。
そこで、出会ったコ
アゲハ蝶、カラタチの上を飛ぶ。
(東側と西側のカラタチは辛うじて残っています)
「堀の水」は湧き水なので、なくなることはないのですが、
それでも雨が少ないとやっぱり「堀の水」まで少なくなります。
ちょっと比較のために今年の冬2月の堀の水位…
3枚目は上野高校の裏に藤堂藩時代の「武器庫」が見えますが…
そして~~今(2024/07/04)、なんだか久しぶりに並々としてる。
水際に下りてみたら(良い子はマネをしてはいけない)…なんと
「白い鯉」さん、見えるかな?
もう少し東側に行くと堀の水を調整するための排水口があるのですが、
そこにも何やら赤く見えるものが…
この堀には「紅白の鯉」という主がいたのですね、びっくり。
さて、その先今度は「空堀」ですが、そこに不規則な石段がある。
そこでふと「空堀」側に目をやると、なんと爽やかな色をした紫陽花が見えました。
北の不規則石段を上がるとココに出る、
少し前まで汚れていた解説版ですが、やっとちゃんと読めるように整えられ、
なるほどこういうことだったのね…と納得。
さぁ登城しましょうか、
この「白鳳城(正式名は伊賀文化産業城)」、昭和10年に建てられたお城で、
藤堂高虎が造った石垣の上に木造で建てられていますが、
もし高虎の時代に五層の天守閣が建っていたとして…(完成目前に暴風で倒壊したので)
昔はこの石段など設計図?にはなかったのですが、
お城が建っていたとして、さてどうやって登城するのか?
じっくり考えていただくとして…
これは入口の「扁額」
では三層目に上って、周りを見渡すことにします。
西北側を見ていたら、遠くでガッタンゴットンと
見えるでしょうか?「伊賀鉄」」です、
お城から電車を撮れるとは思っていなかったので、一人悦に入っておりました(笑)。
北側
西南方面
南側の城下町
東方面
どこをどう見ても山・山・山、
どこをどう越えようとしても険しい山越えであることに違いはないなぁと、
「越えて 溢れて 外に出ん」って歌っていたなぁと、
改めて思うわけです。
最近、伊賀國は元気があるのかないのかわからなくなってきました、
お~い、戻って来いよ~~と心で叫ぶ。
久しぶりに四方(よも)を見渡してみました。
ではまた