読まずに勝てる(?)将棋必勝法 不利な局面における、正しい嫌がらせ講座

2021年09月08日 | 将棋・雑談

 「ゴロゴロ寝ながら、初段になりたい!」

 

 という、ダメ人……費用対効果を重視する、経済観念にすぐれた将棋ファンのため、同じような「グズグズ初段」だった私が、その棋歴を思い出し、アドバイスを送っている。

 そのラインアップは、

 

 ガチすぎ道場編こちら

 高校詰将棋青春篇こちら

 ネット将棋でブレイク編こちら

 棋譜並べの方法編こちら

 まずは「3級」を目指そう編こちら

 

 といったところで、定跡本も読まず、詰将棋も解かず、

 

 「そんないいかげんなやり方で二段に、それもあと1勝三段の二段になれたな」

 

 あきれる読者諸兄も、おられるかもしれない。

 たしかに

 

 「ダラダラ棋譜並べして、あとはテキトーに実戦を指しただけ」

 

 と聞けば単なるナマケモノのようだが、実はこの

 

 「テキトーに指す」

 

 というのが、私にとってひとつ、勝つコツのようなものであった。

 もちろん、ふつうにダラけたり、無気力に指すのは論外だがいい意味で」テキトーというのは大事。

 これまで再三書いてきたが、私の将棋というのは前半に大量リードをゆるしても、そこから勝負手根性で追い上げるという、典型的な「逆転勝ち」タイプ。

 このスタイルで大事なのは、

 

 「不利な局面でヘラヘラしていられる」

 

 それには「テキトー」は不真面目どころか、すこぶる大きな武器になるのだ。

 そこで今回はナマケモノの見る、アマチュア級位者から、初段レベルの逆転術を紹介したい。

 キーワードは「手を読まずに勝つ」。

 それではどうぞ。

 

 ■逆転のコツその1

 

 「とりあえず、イヤミつけとけ」

 

 将棋で不利になると、ふつうの手を指していては勝てるものでなく、相手に悪手を指してもらうのが必須になる。

 とはいえアマチュアでも、3級くらいから上になると、基本的な手筋や詰みの形はマスターしているもの。

 なので、わかりやすく「筋に入る」形になると、なかなかミスなど期待できないものだ。

 では、どうするのかと問うならば、これはもう筋の見えにくい、ゴチャゴチャした形に持って行って、プレッシャーをかけるのが一番。

 ここに発動された「オイレンシュピーゲル作戦」により、まずは何も考えずに、端歩など突き捨ててみる。

 ▲95歩、△同歩、▲93歩とか(矢倉なら▲15歩から▲13歩)、とにかく嫌味をつける。

 

 

2016年、マイナビ女子オープン第1局。
加藤桃子女王と室谷由紀女流二段との一戦。
先手優勢の局面から、端歩を突くのが定番の嫌がらせ。
その後も室谷必勝の局面が続くが、加藤の根性もすさまじく、最後は逆転してしまった。

 

 

 美濃囲い相手なら、▲62歩の頭に一発タタく。

 

 

 1997年の第56期C級1組順位戦。先崎学六段と、鈴木大介五段の将棋。

 6連勝同士の大一番は、先崎が優位に進め、図の▲62歩が手筋一閃。

 どう応じても美濃囲いが乱れて味が悪い。

 鈴木大介は△71金とかわすが、▲69飛が狙いすました一撃で、△76金に▲65飛と切り飛ばし、△同角に▲45飛と飛車が大海にさばけて先手優勢。

 

 

 ▲74歩コビンをいじくる。▲86桂と設置して、▲74桂打の「つなぎ桂」をねらう。

 逆に振り飛車は、とにかく▲26香と設置して、舟囲い△23の地点をねらう。

 矢倉なら▲24歩と突き捨てるとか、▲41銀とかけるとか。

 

 

 

 1977年の王位戦。加藤一二三棋王と、米長邦雄八段の一戦。

 形勢不利な局面で、米長の放った▲24歩が「一本、筋」という突き捨て。

 △同歩は▲25歩のツギ歩があるから、加藤は△同銀。

 こうして中央がうすくなったところで、▲45歩とするのが、リズムのいいゆさぶり。

 

 ▲23歩と一発タタくとか、▲22歩△同金(銀)でにする。

 穴熊ならやはり▲14歩、△同歩、▲13歩、△同香、▲25桂とか。▲32歩の頭にタタくとか、いきなり▲13桂成のダイブとか。

 なんかとにかく、相手の玉形を乱しておく。これが効きます。

 

 

2018年の叡王戦。石井健太郎五段と石田直裕五段の一戦。

穴熊相手にはとにもかくにも、まずは端から手をつける。

ここにイヤミがあるだけで、穴熊側もなかなかなストレスだし、この局面だと△44にいる角のニラミも頼もしい。

 

 

 え? ▲95歩、△同歩、▲93歩に△同香とか素直に応じられて、次の攻めがないって?

 いえいえ、それでいいんです。

 こういうのはズバリ「ハッタリ」。

 さらに言えばその場のノリ雰囲気である。

 これといったねらいがなくとも、やられた方はイヤなもの。

 みなさんだって、の立場だと、つぶされることはないとわかっても、結構悩むでしょ?

 矢倉△86歩と突かれたときに、▲同歩▲同銀かは、居飛車の永遠のテーマ。

 

 

1953年第12期名人戦第5局。大山康晴名人と升田幸三八段の一戦。
中盤の難所で、△86歩、▲同歩、△87歩が居飛車党なら必修の手筋。
▲同金は金が上ずるうえに、将来の△95桂を警戒しながら戦わなければならないが、放っておくのもイヤミで、玉も狭すぎる。
升田は▲同金と払うが、そこで△56歩と戦端を開いて先手のムリ攻めを誘い、大山がそれをしのいで勝ちに。

 

 


 
 これが、相手にプレッシャーをかける。

 なんてことない嫌がらせが、結構バカにならないし、持ち時間をけずれるのも実戦的にでかい。

 ミスを誘うに、一番いいのは精神的な疲弊に追われる状況なのだから、それを呼びこむ「最善手」は

 「ねらいはハッキリしないけど、なんとなくイヤな手」

 島朗九段はかつて、こんなことを言った。

 

 「優勢になると、蚊に刺されても痛く感じる」

 

 あの剛直で「男らしい」棋風である郷田真隆九段ですら、

 

 「勝ちになると、一回王手されるのも嫌」

 

 数々の修羅場をくぐり抜けた、トップ棋士でもそうなのだ。

 ならもう、どうせ不利なんだから、ジワジワせまりましょう。王手も、するだけならタダだ。

 相手が読んでなさそうな方角から弾を飛ばすと、より効果的である。

 それで泥仕合に持ちこめば、もうこっちのもん。

 どんな負けてても、どうせ秒読みの激戦で「正しい手」を指し続けることなんて、ウチらクラスでは(プロでも?)できないのだと、うそぶいていればいいのだ。

 こうやって、実は効いてるかどうか微妙な端攻めや、タレ歩でゴキゲンをうかがって、相手が28秒(58秒)くらいまでギリギリ考えてるのを見ながら、

 

 「おー迷ってる、迷ってる。こら優勢と見てフルえてますなあ。大悪手や大ポカ、お待ちしてます」

 

 必敗の局面にもかかわらず、スマホやパソコンの画面に、そんな余裕ぶっこき丸な態度を取れれば、すでに逆転への黄色いレンガの道は見えてきているのだ。

 

 (ねばりの極意編に続く→こちら

 

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「3級」からが、将棋はより楽しい! ボンクラ上達法 初段まで一歩手前編 その2

2021年09月05日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 将棋は「3級」になると、これまでより、また何倍もおもしろくなる。

 また「初段」ほどハードルが高くなく、私や友人コウノイケ君のような、

 

 「めんどい方法は捨てて、好きな勉強法だけやる」

 

 という、呑気なやり方でも到達できるし、さらにはその後の「ブレイクスルー」の下地にもなるため、この、

 

 「一点突破で、とりあえす3級」

 

 は、かなりオススメである。

 というと、そんな「棋譜並べだけ」とか、「詰将棋だけ」で、ホンマに上達でけるんかいなと、疑問に感じられる方もおられよう。

 しかしこれは、私たちのヘボい経験だけでなく、先崎学九段も、似たようなことを、おっしゃっているのだ。

 先チャンの場合は「囲碁」のはなしだが、『NHK囲碁講座』テキストのコラムで、自身の囲碁上達プロセスを書いておられた。

 それはもう、

 


 「このゲームは形が大事」


 

 

 というところから、手筋集や、石の形に明るくなるを読んで、それで有段者(ここで六段になるのがボンクラと天才の差だ)になったそうな。

 本人曰く、石の生き死になど、理解しないままやってたから、

 


 「筋はいいが、とんでもなく非力な六段」


 

 とのことで、まあ、謙遜もあるのだろうが、やはり棋譜だけで学んだ私も、似たようなところがあるから、言いたいことはわかる。

 要するに、将棋で言えば、

 

 接近戦が苦手」

 「詰みの部分が、あいまい

 

 みたいなもんで、かたよってはいるが、やはり、

 

 「ゴロゴロ寝ながら」

 「ひとつを極める」

 

 というメソッドで、ある程度強くなれることの証明でもあるし、実際、

 


 「アマチュアの方でも、詰将棋や詰碁をやらなくたって、三段くらいはなれる」


 

 など、われわれのようなスカタンが、よろこびにむせび泣くようなことも、書かれていた。

 詰将棋(詰碁)をやらなくていい

 なにかこう、「われわれの勝利だ!」と気炎をあげたくなる話ではないか。

 私個人としては、楽してニ、三段になれれば、それ以上のぜいたくは言わないわけで、この「先崎宣言」で大いに満足。

 それどころか、将棋を本格的に楽しむことは「観る将」でも「指す将」でも、3級でいいと思っているわけだから、ますます希望のある話ではないか。

 ただ、中には、せっかく3級や初段になれたなら、

 

 「もっと強くなりたい」

 

 という人も出てくるかもしれない。

 その心意気や良しだが、三段以上の四段五段クラスになるには、私の見たところ、正直これでは限界がある。

 四段以上になると、たとえば私のスタイルだと付け焼刃の「アヤシイ手」など通じないし、終盤のスプリント勝負は、てんで話にならない。

 なにより序盤の駒組で決定的な差をつけられ、仕掛けて数手で中押しとか、まったく将棋にならなかったりする。

 これは「詰め将」コウノイケ君も、大学で実感したそうで、

 


 「得意の、トン死ねらえる局面に行く前に、コールド負け食らうねん。てゆうか、その終盤戦も、みんな全然ボクよりレベルが高い!」


 

 自己流の哀しさである。

 『ヒカルの碁』で、葉瀬中の三谷くんの力戦が、海王中の岸本くんに、まったく通じなかったときのようなものだ。

 

