トッカータとグーガ グスタボ・クエルテンの技法

2013年05月23日 | テニス
 その日パリに突然あらわれたのがグーガだった。

 スポーツの世界には、俗に「彗星のごとくあらわれる」チームや選手というのがいる。

 サッカーで言えば1992年のヨーロッパ選手権のデンマーク代表のように、ひょんなことから出てきたと思ったら、気がつけばあれよあれよといううちに頂点に立ってしまった、というような。

 テニスでも、ウィンブルドンで大会史上最年少記録の17歳7ヶ月で優勝を果たしたボリス・ベッカーのように、無名の選手が一夜で大化けするケースはあるものだが、私のリアルタイムで見たもっとも「彗星のごとく」な選手といえば、ブラジルのグスタボ・クエルテンだった。

 クエルテンが初めてその名をとどろかせることとなったのは、1997年のフレンチ・オープン。

 一昔前の全仏オープンは、クレーコートという遅めのサーフェスであるという性質上、パワーとスピードにすぐれたトップ選手が、なかなか活躍できないという特徴があった。

 ゆえに、芝のウィンブルドンやハードコートのUSオープンなど、他のグランドスラム大会ではなかなか上位に来ない「クレーのスペシャリスト」な選手が上位を占める傾向にあるのだが、その中から飛び出してきたのがクエルテン。
 
 97年大会も、遅いコートを苦手とするピート・サンプラスやゴーラン・イバニセビッチが早期敗退したのは予想の範囲内というか、ほとんどパリの風物詩だが、1995年大会のチャンピオンであるトーマス・ムスターや、96年優勝のエフゲニー・カフェルニコフなど、クレーに強い優勝候補が相次いで敗れたのは予想外であった。

 この二人を倒したのが、グスタボ・クエルテンである。

 ムスターを3回戦で、カフェルニコフを準々決勝でそれぞれ破ったのであるが、このときはじめて見たの彼のテニスは鮮烈であった。

 これまでローラン・ギャロスで勝つプレーヤーというのは、大きく後ろに下がったところにポジションを取り、体全体で打つ強烈なトップスピンとフットワークでもって、持久戦から相手をねばり倒すというのが主流な戦い方だった。

 そんな花の都のイメージとは真逆な泥臭いテニスがこの大会を席巻しており、それゆえにフレンチは4大大会の中で人気面ではかなり劣るところがあった。

 アグレッシブなスタイルで人気なトップ選手が次々と1週目で姿を消し、残った、こういってはなんだが「誰やねん」な選手が延々と終わらない単調なラリーを続けるだけなのだから、それも当然といえば当然だった。

 だが、クエルテンのプレースタイルは、それまでのクレーのイメージを一新させることとなる。

 後ろからのグラウンド・ストローカーであったことは、これまでのチャンピオンと同じだが、彼がちがったのは、そのシャープなショットと身のこなし。

 ひょろりと細長い手足を、やわらかく、しならせて打つショットは、スピードに乗って次々と相手コートにエースとなって突き刺さる。

 特に片手打ちのバックハンドは目にあざやかなほど美しく、女子のジュスティーヌ・エナンのそれと双璧だった。

 グーガ(クエルテンの愛称)のテニスは、とにかく明るかった。これまでの土と泥のにおいのする、観戦するだけで全身に力が入るような根性テニスではなく、6月のパリの青空のような、スカッと抜けるような壮快なテニスだった。

 コート上で踊るようなそのプレースタイルに、誰かが「サンバテニス」と名づけた。

 見ているだけで心躍るような見事なテニスで、次々とジャイアント・キリングを披露したクエルテンは、気がつけば決勝戦の舞台に立っていた。相手は、過去2度優勝の、スペインのセルジ・ブルゲラだ。

 ここでもクエルテンは、元チャンピオン相手に臆することなくコート上で舞った。右へ左へ、まるで朝の練習のような気軽さで、スーパーショットを決めていく。

 あのフットワークにすぐれたねばり強いブルゲラ相手に、こんなにも簡単にポイントが取れるものだろうか。グーガがそのラケットを一振りすれば、黄色いボールはキラキラと輝いて、赤土の上をほとばしる。

 私は思わず、古いアニメソングを口ずさんでいた。「魔法のバトンをクルリとふれば、町じゅうやさしい風が吹く」。まるで彼のことを歌っているように思えたのだった。

 私は彼のテニスに、完全無欠に魅せられてしまった。なんてきれいなショットの弾道なんだろう。

 それはきっと、これまでのローラン・ギャロスでは見られなかった、新しいクレーのテニスの在り方だったのかもしれない。退屈な土のコートでも、これだけ「魅せる」テニスをするプレイヤーがいたとは。

 試合はあっという間に終わってしまった。6-3・6-4・6-2で、クエルテンが初優勝。と同時に、それはブラジル人としても初のグランドスラム大会制覇でもあった。


 (次回→[こちら]に続く)



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