大震災から20年を迎えた神戸の街は、早朝から祈りと新たな涙に包まれていました。
震災の前年、10月末に夫と私は その年 最終のナイトクルーズの遊覧船に乗っていました。少し、肌寒い船上から六甲の山並みに沿って 上下左右に広がる夜景を眺めていました。東京や大阪の様な、大都会の光の洪水の夜景と違って ゆったりとした心休まる光の絵巻だと感じました。その翌年の、1月17日の事など 夢にも思わない岡山からのドライブ旅行でした。
当時、50代半ばだった私たちは、夫の定年後の居住地を模索していた最中でした。20年近く住みなれた岡山にするか、私たちの実家のある関東にするか 又何年かは外国移住もいいな ・・ そして、海に開けた街の気質を二人とも気に入っていた神戸が 一番の候補地でした。そして翌年の大震災、とても残念な気持ちで 神戸移転を一時は諦めたのですが やはり縁があったのでしょう。
8年前から復興したこの街へ、これからの生活を考えて移り住む計画を進めています。まだ、私達には見えない傷痕は残っているのでしょうが 神戸の夜景は あの時と変わらぬ、美しさと優しさを湛えています。私達にこれから、どの様な時間が流れて行くのか楽しみです。
花材 ・マーガレツト ・透かしユリ ・スプレーカーネィション ・小判草 ・かすみ草
花器 ・白筒型花瓶
震災の前年、10月末に夫と私は その年 最終のナイトクルーズの遊覧船に乗っていました。少し、肌寒い船上から六甲の山並みに沿って 上下左右に広がる夜景を眺めていました。東京や大阪の様な、大都会の光の洪水の夜景と違って ゆったりとした心休まる光の絵巻だと感じました。その翌年の、1月17日の事など 夢にも思わない岡山からのドライブ旅行でした。
当時、50代半ばだった私たちは、夫の定年後の居住地を模索していた最中でした。20年近く住みなれた岡山にするか、私たちの実家のある関東にするか 又何年かは外国移住もいいな ・・ そして、海に開けた街の気質を二人とも気に入っていた神戸が 一番の候補地でした。そして翌年の大震災、とても残念な気持ちで 神戸移転を一時は諦めたのですが やはり縁があったのでしょう。
8年前から復興したこの街へ、これからの生活を考えて移り住む計画を進めています。まだ、私達には見えない傷痕は残っているのでしょうが 神戸の夜景は あの時と変わらぬ、美しさと優しさを湛えています。私達にこれから、どの様な時間が流れて行くのか楽しみです。
花材 ・マーガレツト ・透かしユリ ・スプレーカーネィション ・小判草 ・かすみ草
花器 ・白筒型花瓶