 

 「自己流」の実戦的戦い方で挑む三谷くんですが……。

 

 

地力の差はいかんともしがたく、この余裕っちな態度

 

 

 これは、まさに先チャンの本にも書いてあって、六段で頭打ちになったのを、囲碁のプロ(奥様の穂坂繭三段)に相談すると、

 「詰碁

 一言だけ帰ってきたそうな。
 
 詰将棋好きで、すぐれた詰将棋作家を大リスペクトし、その本の中で、

 

 


 「詰将棋だけをひたすら解いていれば、それだけで県代表クラスになれる」


 

 

 とまで豪語する先チャン(ちなみに羽生善治九段も、これと同じことを昔言っている)だが、なぜか詰碁はお嫌いなようで、

 

 


 「詰碁は苦手でねえ。他にないかな?」

 「詰碁」

 「いや、それは頭が痛くなるし」

 「詰碁」

 「それだけは勘弁してください、お代官様」

 「だから、詰碁だってば!」


 

 

 まさに、取りつく島がないとは、このことである。

 たしかに自己流だと「三段限界説」というのは、自分自身を照らし合わせても、説得力があるところではある。

 私は定跡がおぼえられないし、詰将棋を「鑑賞」するのは好きだが解くのはめんどくさい

 コウノイケ君は詰将棋が得意とはいえ、「詰み」だけに特化しすぎて、終盤戦での「腕力勝負」や心理的な「駆け引き」のようなものに疎い。

 なので戦い方に「厚み」がなく、三段どまりなのだ。

 まあ、そこはまた、そこまで行ってから悩めばいいわけで、私的にはまず「3級」を目指すべし。

 「一点突破」で3級

 プラス「実戦」で初段

 その後もコツコツやってれば、「ブレイクスルー」が起こって(2、3ヶ月から半年くらい)、もしかしたら二段、三段も視野に入るかもしれないが、自分の感覚では将棋って、

 

 「2、3級で、初段を目指しているときが、一番楽しい」

 

 とも思うので、その意味でも、

 「まず3級

 になれる「一点突破」勉強法はオススメなのです。

 

 (実戦の逆転術編に続く→こちら

 

 

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「3級」からが、将棋はより楽しい! ボンクラ上達法 初段まで一歩手前編

2021年09月04日 | 将棋・雑談

 「ダラダラしながら初段になりたい!」

 

 という、ふざけ……自分の人生に嘘をつきたくない真摯な将棋ファンのため、茫洋と二段になった私が、アドバイスできることはないか。

 ということで、私的「楽して上達法」を紹介しているところ(激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアとの出会い編は→こちら ネット将棋で大ブレイク編は→こちら)。

 前回は、

 

 「ボンヤリと棋譜並べ+ネット将棋」

 

 という、私的有段者への道を紹介してみたが(→こちら)、この経験から言えることは、

 

 「自分が楽しくできる勉強だけで、初段くらいならいけるかも」

 

 よく、初心者向けの「将棋入門」や、プロのアドバイスなど訊くと、

 

 


定跡をおぼえて、得意戦法を作って、簡単な詰将棋を解いて、あとはプロの対局を鑑賞して参考にしつつ、実戦を指しまくればいい」


 
 

 まさに、ぐうの音も出ない「正解」であるが、われわれボンクラからすれば、

 

 「それができりゃあ、世話ないよ」

 

 そこで私は、自分もやった「一点突破型」をすすめるわけだ。

 上記の勉強法のすべては無理でも、楽してというか、さほどストレスなさそうなやりかたを、ひとつだけやる。

 

 「定跡のマスター」だけ

 「得意戦法を磨く」だけ

 「詰将棋」だけ

 「観戦」だけ

 

 それだけで、まず3級にはなれます。

 事実、「棋譜並べだけ」の私と、先日登場いただいた、「詰将棋だけ」の友人コウノイケ君(詰将棋マニアな彼との出会いは→こちら)は、他がスカスカでも、それくらいの棋力はあったと思う。

 というと、「3級ねえ……」とテンションの上がらない方は、おられるかもしれないが、なかなかどうして、3級をあなどってはいけない

 というのも、だれかと指したり、また自分自身の経験でもわかるが3級というのは、

 

 「将棋をある程度、玄人っぽく楽しむ」

 

 ということが、可能になってくるラインだからだ。

 将棋というゲームは、ルールおぼえたての、10級同士の遊びでも十分おもしろいが、ある程度の棋力が備わると、より「深み」「厚み」が増してくる。

 その第一段階が「3級」ではないかと思うのだ。

 これくらいになれば、自分で指していても、ちゃんときれいな駒組ができて、「手筋」「格言」通りの手が指せる。

 最後の詰みも、ちょっと詰将棋っぽい手が披露できたりすることもあったりして、なんというのか、

 

 「いわゆる、プロとかのっぽい将棋」

 

 を楽しめるようになるのだ。

 テニスでいえば、子供用のスポンジボールで遊んでいたのが、曲がりなりにも公式のボールで、ちゃんとしたコートでプレーできるようになる感じ、とでもいうのか。

 

 「公式戦に出て、それなりな試合の形になる」

 

 というくらいが3級のイメージだから、なかなかのもんでしょ?

 さらにいえば、観戦していても、そこそこ予想手が当たるようになったり、解説でいう、

 


 「先手優勢ですけど、勝ちやすいのは後手かな」

 

 「ふつうはこうですけど、○○九段ならこうやりそうですね。ほら、当たった」

 

 「AIはこう言ってますけど、人間的には怖くて指せませんねえ」


 

 みたいな、感覚的なものが、なんとなく理解できるようになったりも、3級くらいからではないか。

 具体的には、昨年の竜王戦第3局で、羽生善治九段豊島将之竜王に、評価値で90%以上の数字をたたき出しながら、そこから敗れてしまった。

 それを

 

 


 「まさかの結末」

 「必勝からの大逆転」

 「ついに羽生もおとろえた」


 

 みたい記事や、ファンの声が聞かれたりしたわけだが、コアな将棋ファンは、

 

 「あそこで▲94角は、指せないよなー」

 

 ということが、なんとなく理解できてたりするから、

 

 「いやー、あれを負けても、羽生さんのせいじゃないよ」

 「むしろ、折れずにヒタヒタと追い上げていった、とよぴーの精神力と勝負術をほめるべきやんね」 

 

 てな気になるわけで、そのラインが「3級」くらいなんじゃないかと。

 

 

 2020年の第33期竜王戦、第3局。

 羽生が優勢ながら、豊島もいやらしくねばって、超難解な終盤戦。

 ここで羽生が指した▲53銀が敗着で、AI推奨の▲94角とすれば、先手が勝勢に近かったが、これが「詰めろ」だと看破するのは超難解で、現に両対局者とも「後手勝ち」で一致していたそう。

 3級くらいになると、「いやー、ここで角は人間にはムリっしょ!」とか、語っちゃえるようになって、通っぽい気分が味わえ楽しい。

 

 
 また昨年度、王位戦第2局とかも、

 

 


 「藤井聡太、大逆転勝利」


 
 

 て書かれてたけど、あれだって、

 

 「評価値は圧倒しても、あそこから勝ち切るのは、実はかなりの難問やねんなー」

 

 「藤井のがんばりもすごかったし、木村王位が足を踏み外しても、決しておかしいことではないよなあ」

 

 とかね。

 「まあな、オレくらいになると、そのへんは、だいたいわかんねん」と。

 

 

 

 2020年の第61期王位戦、第2局。

 飛ぶ鳥落とす勢いの藤井聡太を、木村一基王位が圧倒。

 途中から、ずっと先手勝ちだったが、評価値の数字以上に局面がむずかしかったことと、藤井七段の巧妙なねばりもあって、木村は勝ち切れず。

 でも、これをもって「木村がヘボい」とは思わないくらい、この終盤戦の難解さ(と、おもしろさ)を感じれられるのが、3級くらいから。

 

 

 要するに、「3級」になると、

 

 「ここから将棋が、またさらに、10倍くらい、おもしろくなる」

 

 だからまず、初心者は初段の前に「3級」を目指すべきで、それなら私やコウノイケ君のような

 

 「わがまま一点突破勉強法」

 

 でもクリアできる。

 でもって、そこからさらに「初段」を目指したければ、あとは実戦を指しまくればよい(「実戦だけ」で3級になった人は、他の勉強法をチョイ足しすればよい)。

 私はそれで二段だし、コウノイケ君も大学で将棋部に入り、実戦に目覚めたら、一瞬で三段になった。

 それもこれも「棋譜並べ」「詰将棋」という触媒があったおかげで、一気に花開いたわけだが、2人とも別に「勉強」しようと思って、やっていたわけではない。 

 ただただ、のほほんと自己流で将棋に接していたら、それが知らぬ間に「下地」になっていただけだ。

 肩肘張らなくても、3級なら行けるし、

 

 「将棋をちょっと専門的に楽しむ」

 

 なら、これでも充分。

 初段はハードルが高いという人は、まずここを目指してみては、いかがであろうか。

 

 (続く→こちら

 

 

 

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これだけやれば初段になれる(?) 「ただの手の運動」棋譜並べのススメ

2021年08月29日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 ここまで私の、かなりかたよった棋歴を紹介したが(激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアとの出会い編は→こちら ネット将棋で大ブレイク編は→こちら)、

 

 「そんな、いいかげんなやり方で、よく有段者になれたな」

 

 あきれる読者諸兄も、おられるかもしれない。

 たしかに、実戦はほとんど指さなかったわ、詰将棋は全然解かないわ、定跡はテキトーだわ。

 なんともアバウトきわまりないが、アマ初段クラスまでなら、わりとそんな感じでも、ワンチャンなれるんではないだろうか。

 やったことはひとつで、これまでにも書いてきたが、とにかく「棋譜並べ」だけは、たらふくやったもの。

 『将棋マガジン』『将棋世界』『将棋年鑑』『週刊将棋』の棋譜から、おもしろそうなのを全部、かたっぱしから並べたわけだ。

 別に勉強しようとか、強くなりたいとか、殊勝な思いがあったわけではなくネット中継もない時代、プロ将棋を鑑賞するには、それしかなかったのだ。

 その際のコツは、とにかく「テンポよく、どんどん並べる」こと。

 よく「将棋上達法」のような本には、

 

 「棋譜並べも、ただ漫然とするだけでは意味がありません。一手ずつ手を止めて、自分なりにじっくり考えてから、次の手に進みましょう」

 

