『太陽通り ゾンネンアレー』を読む。
著者のトーマス・ブルスィヒは、旧東ドイツの作家。
ドイツ文学というと、それだけで地味でマイナーなイメージで、これがさらに東ドイツとなると、ますますなじみがないよなー。
となるところだが、なにげに手に取った戯曲『ピッチサイドの男』が、えらいことおもしろかったんで、彼の代表作である『太陽通り』も読んでみることにしたのである。
先に『ピッチサイドの男』の説明をしておくと、戯曲といっても、これが一人芝居。
それも、主人公が動きもなく開幕から終幕まで、ずーっと一人で息継ぎもなくしゃべりっぱなし。
なので、お芝居というよりも、モノローグ小説としても読める。
旧東ドイツ時代に、ブイブイいわしていたサッカーチームの監督が、壁崩壊後は工場の夜勤で働きながら、無名チームの指揮を執っている。
その監督が、舞台で吠えるわけなのだ。
あの栄光の時代とくらべて、今のオレはなんだ!
東西ドイツの統合は、そもそも統一という名の「西側の併合」だといわれているが、その現代ドイツの社会変革のうねりに直撃された「オッシー」(東側住民に対する蔑称)が、もうひたすらにボヤいてボヤいて、ボヤきまくる。
サッカーしか能がない、ゴリゴリの保守主義者(だけど「左翼」になるのかな)の
「あのころは良かった」
からはじまって、西側に対する怒り、ひがみ、ねたみ、そねみ、チームの消失、失業の嘆き。
さらには女や外国人や、その他モロモロの気にくわない連中への差別意識など、もうグチをこぼす、こぼす。
あげくには、自分の弟子が軍務中に殺人事件など起こしたりなんかして、もう監督やってられません。
町田町蔵さんの曲のごとく、「ほな、どないせえちゅうねん!」と。
というと、なんだか暗くて救いがなさそうであるが、これがなにか妙にユーモラスというか、監督の語り口があまりにも絶妙なもんで、ついつい笑ってしまう。
あつかっているのは重い政治的テーマなのだが、同時にこれは一級品のコメディーでもあるからだ。
「おもろうて、やがてかなしき」
といった、見事なボヤき漫談に仕上がっている。とにかくもう全編、監督絶好調。
歴史のうねりに翻弄された、東ドイツの人々のかかえる問題や鬱屈を、たくみな「笑い」でコーティング。
ともすれば「怒り」や「告発」といった単調な「社会派」になりそうなところを、一級の娯楽作に仕上げているあたりに、作者の並々ならぬ力量を感じ取れる。
ドイツ文学といえばよく、
「笑いの要素が少ない」
といわれるが、トーマス・ブルスィヒはそこに、
「そんなことないよ!」
反旗の一石を投じたと言えよう。
古き良き(?)祖国への愛と、郷愁と自虐が、絶妙にブレンドされた『ピッチサイドの男』。
ぜひ一読して、「ドイツ喜劇も、全然おもしろいやん」と開眼していただきたいもの。
……て、『太陽通り』のこと書くスペースなくなっちゃったよ。次回(→こちら)に回します。