 なんて書いてあるが、これはオススメできません。

 いや、実際にできるなら、きっとそれがいいんだろうけど、このやり方だと、ほとんどの人が続かないと思うわけだ。

 いちいち手を止めてたら、途中でイヤになっちゃうし、どこまで並べたか見失いがちだし、次の手をかくすというのもめんどくさい。

 こういうのは、最初から最後までサーっと並べてしまう。

 いわゆる「ただの手の運動」と揶揄されるやり方で充分

 解説を軽く参照しながら、サクサク並べてOK。

 「棋譜並べ」では読みとかよりも、「手の流れ」や「」のようなものを感じ取るのが大事。

 細かいことよりも、

 「こういう局面では、なんとなく、こういうところに指が行くんやなー」

 くらいで充分。

 これを続けていると、プロが解説なんかでいう、

 

 「この局面、第一感はこうですよね」

 「筋としては、まずこう指してみたいところです」

 

 みたいな手が、自然と浮かぶようになってくる。

 具体的に言えば、観戦しながら「ちょいちょい、手が当たる」ようになってくる。

 そういう「一目、」という手は間違いが少なく、実戦でも役に立つ。

 そしてもうひとつ、それより、もっと大きいのが、

 

 「ひねり出した手」

 

 こういうのが、たくさん見られること。

 手がない局面から、「フンガー!」と気合一発くり出した手は、いささか精神論的だが、好手悪手の壁を越えて、勢いで「通る」ことも多い。

 

 

 こないだやってた、2021年、第6期叡王戦から第2局のハイライト。

 局面の印象も、評価値換算でも、藤井聡太王位・棋聖が必勝形に近い戦いが続いていたが、この▲54銀が、まさに「棋譜並べ」で、体感できる類の勝負手。

 実際にいい手かどうかは不明だが、劣勢の局面からも、なにか「ひねりだす」豊島将之叡王の底力とメンタルにシビレた。

 

 

 そういった、「火事場の馬鹿力」的な手をたくさんストックしておくと、なにかのときに役に立つもの。

 なんというのか、不利な局面をがんばるとか、終盤の泥仕合が楽しくなってくるのだ。

 さらにもうひとつ、変な言い方だが「意味不明の手」というのも味わえる。

 

 

 

2000年、第13期竜王戦7番勝負の最終局。
先手優勢ながら寄せでもたつき、かなりアヤシくなったところで藤井猛竜王から飛び出した、よくわからない角打ち。
「一歩竜王」で有名な観戦記を書いた、先崎学九段いわく「サッカーボールが急にふたつになったような異次元空間」。
「2つのボール」に羽生善治五冠は混乱し、△42同金としてしまうが、ここは△33歩と打てば、逆転しててもおかしくなかった。

 

 

 「逆転勝ち」型の私としては、常に「相手のミス」を、いかに誘うかという戦いとなる。

 そういうとき必要なのは、

 「わけのわからない局面

 たとえ相手が、アマ級位者や初段クラスでも、

 「わかりやすい形」

 になると、なかなか間違ってくれない。「教科書通り」の手が通じるように、してはいけない。

 そこで、強い人のくり出す「局面を混沌とさせる手」をたくさん見ておくと、これが役に立つ。

 たとえ好手でなくとも、本や教室で教わる、「手筋」「格言」のリズムを破壊する指し方。

 これこそが、私が棋譜並べで身に着けた、ややマニアックな勝負術なのだ。

 そんな、あいまいなもん、使えるのかと言われそうだけど、私は現にそれで二段になれた。

 それに、なんといってもこの「漫然と棋譜並べ」は単純作業だから、考えずに勉強できるのが良いのだ。

 私が実戦を指さないのは

 

 「考えるのがめんどくさい」

 

 からだから、「読まずに勝つ」スタイルを目指すには、これが一番。

 郷田真隆九段の有名な言葉に、こういうのがある。

 

 「いい手は指がおぼえている」

 

 いい棋譜をかたっぱしから並べていれば、まさに、そうなってくれるのだ。

 私は米長邦雄永世棋聖の『米長の将棋』がバイブルでした。

 

 

『米長の将棋』収録の、1979年の名人戦リーグ。米長邦雄王位と、大山康晴十五世名人の一戦。
△35銀で飛車がほとんど死んでいるが、▲同飛と切り飛ばして、△同歩に▲43歩成がカッコイイ踏みこみ。
佐藤康光九段も座右の書にしていたそうだが、それがわかる一連の手順。
棋譜並べをすると、ここで▲16飛と逃げるのは「ない手」だなと指がおぼえてくれる。

 

 

 今だとパソコンスマホでも鑑賞できて、これだと盤面を止めてじっくり見られるから、より便利になったけど、実際にを出して、で並べるのもおススメです。

 これは勉強で「手で書いておぼえる」のと同じ理屈。

 好きなプロ棋士の手つきをモノマネしながら(これは楽しいのでオススメ)、パシパシいい音を立ててやりましょう。

 YouTubeとかラジオでも聴きながら、ダラダラ並べて、あとは実戦を指しまくる。

 これで、すぐにでも初段です。

 これは囲碁の依田紀基九段や、元奨励会三段の石川泰さんも同じことをYouTubeで話していたから(石川さんの解説動画は→こちら)、きっと効果はバツグン。

 私と同じナマケモノはお試しあれ。

 

 

  (続く→こちら

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ネット将棋で大ブレイク 将棋俱楽部24編 その2

2021年08月23日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 長らく「指さない将棋ファン」だったが、ネット将棋と出会って、実戦経験を積んだら、なんとか目標だった「アマ初段」になれた20代の私。

 昇段後、またも勝ったり負けたりという、実に平和な勝率5割ペースを守っていたのに、あるところから、おかしなことが起こった。

 突然、連勝街道を驀進し始めたのだ。

 それも、たまたまではなく、明らかに「手ごたえ」がある勝ち方でだ。

 これにはノートパソコンの前で、ひとりごちたものだ。

 「ブレイクスルー」が起ったな。

 と言われても、経験したことのない人にはピンと来ないかもしれないが、なにかをコツコツ積み上げていると、ある日突然

 「一気に伸びる

 という大爆発が起こることがある。

 私の場合、大学受験テニスで理解できた。

 高校3年間、まったく勉強しなかった私は、偏差値でいえば底辺からスタート。

 とくに英語がサッパリだったので、そのころ、とにかくすすめられた「英文の音読」をやることにした。

 問題文を解いた後に、意味がわからなくても、最低5回。できれば10回

 調子のいいときは20回30回と、とにかくマシンのように口に出して読み下していったら、5か月たった夏休み明けに、いきなり「読める」ようになった。

 それまで、ただの「暗号」にしか見えなかった英文が、魔法のようにザーッと読み下せる。

 このときの感動と言ったらなかった。

 またテニスでも、サービスがまったく入らなかった最初期に、家でひたすらトスアップの練習と、タオルで「シャドーサーブ」(野球の「シャドーピッチング」と同じです)をくり返していたら、2か月後スピンサーブがバンバン入るようになった。

 私がボンクラのくせに、意外と

 

 「練習は裏切らない」

 「コツコツやることが大事」

 

 とか言いがちなのは、間違いなくこの、「ブレイクスルー」の感動を実感したからだ。

 「ブレイクスルー」は、私の場合は、遊びでやってた「棋譜並べ」が基礎になり、「実戦経験」を加味することで起こった。

 私のやる棋譜並べなんか、ただ漫然と並べてるだけ(「手の運動」とバカにされるアレです)なんだけど、そんな程度でも、「続けた」ことが、たぶん大事。

 それこそ「観る将」の人でも、たくさんプロの将棋とかYouTubeの実況とか見るだけのことでも、それを「続けて」いけば、いつか花咲くと思うわけだ。

 「ブレイクスルー」による連勝街道は止まらず、それまで初段で勝率5割だったのが、気がつけば二段に。

 また二段でもつまずくことなく、さらに勝てたのは、勢いもあったのだろう、ついには三段昇段の一番をむかえることに。

 ふだん欲のない私だが、さすがにここは気合が入り、三段の人相手に200手近い大熱戦を戦ったが、最後の最後で敗れてしまった。

 結果は残念だったが、全力は出せた将棋だったので満足感はあり、そこで落ち着いてしまったのか、それ以降はあまり、気の入った将棋を指さなくなってしまった。

 せっかく強くなれたのだから、一回くらい三段に上がるまでがんばってみようかとも思ったのだが、この3か月けっこう指して、それでこれまでの「指さないファン」だった渇きも、癒えたようなのだった。

 特に私は、棋力以上に「精神力」で戦う旧日本軍スタイルだったので、執念がなくなっては、有段者相手に戦っていけないだろう。

 ということで、いったんここで「第一部」ということにし、また呑気な「読む将」生活に戻った。

 以降ここまで、また長い長い「指さない」ファンに戻っている。

 その間も、特に「指したい」と思わないのは、やはり私に「勝負」への関心(「勝つ」ことが楽しいという感覚)が希薄だからだろう。

 やっぱ将棋は、他人のを見てアレコレとテキトーなこと言ってるのが、無責任な私には一番合っている気がするなあ、うん。

  

 (初段になる棋譜並べ編に続く→こちら

 

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ネット将棋で大ブレイク 将棋俱楽部24編

2021年08月22日 | 将棋・雑談

 前回の続き。

 ナマケモノの私が、いかにして「初段の壁」を超えたのかについて、このところ語っているが(ここまでの激辛道場編は→こちら 高校で詰将棋マニアと出会うところは→こちら)その特徴は、実戦をあまり指さないタイプだったこと。

 将棋雑誌を欠かさず購入し、スクラップまで作っていた(今のブログネタに生かされてます)ガチの将棋ファンにもかかわらず、とにかくだれかと指すという機会が、まったくなかったのだ。

 まあ昔だと、「将棋道場」という文化に肌が合わなかったり、学校に「将棋部」がないと、わりとありがちだったと思うけど、この状況に風穴を開けたのが、ネット将棋という存在だった。

 20代半ばくらいに、友人から古いノートパソコンをゆずってもらい、なんとなく「将棋俱楽部24」をはじめてみたら、これがハマった。

 なんといっても、家で気軽に指せるのがいい。

 道場みたいに、相手がいなくて待ちぼうけとか、煙草の煙とか、マナーの悪い人とか(これはネットにもいるかな)、そもそも、そんなに社交的じゃないしとか。

 そういった対人のめんどくささが、すべて解消されている。

 時間帯もお好みのままで、気まぐれな私にはピッタリだ。

 棋力がよくわからないので(単純なブランクだけでも7年どころか、実質15年くらいだ)、最初はとりあえず3級で登録。

 指してみると、はじめはぎこちなかったが、徐々になれだして、勝てるようになってきた。

 5局指して3勝2敗くらいのペースだったが、いろんな人と指しているうちに、なんとなくではあるが、自分の将棋が通じることがわかってきた。

 前回も書いたが、私の売りは、雑誌の自戦記や観戦記を読みまくり、「棋譜並べ」を山盛りやったことによって身についた、「実戦的な手」の数々。

 定跡にくわしくなく(めんどくさくて覚える気にならない)、詰将棋もやらないから、詰みの部分も「なんとなく」でやっている、とんでもなく、いいかげんなプレースタイル。

 けどそこは、アマ級位者レベルなら、不利になった中盤のごまかし方と、相手が息切れするまで耐え抜く、勝負手とド根性を駆使すればなんとかなる。

 

 

 

1977年の十段リーグ。米長邦雄八段と、淡路仁茂五段の一戦。
図の△56歩が米長いわく「まやかしの手」。
▲同金なら△35歩だが、取らないのも気持ち悪い。
こうして「心理的に揺さぶっ」て、やや不利な局面から逆転勝ち。
こういう手をマネして、相手が悩んでくれるのを見守るスタイル。

 

 

 自分のストロングポイントがハッキリすると、必然「勝ちパターン」のようなものが確立されてくる。

 こういう「自分の土俵」を見つけることは大事。

 私の場合、リードされたところから挽回していって、明らかに相手があせったり、もてあましている感じがしてくると「勝ったな」という気分になる。

 逆に中盤でリードを奪って、「キープして勝つ」ことを求められる局面とかはキツイ。

 また、終盤で一手違いの切り合いになると、詰将棋をやらないせいで、寄せがヘボくて、やられてしまうから、なんとか避けるようにする。

 こういうのが見えてくると、指していても、おもしろくなってきて、それが自信になったのか、ボチボチとではあるが、勝ちを積み重ねた。

 1級では、さすがにちょっと時間がかかったものの、まずは目標である初段に到達することができた。

 アマチュアで、とりあえず初段になれれば、まずは一人前だ。

 「任務完了」で、あとは気楽に指して、ここをキープしておけばいいやと、上昇志向もへったくれもない(だからこれ以上、強くなれないんだな)ことを考えていたのだが、ここから話は思いもかけない展開を見せるのだ。

 

 (続く→こちら

 

 

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ナマケモノでも初段になりたい! 高校『詰将棋パラダイス』青春篇 その2

2021年08月16日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

  先日から、

 「ダラダラしながら初段になる」

 という、人生をナメ……効率よく上達するため、そこはクリアできた私自身の将棋歴を語っているところ。

 高校時代、よくやっと同世代で、将棋の楽しさを分かち合える友人を見つけたと思ったら、まさかの

 「詰将棋マニア

 だったりしたわけだが、今回も『詰将棋パラダイス』(略称『詰パラ』)を解くだけでなく、創作にも手を染める「アーティスト」の友人コウノイケ君のお話。

 彼とは高校3年間で、実戦を指したのは、20局行くか行かないかだった。

 結構ガチ目の将棋ファン同士が、同じクラスにいて、その局数は少なすぎるというか、ふつうなら「1日20局」くらい遊びそうなものだが、なんとも不思議な関係であった。

 たまに指しても、これがまたな将棋。

 私は序盤で、仕掛けられたあたりの対処がだから、棒銀とか右四間飛車のようなシンプルな攻めでこられると、たいがい突破される。

 今でいえば、評価値マイナス800から、1000くらいの不利におちいるのだが、実はここからが腕の見せ所

 私は定跡のこまかい知識や、実戦経験こそ少ないが、将棋雑誌の自戦記観戦記を山盛り読み、そこで、

 

 「棋譜並べ」

 

 これだけは、人並み以上にやったという自負がある。

 といっても、別に勉強したかったわけではなく、ネット中継もない時代、強い人の将棋を鑑賞するには、そうするしかなかっただけだが(だから今はやらなくなった)、これによって私は

 

 「教科書には載ってない(載せても解説しにくい)実戦的な手」

 

 というのを、多く指におぼえさせることができた。

 なので、中盤から終盤の入口にかけて、あれやこれやとアヤシイねばりを駆使。

 そうして闇試合に持ちこみ、どさくさ紛れに追い上げていくのは、得意中の得意なのだ。

 

 

1993年のNHK杯。石田和雄九段と、櫛田陽一五段の一戦。
本格派の石田が、筋の良い仕掛けで攻めこんだところ、△45角が「教科書に載ってない」類のアヤシイ反撃。
不安定な角で、良い手かどうかは不明だが、対処をあやまった石田が敗れる。
よほど悔しかったのだろう、感想戦で駒をバシバシとカラ打ちしながら、櫛田に「まだやるんですか? 先生サマ?」と、からんでいた石田の姿が印象的だった。

 

 

 さらには、若さゆえの、自陣に駒を打ちまくり、ねばりまくってひっくり返す、昭和の「根性エンジン」も搭載。

 この棋風(?)だと、多少の不利など、モノともしないわけである。

 そんな、相手の撃ち疲れを待つ、米長泥沼流ならぬ

 

 「スターリングラード流」

 

 と恐れられた私の粘着だが、一方のコウノイケ君の棋風もまた、かなりかたよっていた。

 序盤がテキトーなのは、おたがいさま。

 中盤での手練手管はこっちがとして、おそろしいのが終盤である。

 なんといっても、相手は詰将棋名手

 泣く子も黙る『詰パラ』定期購読者なのだ。

 こういう人の寄せの力は、筋に入れば、一種トンデモなかったりする。

 かくいう私も「勝ったな」と温泉気分だったところから、すごいトン死を何度かいただいた。

 とにかく、こっちはしっかり受けているはずなのに、とんでもないところからバンバン弾が飛んできて、あっと言う間に仕留められしまう。

 

 

1983年の王位リーグ。谷川浩司名人と大山康晴十五世名人の一戦。
▲52にいる角で、▲43角不成(!)としたのが、盤上この1手の神業的な絶妙手。
ここで▲43角成は△54歩、▲66銀打、△同と、▲同歩、△55玉となって、▲56歩までの「打ち歩詰」になってしまう。
そこで▲43角不成とすれば、▲56歩に△44玉と逃げられるため反則にならず、以下▲45歩から押していけば詰む。
つまりは、こういう筋をねらってくるわけです。網にかかったら、おしまい。

 

 その様はヴァシリザイツェフのごとしで、まさに一撃必殺。

 あまりにあざやかに詰まされると、感心が先に立って、案外くやしくなかったりするのが不思議なもの。

 長手順のトン死を食らって、

 

 「よう、こんな詰み筋読んでるなあ」

 

 あきれると、友はこれ以上なく得意そうに、

 

 「ボクはトン死勝ちしか、ねらってないからね」

 

 な将棋や! 

 つまり彼にとって、序盤の駒組や、中盤のねじり合いなど、たいして興味がなく、終盤戦だけを、

 

 「ランダムに発生する実戦型詰将棋」

 

 と、とらえているわけ。

 うーん、まるで若手時代、序中盤で不利になると、

 

 「早く終盤戦になればいい」

 

 そう、うそぶいていたという、「光速の寄せ谷川浩司九段のようではないか。

 こうして「読む将」と「詰め将」のわれわれが戦うと、クソねばりとトン死筋という、あまりにも相反するというか、

 

 「山岳パルチザン対スナイパー」

 

 という実にマニアックな戦いとなってしまい、これがまた、ギャラリー受けも、すこぶる悪かった。

 中盤は、駒がゴチャゴチャと入り組んで、セオリーもへったくれもないジャングル戦

 なのに終盤だけは、コウノイケ君の目がキラリと光れば、わけのわからない難解な詰み筋が光の速さで披露され、「え?」という間もなく、おしまい。

 つまりは、

 

 「メチャクチャ、カンどころがわかりにくい戦い」

 

 だったわけで、見ているほうも、やっているほうも、頭がおかしくなるのだ。

 もしかしたら、それもまた、あまり指さなかった理由のひとつかもしれないが、われわれはどちらかといえば、指してる最中よりも、終局後の、

 「感想戦

 こっちが長かったタイプで、要するに、

 

 「将棋をネタに、ワチャワチャとおしゃべりする」

 

 ことの方が、楽しかったのだろう。

 なんで、盤を前にしても「一局、指そうぜ」とはならない(その間しゃべれないから)、なんともおかしな、将棋青春時代であった。

 

 (ネット将棋で大爆発編に続く→こちら

 

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ナマケモノでも初段になりたい! 高校『詰将棋パラダイス』青春篇

2021年08月15日 | 将棋・雑談

 「……の詰将棋」。

 質問にそう答えたのは、高校時代の友人コウノイケ君であった。

 先日から、

 「ダラダラしながら初段になる」

 という、人生をナメ……効率よく上達するため、一応アマ初段クリアした、私自身の将棋歴を語っているところ(激辛だった道場編は→こちら)。

 その特徴は「ほとんど実戦を指さないタイプ」であったこと。

 それが、いかにして有段者になれたかというところだが、そんな、かたよったファンにも転機がおとずれ、はじめて

 「同世代の将棋ファンの友人」

 と出会うこととなったのだ。

 なら、そこから、一気に実戦指しまくりライフに突入かといえば、これがそうはならないから、おもしろいもの。

 というのも、その友というのが、

 「詰将棋マニア

 という存在だったからだ。

 コウノイケ君とは高1のとき、同じクラスで仲良くなったが、趣味が将棋と知り、

 

 「へー、オレもやねん。うれしいなあ。じゃあ、プロやったらだれのファン?」

 

 そうなにげなく問うてみると、

 

 「谷川浩司内藤國雄

 

 今で言えば、「豊島将之久保利明」と、答えるようなものであろうか。

 そっかー、やっぱ関西では、この2人が人気あるなあ。

 そう返そうとしたところ、友は続けて、

 

 「……の創った詰将棋のファンやねん」

 

 これには、アゴがカクンと、はずれそうになったもの。

 そ、そっちっスか?!

 そう、わが友は詰将棋専門誌(あるんですね、コレが)である『詰将棋パラダイス』、略称「詰パラ」を愛読。

 日夜、良質の詰将棋に挑んでいるという、実にマニアックな男だったのである。

 こんな珍しい人種に出会えるとは、私の将棋好きとしての「引き」の強さは、なかなかのもの。

 さらに彼がすごいのが、ただ解くだけでは飽き足らず、彼の尊敬する谷川浩司九段や、今なら藤井聡太王位棋聖のように「創作」にも手を染めていたことだ。
 
 私は将棋雑誌や棋書を読んで、プロの名局や絶妙手にウットリする「読む将」。

 彼は創って創られての、「論理芸術」を愛する「詰め将」。

 なので、あんまし「指そう」とはならなかった、ということらしい。

 彼とは実戦よりも、大山名人の盤外戦術や、マニアックな詰将棋の話ばかりで(変な高校生だよな、おたがい……)、まあそれはいいんだけど、困らされたのは「検算」だ。

 詰将棋というのは、正解手順以外の詰み筋、つまり正解が多数あると

 「不完全作

 となり、ボツになるという、ストイックなルールがある。

 完全作だと思っても、どこかにがあるのかもしれない。

 そういったものは、思いこみや盲点があったりして、自前で発見するのはなかなか難しい。

 となれば、それをたしかめるのは、他人のまっさらな目で見てもらうのが一番。

 小説やマンガなどを書いたときに大事なのは、まずだれかに読んでもらうことだといわれるが、それは詰将棋だって当てはまるのだ。

 では一体、その作業を、だれがやるのかと問うならば、そこに白羽の矢が立ったのが、おそろしいことにだった。

 詰将棋を検討するには、当然のことながら、将棋のルールを知っておかなければならない。

 また、正解をみちびき出すために、そこそこの棋力もないといけない。

 私は将棋ファンであり、棋力はたぶん2、3級程度だったと思うけど(コウノイケ君も同じくらい)、なにより彼の詰将棋という趣味の理解者でもある。

 最後のは、マニアックな趣味の持ち主にとっては、かなり大きなことだ。

 出会いに感謝。必然、「頼むわ」ということになる。

 が、しかしである。私は詰将棋となると、これがハッキリいって苦手なのだ。

 そりゃ、ネット中継の休憩時間に出るくらいのものなら、問題なく解けるし、がんばれば検算も簡単なものなら、ある程度は可能かもしれない。

 けど、ガチの人が、テーマを持って挑んでくるようなのなんて、そもそも考えるのが、めんどくさい。

 私が将棋を見る専門なのは、手を読むのが疲れるからなのだ。

 しかも、彼の「創作ノート」に記された作品には「25手詰」「31手詰」とか、おそろしいことが書かれている。

 私の棋力と根気では、当時なら出力は9手詰

 がんばって、13手詰くらいが関の山であろう。

 そのレベルでヒーヒーいうてる私に、はっきりいってこれは致死量である。

 彼の熱い想いには申し訳ないが、さすがに大変すぎるやんと逃げまくっていたんだけど、そこは友も、人生で初めて会った

 

 「詰将棋を理解し、受け入れてくれる男」

 

 逃がすわけにはいかんと、昼休みのたびに、ルパンと銭形警部のごとき追いかけ合いが、教室で行われていたのであった。

 この問題は後に大学生になったコウノイケ君が、アルバイトにはげんで、パソコンを買うことで解決することとなった。

 まだウィンドウズもインターネットもなく、PC-9801とかが幅を利かしていた時代のこと。

 その役割こそが、まさに「検算」してもらうためである。

 昨今、ネットゲームをしたり、SNSでつながりを求めるため、パソコンを買う人はたくさんいるにしろ、

 

 「自作の詰将棋検算専用」

 

 このためにパソコンを買った(しかも当時は値段も20万円はした)のは、少なくとも私の周囲には、彼だけだった。

 使う範囲せますぎである。なんちゅう、ストイックな動機や。

 当時はまだ、指し将棋に関しては弱かったコン君だが、「解答」のある詰将棋には無類のを発揮。

 なんでも、江戸時代の名人が作った長編作の余詰を、はじき出したりしたそうだ。

 すげえ、人間業じゃない。まあ、人間じゃないけど。

 頼れる相棒を得たコウノイケ君は、もう人に「検算」を依頼する必要もなくなって、こちらとしては、ホッとしたものであった。

 これぞまさに、人類の英知の勝利といえよう。

 

 (続く→こちら

 

 

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棋書や雑誌でブレイクスルーへの下地作り ボンクラ将棋上達法 ガチすぎ道場編 その3

2021年08月09日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 子供時代通っていた「南波クラブ」(仮名)は、大人ガチすぎて、ちっとも勉強にならなかった。

 今でこそ

 「レディースセミナー

 「子供教室

 が充実し、全面禁煙など敷居が低くなった将棋道場だが(いいなあ)、昭和のころは、もう少しばかりアバウトな「オッチャンの世界」だった。

 そのことは、

 

 「指導対局なのに平手の本気で、ちっとも勝たせてくれない」

 

 というアオバさんのスタイルに如実に出ているが、他にもクセが強く「勝たせてくれない」大人は多かったもの。

 なので、今思い返すと、私は「駒落ち」というのを、ほとんど指したことがなく、まず初心者が入る「六枚落ち」や「四枚落ち」はおろか、「角落ち」「飛車落ち」も、たぶん一回も経験がない。

 唯一、やったことがあるのが「二枚落ち」で、それこそクラブのマスターはヒマなときに、それで指してくれたが、これがまた辛い

 こちらが定跡通り「二歩突っ切り」で挑むと、いきなり「△55歩止め」をくり出してくる。

 こういうとき、ふつうはまず、カニ囲いからの急戦や「銀多伝」など、定跡通りに指すもの。

 

 

先崎学九段が名著『駒落ちのはなし』で、
神様と命を賭けて二枚落ちを指せと言われたら、この戦型を選ぶ」
と書いた二歩突っ切り。
おそらく将棋の定跡の中で、もっとも論理的で、完成度が高いもの。

 

 

 

 下手が、ちゃんと勉強しているかをチェックして、そこから定跡をはずす手順を選ぶものだ。

 それを初手合いからガンガン、力戦に持っていく。

 

 

 

 二枚落ちの上手が見せるワザの定番「△55歩止め」。

 ▲同角なら、△54銀から△45銀と、一歩いただいて乱戦に持ちこむ。

 対処法を知っていれば、別にこれだけで負けることはないが、定跡通りに指すつもりだった下手は目の前が真っ暗になる。

 

 

 野球でいえば、初心者向けのバッティングセンターで、カーブスライダーチェンジアップが飛んでくるようなもの。

 三角ベースなのに、フォークボールで打ち取ろうとせんといてー、とつっこっこみたくなるが、やはりマスターもガチの将棋好きの「勝負師」。

 6級の子供相手でも、容赦はしないのである。大人の世界はキビシイのだ。

 そんなサンドバッグ生活が続いて、よう懲りずに通ってたなあと、あきれる向きはあるかもしれないが、それには理由があったのである。

 それが、道場の本棚に置いてあった、大量の棋書雑誌

 正直なところ、途中から実戦とかは、わりとどうでもよくなって、完全にが目当てで、通うようになっていたのだ。

 それは、ここまで書いてきた「勝たせてくれない」というよりも(それはとっくに慣れていた)、そもそも私は

 

 「勝負に勝ってうれしい」

 

 という感覚が希薄だったことが、わかってきたせいもある。

 負けると、それなりにくやしいけど、たまさか勝っても、あまりよろこびがない。 

 だから、自分が指すよりも、強い人のおもしろい将棋が見たくなった。

 『NHK将棋講座』『将棋マガジン』『将棋世界』『近代将棋』『将棋ジャーナル

 これら各誌のバックナンバー

 『ジャーナル』は、作家の団鬼六氏が主宰していたもので、かなり型破りであったし、またアマ棋界にうとかったため、『近将』も、どちらもあまり読まなかったけど(今思えばもったいない!)、他の3誌はなめるように読みまくった

 とくに、河口俊彦八段の『対局日誌』は、内容を暗記するほどに読みこんだもの。

 また、本の方も、

 

 原田康夫『将棋 初段への道』

 米長邦雄『米長の将棋』

 東公平『名人は幻を見た』『升田式石田流の時代』 

 湯川博士『奇襲大全』『なぜか将棋人生』

 

 などなど、読み物としておもしろいものも多くあり、これがまた、飽きなかった。

 中でも『初段への道』は自分でも買って、まだ子供時代の「羽生善治くん」が出ていたり(小学生名人になる前じゃないかな)、奨励会時代の中田宏樹三段(現八段)が見せた将棋が、内容的にすばらしくて感動したりと、ボロボロになるまで再読しまくった。

 この時点で、すでに実戦を指さない萌芽が見えていたというか、今風に言えば「読む将」になったわけだ。

 このとき読んだ解説観戦記が、今ここでネタとして役に立っているんだから、このころから私は、将棋に関してはファイターというより、学究タイプだったのだろう。

 そしてなにより、この特に勉強しようと思ってたわけでもない、ただの乱読で接していた「昭和の名局」の数々。

 これが時空を超えて、のちの

 

 「有段者へのブレイクスルー」

 

 につながることになるとは、ルマンドのカスをボロボロこぼしながら、中平邦彦名人 谷川浩司』を読んでいた愚昧な少年には、知るよしもないのであった。

 

 (高校詰将棋編に続く→こちら

 

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大人が子供をボコボコに負かしてはいけません ボンクラ将棋上達法 ガチすぎ道場編 その2

2021年08月07日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 通っていた将棋道場「南波クラブ」(仮名)で、

 「勝たせてくれない大人」

 からボコボコに、のされる日々を送っていた、小学生時代の私。

 棋力が6級では、しょうがないかもしれないが、それにしても、みな容赦がない。

 さらに「大人は勝たせてくれない」に、タナベさんという人もいた。

 棋力は三段で、アオバさんほどではないが強豪である。

 この人というのが、ダンディーで寡黙なアオバさんとちがい、子供好きで、すこぶる愛想のいい方。

 強いうえに、ニコニコしたオジサンとなれば、今度こそ棋力向上に役立ってくれそうな先生だったが、これまた申し訳ないがハズレであった。

 やはり、タナベさんもまた「負けてくれない」のだ。

 明るい笑顔で、

 

 「坊や、オッチャンと将棋しよか」

 

 声をかけてくるのだが(もちろん平手だ)、これがまー、また全然勝てない。連戦連敗である。

 またタナベさんの悪いところは、最初はリードさせてくれるんである。

 中盤の駒がぶつかったところくらいでは、ゆるめておいて、明らかに、こちらが勝ちそうな終盤戦を作ってくれる。

 もちろんこれはワザとで、その後の伏線だ。

 ただでさえ6級の終盤力なんて、水鉄砲くらいの威力しかないのに、有段者となれば非勢の局面から、あれこれとねばる術を、それなりに心得ているもの。

 その「ごまかし」の魔術をぬってゴールするなど、絶望的に不可能であり、圧倒的リードは、数手の悪手でアッサリくつがえされる。

 投了し、ガッカリするこちらを見て、

 

 「どうやボンボン、オッチャンもこう見えて、なかなか強いやろ」

 

 エッヘンと胸をそらして、ケラケラ笑うのである。憎らしいやっちゃ。

 といっても、タナベさんは意地悪をしているのではなく、子供をからかって

 「楽しくじゃれている

 というつもりなのだが、やられたほうは絶対に愉快ではないわけで、どうも、そこがよくわかっていなかったらしい。

 私など、頭のネジが抜けてるから、遊ばれても

 

 「いつものやつかー。子供を伸ばすためには、絶対に勝たせた方がええねんけどなー。わかってへんなー」

 

 なんて、ボンヤリしてたけど、他の子は下手すると、それで泣いちゃうんだよなあ。

 圧倒的優勢の局面をひっくり返されて、唇をかんでくやしがっているところに、ニコニコ顔のタナベさんが、

 

 「ボン、こんなヘボに負けるようでは、まだまだ修行が足りんなあ。みそ汁で顔洗って、出直してこなあかんで、カッカッカ!」

 

 なんて軽くあしらった日には、まじめに将棋をやってる小学校低学年はワンワン泣きます。

 また、タナベさんは、その口惜しがる様子を「かわいい」と思って、

 

 「やーいやーい、よわむし、けむし。泣いてすむなら、警察いらんでえー」

 

 なんて歌った日には、もうエンジンみたいに大泣き

 当然、その子は二度と道場にあらわれないのだが、状況を理解していない「子供好き」のタナベさんは、

 

 「こないだ指したケンタ君、あれから来てないの? なんでやろ。また将棋、教えてあげたいのになー」

 

 さみしそうに、そう漏らすわけで、もうコチラとしては苦笑するしかない。

 だれのせいやと、思てますねん!

 でも、こちらも立場的に、

 

 「子供には負けてあげたほうがいいよ」

 

 とはいえないしなあ。お子様ランチはツライよ。

 ホントなあ、このときばかりは、大人はなんもわかってないよと、フランソワ・トリュフォーの気分になりましたね。

 ハッキリ言っちゃいますが、世のオジサン(おお、私もいつの間にかこっち側だ!)が思う

 

 「おもしろい」

 「冗談」

 「からかって遊んでる」

 

 これらは、まあまあの確率で、やられた方はイラッとしてます。

 セクハラとか、若者が飲み会を嫌がる場面とか、お笑い芸人のマチズモや、政治家の下品な失言とか、なんでもそう。

 本人は「冗談」「ノリ」でも、受け取る側との温度差が絶望的で、またそれが、まかり通ったのが「昭和」という時代でもあった。

 道場のおじさんたちは、みな基本的にはいい人だったんですけど、これはもう「悪気」の有無の問題でもなくね……。

 他人の取った金メダルを噛むとかですね、もう頭を抱えます。

 「ウケる」と思ったんだろうなあ……。

 「南波クラブ」に、私以外の子供がいなかったのは、きっとこんなところに理由もあったのだろう。

 おかげで、ちっとも同年代の将棋友達ができなかった。

 以前、石井健太郎六段がNHK杯に出場したとき、解説が師匠の所司和晴七段だったんだけど、そこでやはり、

 

 「石井君が道場に来たとき、大人がからかってメチャクチャに負かしたうえで、泣いてるところを笑うんですよ。

 もちろん、大人は【一緒に楽しく遊んでる】つもりなんですけど、これじゃダメだと、別室に読んで指導することにしました。そこでは、とりあえず、たくさん負けてあげるところからはじめました」

 

 みたいな内容のことを語っていて、観戦しながらタナベさんのことを思い出したものだ。

 いずこも同じだなあ。

 

 (続く→こちら

 

 

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大人は勝たせてくれない ボンクラ将棋上達法 激辛道場編

2021年08月05日 | 将棋・雑談

 前回(→こちら)の続き。

 

 「ダラダラしながら初段になりたい!」

 

 という、スカタンきわまりない将棋ファンのため、「定跡書」「詰将棋」といったトレーニングと無縁なまま、茫洋と二段になった私が、アドバイスしてみることにした。

 わけだが、自分はかなり特殊というか、長い将棋ファン歴で、

 

 「ほとんど実戦を指さない」

 

 というタイプなので、その上達のプロセスを説明するのが、少々ややこしい。

 そこで、まず根本から話してみようということで、将棋自体をおぼえたのが、前回言ったように小学生のころだった。

 初めて買った『将棋マガジン』に載っていた、順位戦C級2組の表の最後尾に

 

 「四段 羽生善治」

 

 という表記があって、6回戦で小阪昇五段に敗れて、昇級戦線から脱落した将棋が紹介されていたから、1986年半ばくらいだったのだろう。

 

 

 一番下にデビュー1年目の羽生善治の名が。

 

 

 父親に、なんとなく町の道場に連れていかれたのだが、それが「南波クラブ」(仮名)というところ。

 今は知らねど、昭和のころの将棋道場というのは基本的に「オッチャンの社交場」であり、女子供にはすこぶる敷居が高かった。

 気はいいが、ガラッパチでブルーカラーのおじさんたちが、煙草の煙モウモウの場所で、軽口鼻歌まじりに指している場には、入ることすら、ちょっとした度胸がいるもの。

 当然、子供が入ったところで「指導する」という文化も、ノウハウもない。

 せっかく道場に行っても、気の知った仲間と指したいオジサンは、愛想のない私などにかまうわけもなく、ひとりぽつねんと取り残されるわけである。

 さすがに、それで席料は取れないということで、マスターがひとりの先生を用意してくれた。

 それがアオバさんという、30代後半くらいの男性。

 棋力はアマ五段

 作家の沢木耕太郎さんのような、ダンディーな雰囲気を漂わせており、この人がこれから指導してくれると。

 そんな強いうえに、物腰もやわらかな紳士に教えてもらえるとはと、期待は高まったが、残念なことに棋力向上の手助けにはならなかった

 理由は簡単で、この人が勝負に関してはマジの大マジで、対局がすべてガチだったから。

 まずガチなところが、手合いがすべて平手戦であったこと。

 当時、こちらの棋力が、アマ6級程度。

 それとアマ五段となれば、二枚落ちですら、まず勝てないほど差があり、六枚落ちとか、それくらいからはじめていいほどであろう。

 それがオール電化ならぬオール平手

 こちらが何連敗しようが、手直り(勝敗ごとにハンディのレベルを変えていくシステム)はなく、延々と平手。

 飛車落ちや角落ちのような、軟弱なハンディ戦など望むべくもなく、すべて互角の条件でのファイト。

 文字通りの「大人子供の戦い」である。

 こんなもん勝てるはずもないというか、ほとんどの勝負が仕掛けの時点でついてしまうほどだが、ガチレベル2として、さらにこんなものもついてきた。

 

 「戦型は全部、アオバさんの右四間飛車」

 

 将棋を多少かじった方ならわかると思うが、右四間というのは破壊力のある戦法である。

 プロレベルだとそう簡単ではないが、アマ級位者クラスなら△62飛△73桂△54銀の形から、△65歩

 とか仕掛けられれば、もうそれだけで防戦困難で、早指しの将棋なら、そのまま無抵抗で、つぶされてしまうことも多いだろう。

 私の場合も、まさにそれ。

 ただでさえ、アマ五段6級という、絶望的な体格差があるのに、そこに右四間でバリバリ攻められては、こちらもなにもできない。

 

 

 

 五段のこの攻めを受け切れる6級など、地球上には存在しません。

 

 

 しかも、居飛車でいこうが、振り飛車にかまえようが、かまわず△62飛から△65歩

 そのまま、タコなぐりにされて終了である。か。

 これでは指導対局もへったくれもなく、ただただ、なにもできずに負け続けることに。

 途中から、ちょっと数えてみたのだが、結局アオバさんとは最低50局

 下手すると、100局近く教えてもらったが、勝てたのはわずか2回

 その数少ない勝利も、アオバさんが、自陣の詰みをウッカリする「トン死」であり、まったくのマグレである。

 これもまた、ガチのポカであり、その証拠に2回とも、投了後のアオバさんはのような形相

 感想戦でもきびしい口調で、

 

 「なんてバカな! こんなひどい見落としがあるものか!」

 「油断した。でなければ、こんな錯覚などするはずがない!」

 

 頭をかかえてボヤきまくりで、メチャクチャに悔しがる

 あまつさえ、こちらをキッとにらむと、

 

 「こんな結末は、めったにあることじゃない。これを実力と過信したら、とんでもない落とし穴に落ちることになるぞ!」

 

 そんなん思てませーん(苦笑)! 

 どんだけマジなんや。こっちは素人の子供なんだよー。

 まあ、アオバさんは指導に関しては素人の「勝負師」だし、まったく悪意がないのは子供心にもわかった。

 とにかく、アオバさんは将棋にマジメで、その証拠に感想戦などは、すごく丁寧に(レベルが高すぎてついていけないことも多いけど)教えてくれる。

 ただ、実戦となるスイッチが入ってしまい、相手を見て「ゆるめる」みたいなことはできない人なのだ。

 高倉の健さんですね。「自分、不器用なんで」。

 だからまあ、別にイヤな思いはしないというか、途中からはもう半分おもしろがってたんだけど、これでは上達の一助にならないのは、ハッキリしている。

 

 「子供や彼女(妻)に、将棋のおもしろさを知ってほしいんですけど、どうすればいいですか?」

 

 男性将棋ファン永遠の願いには、羽生善治九段の言う通り、

 

 「簡単です。100回対局して、100回とも負けてあげてください(笑)」

 

 これしかないんだけど、なかなか、むずかしいもんであるなあ。

 

 (続く→こちら

 

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定跡の知識や詰将棋なしで、初段になりたい! ナマケモノが教える、ボンクラ将棋上達法

2021年08月04日 | 将棋・雑談

 「将棋ってさー、どうやったら強くなれんの?」

 

 というのは、将棋ファンが友人などから、たまに訊かれたりすることである。

 特に昨今は、ブームを受けて以前より多くなったと思われるが(ありがたいことです)、ではこの問いには、どう答えるのがいいのか。

 得意戦法を身につける、詰将棋を解く、プロの対局を観る、いやいや結局、大事なのは実戦だよ、などなど。

 まあ、それがふつうというか、間違いなく「正解」なのだが、たいていの場合「強くなりたい」の前には、こういう言葉がセットになるのだ。

 

 「努力しないで」

 「ゴロゴロ寝ながら」

 「マジ、超テキトーな感じで」

 「へーこいてプー」

 

 人生をなめとんのかと、足つきの六寸盤で、頭をカチ割ってやりたくなるが、まあこう言ってはなんだが、私だって将棋の部分を

 

 「スポーツ」

 「勉強」

 「女にモテる」

 

 などに変えれば、似たようなことは、しょっちゅう言ってるわけで、そら、

 

 「どうやったらテストの成績が(楽勝で)上がるのか」

 「テニスが(サボって)うまくなる方法、教えて」

 

 を訊いてるのに、

 

 「コツコツと積み上げることが大事。すぐには結果が出ないかもしれないけど、基礎を地道に反復練習すれば、いつかは伸びるから。長い目で見ていこう」

 

 なんてアドバイスされた日には、苦笑いしながら、

 「そういうん、ちゃうねん」

 坂口安吾の、

 

 「正しいことは、正しすぎるから私は嫌いだ」

 

 という言葉を思い出させられる。

 人生は、そんな理屈通りで動くような、甘いものじゃないんだぞと、説教したくなるくらいだ。

 やれ、通勤電車で詰将棋だ、休みの日は将棋ウォーズで指しまくれだと言ったって、「はあ……」でおしまいで、まあ言ってしまえば、それが「ふつう」なのである。

 ただ、そういう結論では、いかにも夢がない。

 私はここで、けっこう将棋のネタを書き散らかしているが、自分の腕自体は「将棋倶楽部24」で最高二段である。

 ずいぶんの話で、今は絶対そんな棋力はないけど、一時期そこまで行けたのは事実。

 将棋をはじめた人が、とりあえず目指すところといえば「アマ初段」だから、そこをクリアしている身としては、それなりのアドバイスもできるわけだ。

 しかも自分でも、かなりいい加減に、そこまでたどり着けたという実感があって、

 

 「ボーッと棋譜並べをして、3ヶ月だけネット将棋を指しまくったら、ブレイクスルーが起って有段者になれた」

 

 ついでにいえば、定跡も手順があやふやで、詰将棋もほとんど解いてない。

 必至問題や「次の一手」なども、すべてスルーするという、華麗なナマケモノ将棋ライフ。

 それでよう有段者になれたなと、あきれる向きもあるかもしれなが、逆に言えばそんなボンクラでもなれたと、そこに希望があるとも言える。

 これくらいなら、相当にハードルが低く、初心者の方にもやる気が見えるかもしれないが、これがそう単純な話に、まとめられない事情があって困りもの。

 というのも私の将棋歴というのが、かなりかたよったもので、

 「実戦をほとんど指さない」

 というタイプの将棋ファンだからだ。

 どれくらい指さないかを具体的に語ってみると、ルール覚えたのは小学生のころ。

 道場に通って、そこではそこそこ指したものの、たいして上達には役に立たず

 その後中学3年間は『将棋マガジン』と『将棋世界』を、毎月買うほどどっぷりハマりながらも、周囲に将棋ファンがいなくて、一局も指さず

 高校生のときにやっと将棋の、それもコアなファンに出会い友人になり、棋力も同じくらいだったけど、少々変わった事情があって、3年間のつきあいで、20局くらいしか対戦せず。

 その後、18歳から25歳くらいまで、またも一局も指さない空白期に突入。

 そこでようやっと「将棋倶楽部24」に出会い、3か月ほど指しまくったら二段になるどころか、「あと1勝三段」というところまでいった。

 その後はまた20年近く、ほとんど指さない期間が続くことに。

 つまり、ただでさえ、有段者になるまでの局数が少ないうえに、30年の将棋ファン歴で、指さない期間が27年もある。

 しかも、もっとも棋力がのびると言われる10代に、実戦と無縁だったのだから、おかしなもの。

 とはいえ、特殊だからこそ「ふつうのやり方」で伸びが止まっている人の、突破口になる、なにかが生まれるかもしれない。

 そこで今回から、少しばかり、そのあたりのことを振り返ってみたい。

 私と同じく、

 

 「ダラダラしながら、初段になりたいぜ!」

 

 という、頭の底が抜けた将棋ファンの方々の、参考になれば幸いである。

 

 

 (続く→こちら

 

 

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「米長哲学」とはなにか 大野源一vs米長邦雄 1970年 第24期B級1組順位戦

2021年06月23日 | 将棋・雑談

 1970年の、第24期B級1組順位戦

 その最終日は、後の将棋界に、多大な影響をあたえることになる1日だった。

 ということで前回は、自身は消化試合なのにもかかわらず懸命に戦い、大野源一九段の「58歳A級」という夢をはばんだ、米長邦雄七段の将棋を紹介した(今回の記事はこちらの米長−大野戦セットで読んでいただくと、より理解が深まります)。

 それを読んでいただいた方で、中でもカンのいい人なら、途中で察せられたのではないか。

 そう、あれが「米長哲学」という言葉を生んだ、有名なエピソードなのである。

 「米長哲学」とは、

 

 「自分には関係ないが、相手には人生のかかった大勝負。こういうときこそ、真剣に戦って勝たなければならない」

 

 論理的には筋が通ってないのだが、それゆえにというべきか、不思議な説得力重みのある言葉。

 実際、今の棋士は若手からベテランまで多くが、この哲学通り消化試合でも100%の力を出そうとする。

 ハッキリ言って相手からすれば「よけいなお世話」で、かつて名人挑戦権をかけた勝負で、消化試合だった米長に敗れた森安秀光八段は、

 

 「米長さんは、どうしてボクに意地悪をするんだ」

 

 酔って泣きぬれたそうだが(森安と米長はウマが合う間柄だった)、このあたり、この問題を語るときに棋士や評論家のよく言う、

 

 「プロなんだから勝ちに行くのは当然だし、負かされた方も勝負なんだからサッパリしたもので、それを恨んだり文句を言ったりしない」

 

 という声と、微妙に温度差があったりして興味深い。

 そりゃ人間の心なんて、そんな簡単なものではないですわな。

 やはりこの哲学のキモは、

 「どこか、矛盾をはらんでいる」

 ことだろう。

 実際、渡辺明三冠や、森下卓九段などは「違和感がある」と表明している。

 この手の例は枚挙にいとまがなく、たとえば棋聖のタイトルを取り、大山康晴十五世名人と、何度も血涙の一戦を戦った山田道美九段

 勝てば、相手を強制引退に追いやる、という一番を勝利で終えたあと、

 


 「人を不幸にして……ボクはなにをやっているんだ……」


 

 終局後、盤の前で涙したという。

 現役棋士なら先崎学九段も若手時代、『将棋世界』のエッセイにこんな一文を寄せていた(改行引用者)。
 
 
 

 話は遡るが、新四段の年、十八歳で順位戦に臨んだ僕は、最終戦を七勝二敗で迎えた。上がり目はなく、消化試合だった。
 
 しかも、人数の多いC級2組では奇跡的なことだが、勝っても負けても順位が全く変わらないという状況だった。
 
 相手には、降級点が懸かっていた。師匠の米長先生にはこういう時は、必ず全力で指して勝つのだと教わった。
 
 だが、僕は、勝ちたくなかった。相手は、日頃から親しくさせて頂いている先輩だからである。
 
 負けよう―――と思ったが、十八歳の人間が、わざと負けようとするには、純粋な心のとの葛藤を避けるわけにはいかない。
 
 迷って相談すると、返ってくる答えは決まって「甘い」だった。僕も甘いと思った。

 僕は、どうでもいいやと思って指し、しかも勝ってしまった。対局後、猛烈に後悔した。
 
 はっきりいって、勝つつもりはなかった。指していたら、必勝形になってしまった。あっという間に終わった。
 
 なんで負けなかったんだろう。勝つ意味はなかった。本気でそう思った。以来、悔恨の念は、間欠泉のようにまばらに吹き出し、僕を襲った。
 
 迷ったことと、勝ったことのふたつが、複雑に絡み合い、揺さぶられつづけた。その度に、自分は甘すぎると思い、反吐が出そうだった。

 

 
 あの羽生善治九段もまた、若いときに消化試合で「つらい勝利」を味わった(その将棋は→こちら)。

 それくらい、消化試合で「勝ってほしい相手」と戦うことは人を惑わせる。

 逆に昔なんかは、若手棋士に昇級や降級のかかっている対局で、ベテラン棋士が、

 「今日は、ごちそうになろう」

 なんて早々と投げてしまうケースもあったりして、このあたりは人それぞれとしか言いようがない。

 実際、米長も著書の中で、そういう「人情相撲」的な態度を、

 


 「それが自然な心情」


 

 そう書いているのだ。

 複雑な気持ちにゆれながらも大野に勝利し、

 


 「タイトルを争いうるところまできたと確信した」


 

 と言い切った米長だが、それは、

 「勝ってしまった罪悪感を、なんとか処理しようとする、アンビバレントな心情」

 の発露のような気もするし、たぶんこれは、

 

 「八百長はよくない」

 「そこを非情になれるメンタルでないと、トップにはなれないのだ」

 

 みたいな、われわれレベルでも思いつくような、ありきたりな考えでは、語れない問題なんだろう、きっと。

 これはもう、「正解」なんてない。

 もしあなたが

 

 「プロなんだから手を抜くな」

 

 と思っても、

 

 「別に、負けてあげればいいじゃん」

 

 と感じても、

 

 「それは逆に対戦相手に失礼でもあるんだから、状況にかかわらず全力で」

 「他力で待つ人の人生もあるんだから、やっぱりがんばるべき」

 「強いヤツを足止めするため、わざと組みやすい相手を勝たせておくという手もあるぜ」

 

 でも、なんでいいけど、それらはきっと「どれも正解」で、同時に「どれも間違い」でもあるのだ。

 それこそ、私だったら別に勝ちません。

 そこを「甘い」「プロ失格」とか言われても、「そうでっか」としか言いようがないのだ。

 マイケルサンデル教授に、ハーバードで取り上げてもらいたいくらい、ややこしくも、人間くさく、めんどくさい悩み。 
 
 ただひとつだけ言えることは、米長によって、この問題の行末を「道一本」にしぼることになったのは、大きかったろう。
 
 先輩のこういう姿を見せられ、またそれが浸透した以上、少なくとも続く者の悩む負担を、軽減させたのは間違いない。
 
 「やるしかない」のだから。
 
 そして、状況はどうあれ、
 
 「目の前の将棋を全力でがんばる」
 
 というのはプロの、いやさ、すべての「将棋指し」にとって正義の結論であること。
 
 これだけは、たしかなのだから。
 
 

  (「激辛流」丸山忠久の「友達をなくす手」編に続く→こちら

 

 

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「観る将」と「指す将」 実戦心理が妄想できれば、将棋観戦の楽しさ爆上がり!

2021年06月05日 | 将棋・雑談

 「【観る将】の人が、たまには実戦も指すようになったら、もっとブームが盛り上がるかもね」


 なんてことを言ったのは、将棋ファンの友人、ミクニ君と電話していたときであった。

 事の発端は、昨今の将棋ブームですっかりメジャーになった

 「観る将

 と呼ばれる人たちについて、話していたとき。

 「観る将」とは、自分で将棋を指さず、観戦専門に楽しむということ。

 しかも最近の新しいファンは、将棋の内容がわからなくても、棋士のキャラクター食事また将棋界の独特の価値観など、盤上以外諸々を楽しむという人も多く、その視野の広がりは「ブーム」の特産物と言えるかもしれない。

 そういう、これからどんどん増えてほしい《観る将》だが、私やミクニ君のような古参ファンからすれば、ひとつアドバイスしたいのが、

 


 「《観る将》の人も、ためしに実戦もどうですか?」


 

 と言ってみると、《観る将》側からは、

 


 「うーん、実戦は敷居が高いかも」

 「指しても、きっと弱いし……」

 「観てるだけでも、十分楽しいからね」


 

 ためらう声は多いだろう。

 そこを「よけいなお世話」と理解しながら、それでもすすめてみる理由はなにかと問うならば、まず単純に実戦は楽しい

 それともうひとつ、というか、実はこっちが結構メインな理由なんだけど、《観る将》の人に実戦をすすめるのは、

 


 「自分も指してみると、絶対に観戦が、よりおもしろくなるから」


 

 かくいう私自身が実は、そんなに指さないタイプのファンだからこそ、ここは経験的にも強く推せるところで、それは

 

 「盤面の意味が、より深く理解できるようになる」

 

 という直接的な理由とに加えて、もう少し感覚的なこと。

 たとえば、観戦していて、解説のプロや女流棋士が、こんなことを言うことがありませんか?

 


 ★「いやー、ここで手番を渡されると、頭をかかえますねえ」



 ☆「優勢になって、『どうやっても勝ち』という局面こそ、迷ってしまって、かえって危ないんですよ」



 ★「AIの判定では先手が80%と出てますが、人間的にはむしろ、後手が勝ちやすそうに見えます。これ、ホントに8割以上あるのかなあ」



 

 先日の、藤井聡太王位棋聖稲葉陽八段とのB級1組順位戦でも(メチャクチャおもしろかった!)、佐々木大地五段が、

 


 「評価値は、ほとんど互角ですけど、先手(稲葉八段)が勝ちやすい気がします」


 

 また、中村太地七段戸辺誠七段も、

 

 


「こんな、うすい玉をずっと見さされたら、さすがの藤井二冠も疲れますよ」


 「評価値は45対55ですけど、先手を持ちたい人も、多いんじゃないですかね」


 

 みたいな。

 こういったことを聞くと、こちらとしては単純に、

 


 1のケース

 「なんで悩んでるんだろう。手番をもらったら、ふつうはなんじゃないの?」

 


 2のケース

 「どうやっても勝ちなら、別にどうやっても勝ちなんだよね? 迷うことないっしょ」

 


 3のケース

 AIがそう言ってるのに、なんで納得してないんだろう。てか、【勝ちやすい】って、どういうことなのかなあ」


 

 なんて首をひねりたくなるわけですが、これがですねえ、自分で指してみると、すんごくよくわかるんですよ。

 「評価値」ではわかりづらい、「実戦心理」というヤツです。

 それこそ、遊びでも将棋を指したことがあるなら、上記の状況でも、

 


 1のケース

 なに指したらいいか、わからん場面での手渡しはキツイ

 はあー、色々ありそうやのに、一手も見えへんて、どういうことやねん。

 こっちが悩んでるの見て、コイツ内心で、ニヤニヤしてるんやろうなあ。

 「大悪手、お待ちしてます」みたいな顔しやがって、意地の悪いやっちゃ。

 でも実際、なにやっても悪手になる気がするやん!(焦)

 


 2のケース

 余裕勝ちやのに、決めるとなるとフルえるなあ。

 あれも勝ち、これも勝ち、どうせやったら最短で勝ちたいけど、だいたいそういうのは落とし穴があるもんやねん。

 攻めて勝つか、受けて勝つか……て、あれもう残り1分

 ぎえー、あせるあせる! あ、悪い手やってもた(泣)

 


 3のケース

 はー、なんとかリードは奪ったけど、またここからが長いんや。

 AIは優勢とか言うとるか知らんけど、こっちの玉は薄いし、向こうはまだアヤシイ手でねばってきそうやし、どこに落とし穴があるか、ワカランで。

 カイジの鉄骨渡りと同じや! 

 そら、機械やったら怖がらんと、まっすぐ歩けるから平気やろうけど、人間は下見てまうからなあ。そんな簡単やないのよ。


 

 ……なんて、心が千々に乱れるわけなのだ。

 で、それもまたきっと、われわれのような素人と、アマ高段者からトッププロでも、さして変わらない

 彼ら彼女らはトレーニングを積んでるから、ポーカーフェイスをつらぬけるだけで、やらかした瞬間の、

 「!」

 内心で、真っ青になっているところは、絶対に同じはず。 

 実はそれこそが将棋観戦の、さらなるおもしろさだったりするのだ。

 そう、将棋を《観る》おもしろさは、盤面の戦いと同じくらい、いやときにはそれ以上に、

 

 「人の心がブレる瞬間」

 

 これこそが、真の醍醐味なのである。

 それを、自分で指せば、ものすごく実感できる。

 棋士たちが迷うとき、フルえるとき、やってはいけない場面で、やらかしてしまうとき。

 


 「ポカウッカリは指して、駒からがはなれた、その瞬間【うわ、やってもた!】と気づく」


 「悪手を指したあと、あせって指した次の手は、やっぱり悪手」


 「相手がミスしたら、【待った】なんてできないはずなのに、【しめた!】と、つい手拍子のノータイムで対応してしまい、しかもそれが、たいてい悪い手


 

 みたいな、「あるある」とか(嗚呼、書いてるだけで胸が痛い……)。

 指し手の理解は、その人の棋力に比例するが、気持ちの揺れは、おそらくだれしもが理解し、共感できる。

 その経験が、将棋観戦を何倍にも興味深くする。

 だからこそ、むしろ《観る将》の人にこそ、一度プレイしてみることを、強くおススメしたいのだ。

 あの、悪手を指した瞬間の、全身から血の気が引く感じや、優勢な将棋をまくられたときの、の血液が一瞬でゆだるところ。

 それを体感しておくだけで、ひいきの棋士への肩入れ度も、さらに爆上がり間違いなしなのです。

 

 (鈴木大介の勝負手と「妄想」実践編に続く→こちら

 

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『将棋2』で、野田クリスタルにモノ申す! マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0と、インドのチャトランガ

2021年05月14日 | 将棋・雑談

 「いわば【将棋2】ですよ」

 深夜のラジオ番組で、そんなことを言ったのは、マヂカルラブリー野田クリスタルさんであった。

 きっかけはM-1優勝後から、各メディアでブイブイ言わしている野田さんが出しているゲームの話題から。

 その名も「スーパー野田ゲーPARTY」。通称「野田ゲー」。

 M-1優勝の原動力となった「つり革」や、かわいい(?)動物を使った「干支レース」など、おもしろそうなゲームが目白押しだが、当ページ的に気になるのは、当然これであろう。

 「将棋2

 いわゆる本将棋をベースにしたものだが(正確にはローマ数字の【Ⅱ】表記)、玉がどれかプレーヤーにもわからないわ、駒が200種類もあるわ、場外にも動かせるわと、かなり横紙破りな内容。

 さっそく、「これは将棋ではない」論争が起こりそうだが、実際、お二人のやられている「オールナイトニッポン0」でも、

 

 野田「これはすごいぞ。なんたって、将棋の続編だからな」

 村上「いや、将棋はドラクエみたいなシリーズものじゃないから」

 野田「その名も【将棋2】。【将棋1】を、よりおもしろくしてるから」

 村上「え? 野田さんは将棋のことを【将棋1】って呼んでるの? いつか、日本将棋連盟に怒られるよ!」

 

 なんてやりとりがあるわけだが、その通り。

 私はこの『将棋2』に、非常なる違和感をおぼえる一人だ。

 指摘したいのは、そもそもの『将棋1』というネーミングのこと。

 たしかに「将棋2」という響きはおもしろく、氏のワードセンスが光っているが、残念なことに「将棋」自体が、そもそも「1」ではない

 将棋というと、日本古来の伝統文化のようであるが、実はわが国オリジナルの遊戯ではなく、世界にはそれ以外にも、チェスをはじめ、中国将棋の象棋シャンチー)や朝鮮将棋のチャンギ。

 またタイのマークルックなど、様々な形の「将棋」が存在する。

 で、実はこれら世界の将棋には、さらなる元ネタというのが存在し、それが将棋の起源とされており、それこそが

 「チャトランガ」。

 古代インドのボードゲームで、を使って盤上で戦うという、まさに「将棋」。

 好戦的な王様に戦争をやめさせるため、ある高僧が「代用品」として制作したという説があるが、真偽のほどは不明。

 2人制と4人制のルールがあるそうで、ペルシャアラビアでは、サイコロを使って遊ぶこともあったとか……。

 ……なんて、こまかいことは増川宏一さん著書の『将棋の起源』(平凡社ライブラリー)などを読んでいただきたいが、ざっくりいえば、

 

 1・インドで生まれたチャトランガが、シルクロードなどを通って、東西に広がった。

 

 2・西へ行ったチームはアラビアペルシャで「シャトランジ」になり、ヨーロッパでは「チェス」に。

 

 3・一方、東方遠征組は、お約束のように中国に渡って「シャンチー」に。

 

 4・その後、朝鮮半島で「チャンギ」。東南アジアでは「マークルック」などになって遊ばれることに。

 

 5・最後に極東の日本が、それをキャッチし「将棋」になった。

 

 つまり、まとめれば将棋自体が「1」ではなく、さかのぼればインドのチャトランガ自体が

 「チャトランガ1

 あるいは、

 

 「初代チャトランガ」

 「ファースト・チャトランガ」

 「無印チャトランガ」

 

 などなど、呼ばれるべきなのだ。

 そこからカウントすれば、西方組は「シャトランジ」が「チャトランガ2 見知らぬ国のトリッパー」。

 「知の象徴」とされるチェスは「チャトランガ3 モーフィー時計の午前零時」ということになる。

 これでいけば、インドから中国に行って成立した「象棋」も「チャトランガ2 恋姫†無双」。

 西と東のどちらが「正統な2か」は議論があるだろうが、ここは東の話にしぼれば日本将棋連盟のホームページによれば、そこから朝鮮半島経由か、あるいは東南アジアから伝えられ「将棋」が生まれた。

 どちらにしても、ワンクッションあるということは、「チャンギ」か「マークルック」が「チャトランガ3 漢江の怪物」あるいは「チャトランガ3 ハヌマーンと仏像泥棒」。

 そして、日本の将棋は「チャトランガ4 武将風雲録」ということになるわけだ。

 以上のようなことを丁寧に見ていけば、野田氏の意見に違和感を感じたことは、容易に想像できるだろう。

 将棋をシリーズ化するなら「将棋1」より、やはりここは「チャトランガ4」と呼称すべきなのである。

 必然、野田氏の作ったゲームは、その続編だから、「チャトランガ5」。

 あるいは「インド将棋5」と、名づけるべきではないか。

 このままでは世界中に散らばる「チャトランガ警察」が黙っていないだろう。

 

 「パクリ疑惑」

 「インド起源の遊戯を、あたかも自国の伝統文化のよう吹聴する歴史修正主義」

 「取った駒を使えるよう勝手に改変するなど、オリジナルにリスペクトがない」

 

 などなど彼らに見つかれば炎上必至であり、野田氏の今後のキャリアにも関わってくるやもしれぬ。

 なので、一刻も早く「将棋2」を「チャトランガ5」あるいは「インド」呼称では、また「国名原語主義警察」に捕まるおそれもあるため、

 「バーラト将棋5

 と改めることをオススメする。

 

 

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